〈「年間1000着ビキニを着てた」「『私だって人間なんです!』と…」成績1位の優等生→グラビアデビュー→出席日数足りず…瀬戸早妃(41)が語る“多忙すぎた学生時代”〉から続く

 2000年代に人気グラビアアイドルとして活躍した瀬戸早妃さん(41)。俳優としても『花より男子』『水戸黄門』(ともにTBS系)などに出演していた。

【衝撃画像】人気絶頂で“年上ミュージシャンと熱愛スクープ”、衣装の過激化…瀬戸早妃さん41歳の“大胆グラビア写真”を見る(写真多数)

 周囲からは順風満帆に見えていたが、実はその裏に葛藤を抱えていたという。熱愛報道から、2007年の突然の休業の真相まで、赤裸々に明かしてくれた。(全4回の2回目/3回目につづく)


瀬戸早妃さん ©杉山秀樹/文藝春秋

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テレビの仕事が増え『水戸黄門』にも準レギュラーとして出演

--瀬戸さんは21歳までは365日休みなしでグラビアをやっていたと公言されています。それでも徐々にグラビア以外の仕事も増えていきました。

瀬戸早妃さん(以下、瀬戸) ドラマもそうですし、バラエティー番組でも『ダウンタウンDX』『踊る!さんま御殿!!』(ともに日本テレビ系)と全国区の番組に出演させてもらっていました。

 でも、だからこそ、余計に怖くなってきたんです。私にはこれといった芸がないので「あと何回呼ばれるんだろう」「次はないかもしれない」とずっと思って出ていました。

--ドラマでは『水戸黄門』(TBS系)に坂口美加役で準レギュラーとして出演しました。

瀬戸 『水戸黄門』は東映京都撮影所のスタッフさんたちが厳しかったのを覚えています。「太秦は怖いよ」と事前に聞いていて、実際はみなさん職人さんたちでこだわりがあるので厳しいという感じなんですが、私は怖いと思ってしまって円形脱毛症になりました。

 当時の黄門様役は里見浩太朗さんだったんですが、本当によくしていただいて。2人のシーンが多かったんですが、私がカメラが回っていないところでセリフを練習していると「頑張ってるね。いいね」と本当の黄門様みたいに応援してくれました。

 ペーペーの私と一緒に写真を撮ってくださったり、明治座の舞台『水戸黄門』にもドラマと同じ、坂口美加役として呼んでくださって本当に感謝しきれません。祖母が『水戸黄門』に出たことをとても喜んでくれていたのもいい思い出です。

ドラマ『花より男子』での井上真央、松本潤との思い出

--ドラマ『花より男子』(TBS系)では、井上真央さん演じる牧野つくしをいじめる3人組の1人、浅井百合子を演じました。

瀬戸  井上真央ちゃんの髪の毛を引っ張るシーンで、本当に引っ張ったら痛いので、どうやったら痛くなく引っ張っているように見えるか、真央ちゃんと必死に練習したのを覚えています。

 あと松本潤さんは本当に“リアル道明寺”でしたね。もう、この人しかこの役はできないっていうぐらい演じる役そのままの愛されキャラでした。

「精神的に壊れちゃった」ある日突然、感情が無になって…

--全国区のバラエティー番組に、ドラマ出演と事務所側も相当瀬戸さんをプッシュしていたのが伝わります。それでも瀬戸さんの中には、どんどん不安が生まれてきたそうですね。

瀬戸 そうですね。芸能界ってサイクルが早いじゃないですか? どんどん新しい子が出てくるので、どんなに人気番組に出ても天狗になるとかではなく、「こんな状況は何年も続かないぞ」と心配になってました。「今が最高潮で、あとは下るだけかもしれない」って。

 今、思い返すと自分の感情が分かんなくなっちゃったんですよ。仕事では笑いたくなくても笑っていることもあって、ある日突然、ぱったり感情が無になっちゃったんです。

 それでも仕事は忙しいし、目の前にあることに対応しなきゃいけない。だから精神的に壊れちゃったんだと思います。周りがみんな敵に見えちゃった時期がありました。

--事務所の人も含めてですか?

瀬戸 事務所の人も含めてです。事務所の人は本当は味方なのに、自分が使い捨ての駒みたいに思えてきて「自分が求められる人間じゃなかったら捨てられるんだろうな」と恐怖心がありました。

 事務所の人に相談したら「相談したことを誰かに言われてしまうかもしれない」とまで思っていて。本当はもっと人を頼ったら良かったのかもしれないけど、当時は自分を守るために、人に悩みを話さないようにするのが精一杯でした。

--それは2005年ぐらいですか?

瀬戸 そうですね。おそらくそのぐらいだったと思います。

「当時の等身大の自分なりの恋愛だった」週刊誌で熱愛報道

--その頃、週刊誌にミュージシャンとの熱愛を撮られましたね。

瀬戸 そうですね。ありましたね。

--お相手の方は、当時の瀬戸さんにとって相談相手にもなっていたんでしょうか?

