コウモリ的政治家とダム

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 菅改造内閣が14日に発足した。国土交通相には、大畠章宏・前経済産業相が就任し、ある政策決定に対する注目が集まっている。それは、八ッ場ダムを建設するのかしないのか、という問題である。

 八ッ場ダムの建設予定地は、群馬県長野原町にある。1952年に旧建設省がダム建設を計画。住民は猛反対。ところが、補償金をちらつかせる旧建設省を前に、建設に賛成する住民が増え、1987年には同町が建設の受けいれを表明。

 その後、2009年に政権が民主党になると、前原誠司国交相(当時)によってダム建設の中止が宣言される。民主党がマニュフェストにかかげた「時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す」という政策を実行しようとする。

 そして、前原氏から国交相の職を引きついだ馬淵澄夫前国交相は、なんと建設中止の方針を撤回。自民党政権の時代には建設、民主党政権になるとすぐに建設中止、さらに同政権の大臣が代わると建設の是非を白紙にもどす…。こんなどっちつかずの政策決定をしている人々を、コウモリ的政治家と呼ばずしてなんと呼ぼうか。

 長野原町の川原湯地区には、「川原湯温泉」という温泉街がある。1952年に住民がダム建設を受けいれた条件のひとつが、同温泉を丸ごとダム湖畔に移動するというものであった。一方、同町の川原湯地区では、7割以上の住民が補償金を受けとり、別の町に移住してしまった。人がいなくなれば、町の活気が失われ、温泉街への客足が減少したことは、いうまでもない。

 猫の目のように変わる政策に翻弄される現地住民の気持ちを考えると、いまさらながらマックス・ウェーバーという社会学者の以下の言葉を、コウモリ的政治家たちに読んでもらいたくなる。ウェーバーは、政治家の責任についてこういう。「自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない」(『職業としての政治』岩波文庫、p41)。

 ダムを建設するのかしないのか。政治家がすべきことは、建設の行方を宙ぶらりんにしてお茶をにごすことではなく、建設するのかしないのかを決断し、その決断をすみやかに実行することなのではないか。どの党が政権を担当するにせよ、政治家がどっちつかずのコウモリ的政策を続けているかぎり、国民の政治への信頼度は下がりつづけるであろう。

 なによりも、ダム建設予定地には、いま、そこで暮らす人たちがいるということを、コウモリ的政治家は意識すべきである。個別の利害と国家の利害を調整し、適切な落としどころを探る作業は、困難が予想される。とはいえ、その困難を引きうける職業こそ、政治家と呼ばれる職業なのではないか。

(谷川 茂)

●イラスト:さとうまゆみ
おじさん好きな絵描き
http://www.loftwork.com/portfolios/satoumayumi/

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