「奥さんがワーって泣いてしまって」エンタの神様でブレイク→1年後に“まさかの転落”…仕事が激減した“ギター侍”波田陽区が、12年間待ち続けた女性へのプロポーズを決心した“納得の理由”〉から続く

「恥も何もなかった。できることは何でもやろうと思いました」

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 2016年、40歳を機に妻子と共に福岡へ移住した波田陽区さん。とはいえ、すぐにテレビの仕事が決まることはなく、心機一転、アルバイトからやり直しを始めた。

 それから10年。最高月収2800万円から叩き落とされ、塞ぎ込んだ時期を経て、「福岡に来て良かった」と言い切れるようになるまでの軌跡と、高校生になった息子への複雑な親心を語る。(全3回の3回目/最初から読む)


波田陽区

“できることは何でもやろう”と福岡でアルバイト生活

--2016年、波田さんが40歳の時に一念発起して家族と共に福岡に移住。今年でちょうど10年になるそうですが、まず福岡にきた当初は、お仕事はいかがでしたか?

波田陽区 福岡で仕事が決まってきたわけでもなかったので、芸能の仕事が全くなかったです。情けない話ですが、はじめは同じ事務所の後輩のイモトアヤコが宣伝していたツテを頼って、イモトのWi-Fiの会社でバイトをさせてもらうことになりました。福岡空港に店舗があって、海外に行く人にWi-Fiを渡すバイトです。

 東京に居たときは『エンタの神様』で一瞬売れましたが、翌年には仕事が激減して、不貞腐れてバイトなんてしたくなかったんです。恥ずかしいしカッコ悪いって。でも、その後結婚して息子も生まれて、40歳になるタイミングで人生変えたいと思って福岡に来たので、もう恥も何もなかったですね。できることは何でもやろうって思いました。

--覚悟を決めて。

波田陽区 そうです。イモトのWi-Fiでは、僕はスーツを着て「宣伝部長」と書かれたタスキをつけて店頭に立ちました。イモトのWi-Fiの会社の方が、あえて僕が目立つように、半分芸能活動の一環としてアピールで来ているような見せ方にしてくれたんですよ。

--すごく協力的ですね!

波田陽区 本当にありがたかったです。週5回出勤して、朝5時に起きて7時にオープンして、ほとんどの人は僕を見て「今福岡いるの? 頑張ってるね」と、なんとなく見守ってくれるような感じでしたが、中には意地悪なことを言う人もいましたよ。「なんで福岡いるんだよ。仕事ねえのかよ」とかね。しかも2ヶ月後にもまた同じ人が通って「お前、まだここにいるじゃん」って笑われることもありましたが、ごく一部です。

 それよりも、福岡に来るタイミングで息子が小学生になりましたが、息子の教育費も払えたし、イモトのWi-Fiさんでバイトさせて頂いたし、なんでも0から始める気持ちになれて良かったです。

「卓球の水谷選手に似ている」と突然の再ブレイク

--しかも、同じ年にリオのオリンピックが開催されると、卓球の日本代表だった水谷隼さんと似ていることで話題になりました。

波田陽区 水谷さんがメダルを取って、僕と水谷さんの顔が似てるっていうだけで仕事が急に増えたんです。顔だけで。僕は卓球のユニフォームを着て、奥さんが日本代表のアップリケを作ってユニフォームに縫ってくれて、100円ショップで買ったラケットを持って営業に行き、「どうも! 水谷です!」って言うだけですごくウケました。次第に福岡に波田がいるなら使ってみようかと思ってもらえたのか。地元のテレビ局から声が掛かるようになって、このまま芸能でもいけそうだなって思ったときにイモトのWi-Fiを辞めました。イモトのWi-Fiさんには5ヶ月働かせてもらって感謝感謝ですし、水谷さんにも感謝ですね。自分で何か新しいことを考えたわけじゃないですから。

--水谷さんとはお話しする機会はありましたか?