瀬戸 20年以上前のことなので、もう昔すぎてあまり覚えていないんですけど、相談相手にはなっていたかな……。当時の等身大の自分なりの恋愛だったと思います。

--年齢も離れていましたよね。

瀬戸 そうですね。同じ芸能界を知っている人でもありましたし、先輩でもあって、自分よりもたぶん大変なことを経験してきた人でした。大人の素敵な男性という感じでしたね。

--ただ、その交際を知った事務所の野田義治社長が大激怒した、と当時は報じられています。

瀬戸 そういうふうに言われていますよね。でも、それには経緯があったんです。私は交際について事前に社長には伝えた方がいいかと、あらかじめマネージャーさんに相談していたんですよ。

 でも、マネージャーさんからは「まだ言うタイミングじゃない」と止められていたんです。もしかしたら「そのうち別れるかもしれない」と思っていたのかもしれないですね。

「週刊誌の人が社長にコメントを取りに行って…」交際報道で社長が激怒

--ところが、野田社長に伝える前に週刊誌に撮られてしまった。

瀬戸 そうなんです。それで週刊誌の人が社長にコメントを取りに行って、そこで野田さんが交際を初めて知って。それで怒ってしまって……。

 ただ、正直、その頃の記憶が私はあまりないんです。若い頃の自分なりに、そのときは一生懸命恋愛していたんですけど、結果的にはダメだったんでしょうね。

--当時、野田さんは週刊誌の突撃取材に対し「付き合うのはいいけれど、相手の家に行くなと言っていた」といったコメントもしています。

瀬戸 それまで社長は交際を知らなかったと思いますから、様々な事実関係や報道のタイミングに時間差が生じて、勘違いが起きたり、噂や憶測が一人歩きした点もあったと思います。

--熱愛スクープ後、野田さんから瀬戸さんに「もう一度グラビアからやり直せ」というような話もあったそうですね。

瀬戸 そう言っていましたね。「何をやるんだろう」と、私からしたら怖かったです(笑)。

「突然衣装にTバックが出てきたり」グラビアでの肌の露出が増えていったが…

--当時は何か騒動があると女性タレントが“禊”としてセミヌードになったり、映画で濡れ場をやるケースがありました。

瀬戸 ありましたよね。でも、私はそういう話は全部断っていました。「お母さんに見せられない」って。母は小学校の先生をしていましたから。ただ社長に「グラビアからやり直せ」と言われてから、以前よりグラビアでの肌の露出が増えていったんです。

 打ち合わせでは聞いていなかった衣装が、撮影当日に突然用意されていることもありました。突然衣装にTバックが出てきたり。

 私はそれがすごく嫌で。だって、打ち合わせにないものですから。それで現場で「嫌だ」と言い続けて、掲載自体がお蔵入りになったこともありました。

--グラビアを取材していると、事前の打ち合わせではなかった過激な衣装が突然出てくるケースはよく聞きます。そうなると現場で女性タレントは断りづらくなってしまうこともあるのですが、瀬戸さんは断って正解だと思います。

瀬戸 「もう一回グラビアをやります」となって、そのためには向こう側にもメリットを出さなければいけない。だから「今までやっていなかったような露出にも挑戦しましょう」「20歳も過ぎたし、少し大人っぽいグラビアをやりましょう」という方向になっていったのかなと思います。

 でも、そうなると「私、このままどうなっちゃうんだろう」と将来をしっかり考えるようになっていきました。

「私もこうならないとダメだ」帝国劇場の客席で号泣したワケ

--そんな中、お友達の出ている舞台を見たことが瀬戸さんの気持ちを変えたそうですね。

瀬戸 同じ「サンズエンタテインメント」に所属していた富田麻帆さんが帝国劇場でのミュージカル『レ・ミゼラブル』にコゼット役で出演したんです。麻帆は子供の頃からミュージカル『アニー』にも出ていて、その後もずっとレッスンを続けていたんです。

『レ・ミゼラブル』って事務所の力だけで出演がどうにかなるものではなくて、麻帆はオーディションで、自分の力でその役を勝ち取ったので、本当に実力のある人なんです。

 これまでの努力がきちんと実を結んで、大きな舞台に立っている。そんな彼女を間近で見ていたこともあって、帝国劇場の客席で号泣したんです。「私もこうならないとダメだ」って。

 私は事務所のプッシュで何とか仕事ができていた一方、麻帆は自分の実力で仕事を取った。そこに大きな違いを感じてしまって。実力をきちんとつけないと、このままではいつか芸能界から消えていってしまうと思ったんです。

スポーツ新聞で「瀬戸早妃、引退」と報道されて…

--そこで野田社長に、事務所を退所し、勉強のためニューヨークへ行きたいと直談判するんですか?

瀬戸 まずマネージャーさんに伝えました。このまま仕事を続けるのは、自分にとってプラスではないという話をしたと思います。

--事務所を辞めずとも1年間の休業などの手もあったと思うのですが、事務所を辞めると瀬戸さんから伝えたんですか。

瀬戸 私から言いました。しばらくお休みして勉強したいと伝えたら「それはできない」と言われて、最終的に事務所を辞める決断をしました。そもそも私は事務所を辞めるだけで、芸能界を辞めるつもりはなかったんです。

 でも当時の芸能界は暗黙のルールで、他の事務所への移籍は簡単にはさせられないというものがあったんです。ただ私は芸能界の知識があったわけじゃなかったので、一回離れた事務所にはなかなか戻ってこられないとか、他の事務所にもすぐに移籍できないということを全く知らなくて。

 現在ならYouTuberやインフルエンサー等としてフリーで活動される方も多いですが、当時はそれは全くありえない時代でした。

 だから事務所を辞めると言った後、スポーツ新聞で「瀬戸早妃、引退」みたいな記事が出た時に「えっ、辞めるんじゃなくて、一度勉強して戻ってくるつもりなのに」と驚いて。結局、芸能界を離れたようなイメージになってしまったことが、その後の私を苦しめることになりました。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

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(徳重 龍徳)