誰しも引退する日は来るが…

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 今年も9月下旬以降、オリックス・平野佳寿、ソフトバンク・中村晃、ヤクルト・石川雅規、ロッテ・唐川侑己ら、ファンに長く愛された選手たちの引退試合やセレモニーが相次いで行われる。セレモニーの要素も強い引退試合だが、過去には現役最後の出場でビッグな記録に挑戦した男たちもいた。【久保田龍雄/ライター】

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どこか複雑な気持ちでしたから

 現役最終登板で当時の通算与死球の日本最多記録に挑戦したのが、広島・渡辺秀武だ。

 巨人を皮切りに日本ハム、大洋、ロッテ、広島の5球団で19年間活躍した右のサイドスローは、現役最終年の1982年の時点で通算143与死球。坂井勝二(大毎‐大洋‐日本ハム)、米田哲也(阪急‐阪神‐近鉄)とともに歴代トップタイで並んでいた。

誰しも引退する日は来るが…

 10月16日の阪神戦、あと1人にぶつければ単独トップとなる渡辺は、記録更新を狙って現役最後のマウンドに上がった。

 2対4の5回、先発・北別府学をリリーフした渡辺は当初「先頭の平田(勝男)にぶつけて、さっさとマウンドを降りるつもりだった」という。

 一方、阪神の各打者は、そんな“野望”など夢にも知らず、ラスト登板に花を添えようと、明らかなボール球でも空振りしてきた。平田は三ゴロ、藤倉一雅も三振に倒れ、あっという間に2死となった。

 渡辺が困惑しながら一塁側ベンチを見やると、事前に記録挑戦を打ち明けられていた古葉竹識監督が「もう1人行け!」と合図してきた。

 次打者は左打ちの吉竹春樹。「カーブを投げれば、避ける方向にどこまでもついていくはず」と考えて、緩いカーブを投げると、狙いどおり腹に命中し、3人目でようやく日本記録達成となった。

 記録は3年後、東尾修(西武)に更新されたが、当時広島のスカウトだった渡辺氏は「何とも思わなかったですね。名誉ある記録ではないし、達成感と同時にどこか複雑な気持ちでしたから」と意に介していなかった。

 その一方で、通算投球回数は渡辺氏が2083回2/3、東尾は2倍近い4086回とあって、「与死球率でいけば、僕が一番当てていることになるのかな」と苦笑まじりに語っていた。

何としても勝たせてあげたい

 現役最後のマウンドで、当時日本記録だった24年連続勝利に挑んだのが、DeNA・三浦大輔だ。

 プロ25年目を迎えた“ハマの番長”は同年、7月11日の中日戦と9月16日の阪神戦の2試合に登板も、いずれも負け投手になり、「勝てなくなったら辞める」と引退を決意した。

 だが、勝利への執念は最後まで持ちつづけていた。

 前年達成した23年連続勝利は、工藤公康(西武‐ダイエー‐巨人‐横浜)、山本昌(中日)とともに歴代トップタイ。もし、引退登板で勝利投手になれば、歴代単独トップになる。

 9月29日のヤクルト戦、三浦は24年連続勝利と通算173勝目をかけてラスト登板のマウンドに上がった。

 1回に1点を先行されたものの、その裏、梶谷隆幸が左越えに同点ソロを放つ。2回には広岡大志に左越え3ランを浴びたが、その裏、味方打線がロペス、エリアンの2発を含む5長短打で6対4と逆転。「何としても勝たせてあげたい」というチーム全員の熱い思いが伝わってきた。

 だが、三浦は4回に二塁打3本を浴びて6対7と逆転を許すと、6回にも山田哲人の2点二塁打などで3点を失い、自己ワーストの1試合10失点となった。

 三浦自身も6回で降板するものと思ったが、ラミレス監督はその裏の打席で代打を送らず、引き続き7回のマウンドに送り出した。

 そして、32人目の打者・雄平を空振り三振に打ち取ったところで、交代となった。

 6点の援護を守り切れず敗戦投手になり、「みんなが打って守ってくれたのに申し訳なかったな」と詫びた三浦だったが、「最後、監督はじめ皆さんに配慮していただき、7回表のマウンドに立たせていただき、本当に感謝しています」と晴れやかな表情で語った。

 ボコボコに打たれながらも7回途中まで続投し、最後は三振で締め。まさに「燃え尽きた」という表現がピッタリな番長らしいフィナーレだった。

最後まで里崎らしく

 現役最後の試合で史上10人目、捕手としては史上初の全打順本塁打にチャレンジしたのが、ロッテ・里崎智也だ。

 2番から9番までのすべての打順で本塁打を記録していた里崎は、9月28日のオリックス戦、プロ初の1番DHで出場し、本塁打を狙った。

 だが、引退の要因にもなった左膝の状態が思わしくなく、「バッティング練習でも力が入らない」と語ったとおり、1回の1打席目は吉田一将のフォークを見逃し三振。2回の2打席目もカウント1-2から本塁手前で大きく落ちるフォークを空振りし、2打席連続三振に終わった。

 最初から2打席までと決めていた里崎は3打席目に代打を送られ、記録は幻と消えたが、直球勝負がお約束の引退試合で吉田が変化球を多投し、ガチで勝負してくれたことで、「悔いはない」と踏ん切りがついた様子だった。

 試合後の引退セレモニーでは、「16年間やりきった。最後まで里崎らしく終われたんじゃないかと思う」と挨拶。その後、特設ステージでSMAPの「ありがとう」をファンとともに熱唱し、16年間の現役生活に終止符を打った。

 近年、投手の引退登板は、先発して打者1人と対戦というパターンが定番化しているが、そんな制約の中でも、球史に残る記録が生まれている。

 中日・山本昌は2015年10月7日の広島戦に先発。NPB史上初の50歳出場・登板(50歳1ヵ月26日)を果たし、丸佳浩を二ゴロに打ち取った。

 2019年限りで引退した阪神のランディ・メッセンジャーも、現役最後の登板となった9月29日の中日戦で、大島洋平を三振に打ち取り、外国人投手ではNPB史上最多の通算奪三振を「1475」に更新した。

 引退試合は、単なるセレモニーでは終わらない。最後の一球、最後の一打まで記録や勝負にこだわるからこそ、思わぬドラマが生まれる。今年もそんなシーンに期待したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部