波田陽区 その後、番組で共演させて頂いたときに水谷さんに「すみません、勝手に真似して」と言ったら「どんどんやってください」と言って、水谷さんのクラブチームで使っているユニフォームをセットでくれたんです。「僕を通して卓球をしてくれる人が増えたら僕も嬉しいです」と仰って下さって、なんて器の大きい人だ!って思いました。顔が似てるだけで一発屋がヒョコヒョコ来たら絶対嬉しくないと思うんですけど、笑ってくれて。

息子がギターを持って「お笑い芸人になりたい」って言ったらどうしようと…

--その後、徐々に福岡に馴染んでいきながら、奥さんや現在高校2年生になった息子さんは、波田さんのお仕事について何かお話しすることはあるのでしょうか? 

波田陽区 二人とも僕の仕事に興味がないのか、何も言ってこないですよね。唯一奥さんに言われたのは、以前、嵐と一緒に仕事をしたときに「嵐と仕事するなら教えてよ」と言われたくらいで。奥さんは僕がテレビに出ても全然観ないから「なんで観ないの?」って一回聞いたことがあるんですよ。そしたら「私がもし観てると知ったら、あなた好きなこと言えないでしょ」と言って、さすがだな、と思いました。あとは旦那がスベっているところを観たくないのかもしれないけど(笑)。

 息子は思春期なので全然喋ってくれないんです。僕のことはネットで検索したら「一発屋」って出てくるから、ある程度は状況も理解しているのかもしれないけど。

--息子さん高校の軽音楽部に入ってギターを担当されているそうですね。

波田陽区 怖いですねぇ。まさかのギターって。友達に誘われて入ったみたいですね。一応僕が使ってないエレキギターをあげたので、たぶん使ってるとは思うんですけど。皆さんが懸念されているように僕も懸念してますよ。息子が将来ギターを持って東京に行って、お笑い芸人になりたいって言ったらどうしようって。

--もし言われたら。

波田陽区 そのとき初めて僕の父の気持ちがわかりそうです。「お前はお笑い芸人向いてないから辞めろ」って同じこと言うと思います。

--30歳までに目が出なかったら辞めろと?

波田陽区 はい。僕が父に約束させられたようにね。本音を言えば息子には公務員になってほしいです。定時に上がって、コロナ禍になっても仕事は無くならないし、ちゃんと休みも給料もある。不安定な時代を長く過ごしたからこそ思うんですけど。

福岡に移住して「自分を取り戻せた」

--波田さんは30歳目前で『エンタの神様』をきっかけにブレイクした後、仕事が減って7、8年辛い時期がありました。「たられば」になりますが、30まで売れずに芸人をキッパリ辞めて安定した人生を歩む人生と、一度ブレイクした後辛い数年間を過ごす人生では、どちらが良かったと思いますか。

波田陽区 うちの奥さんは普通の暮らしを望んだと思いますが、僕は今51歳になって改めて思うのは、浮き沈みの激しい芸能界で一瞬でも活躍できたとしたら、仮に明日死ぬとしても、あぁ、楽しい人生だったなって思える気がするなって。人が経験しないようなこともたくさん経験できたし、最高月収2800万もらった時も、1日50万も60万も使った時もあるし。そこからドンと落ちて仕事が無くなって。紆余曲折ありましたが、またこうして福岡に移住して結局楽しい人生になっていますから。今は福岡に来てすごく良かったと思っているし。自分自身変わったなって思いますし。

--福岡に来てどの辺が変わったと感じますか?

波田陽区 僕自身が毎日を楽しんでいるし、周りにもすごく明るくなった、元気になったって言われます。東京にいた頃は塞ぎ込んでいたので、店で知らない人にいじられても耐えることしかできませんでした。でも、今は仮に知らない人に居酒屋で「残念!がいる」と言われたとしても「どこが残念なんだよ!」と言い返せるくらいにはなったかな。自分を取り戻せたというか。仕事に対しても、今は自分で企画書を書いてマネージャーさんに渡して、テレビ局の担当者に渡してもらうこともあるし、意識がだいぶ変わりましたね。

--ちなみにネタ作りも変わりましたか?

波田陽区 今も変わらず営業に行って、人を斬る芸やってますよ。「残念!」ってね。最近のトピックス入れながら。ただ、以前と圧倒的に違うのはSNSの影響ですね。当時はSNSがなかったので、芸をやったらそれで終わりでしたが、今は動画に残ってどんどん拡散されますし。あと体型とか見た目、ルッキズムもそうだし、時代に合わせた斬り方もしなきゃなとは思います。

(松永 怜)