【杉山 晴美】911テロで夫が行方不明になって4週目の「追悼ミサ」3歳の長男が反応したこと
事件や災害に巻き込まれ、愛する家族が行方不明になってしまう--そういうことが絶対ないとはだれにも言えない。探し続ける、信じ続ける、諦めない。しかしそうしたくても、生きていかなければならない。残された家族はいったいどうしたらいいのか……。
3歳と1歳の子供をかかえ、妊娠4カ月だった杉山晴美さんは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロで、当時富士銀行員だった夫・陽一さんの勤務するワールド・トレード・センターに飛行機が2台突入するところをテレビの画面で見ることになってしまった。飛行機がハイジャックされたテロだった。その後の発表で、日本人24名を含む3000人もの方が亡くなられ、6000人もの方々がけがを負ったとされている。
それから25年の時が経つ。杉山さんは2026年9月11日、NYで記念式典に参列するという。アメリカ同時多発テロから20年の年に、晴美さんの手記『天に昇った命、地に舞い降りた命』の再編集と書下ろしで行った連載「あの日から20年」第4回より再編集で、その思いをお伝えする。
ご紹介するのはテロから4週間経ったときのエピソードだ。前編は、行方不明となった夫を探しにまわる中、切迫早産となって絶対安静を言いわたされたのち、テロからひと月ほど経ったころ行われた「追悼ミサ」と、まだ続くテロの恐怖についてお届けする。
銀行主催のメモリアルサービス開催
【10月9日】
10月9日の夜7時より、マンハッタンのセントパトリック大聖堂にて富士銀行主催のメモリアルサービスが行われ、わたしたちも参加した。
これは、事件のちょうど4週間目にあたる日に合わせ行われた、富士銀行主催、関係子会社をあわせ1500人ほどが参列した追悼ミサである。日本人の感覚だと、まだなにもわかっていないのにもう葬式めいたことをやるのか……という印象だろう。
ある意味、死を認めてしまうようで、参列はおろか名前を出すのもためらうという家族も多かったようだ。実際、日本からはどなたもみず、こちらに住む被害者の奥様方でも、半数はおみえにならなかった。
わたしも身体がこんな状態で、医師に相談してみても、「こうなると本人の意思にまかせるしかない」と言われ、銀行側にも当日の朝まで出欠の回答を待ってもらった。そして結局、当日身体もやや落ち着いてきたし、わたしとしてはもっと前向きな気持ちでぜひ参列したいと思い、長男太一を連れ、2人で行ってきた。
五番街にそびえたつマンハッタン一立派な教会で、式は礼拝形式で進行した。神父様が立会い、歌をうたい聖書の個所を何人かの社員が読み上げ……そんな礼拝形式で、後半では1人ずつ行方不明者の名前を呼びながら、キャンドルに火をともし、祈りをささげた。すべて英語による進行だったので、半分はよくわからなかった。
となりには、180センチくらいあるスキンヘッドの若い黒人男性が座っていた。彼は神父様の話の途中から、突然左手で顔をおおったままうずくまり、最後までうつむいて泣いていた。言葉が鮮明に心に届いていたら、わたしももっと身につまされた感覚になっていたのかもしれない。
生と死の可能性をともに受け入れる
けれど、わたしの感覚のどこかに、なんでこんなところに自分はいるのだろう?なにをしているのだろう?どうしたの、いったい……と、どこかにまだ現実離れしたぼーっとした感じがあったのかもしれない。
ただ、もう少し前向きな気持ちで参列したかったというのは、とにかくすでに亡くなっているかもしれないし、生存しているかもしれないし、わからないわけで……。どちらの可能性もある以上、どちらも今は受け入れたいというか……。
もちろん死を認めてしまう必要もないし、信じて待ってあげることも最後まで続けるつもりでいる。けれど、その可能性があるということは逆を言えば、亡くなっている可能性もあるということで、その事実から目をそらしたくないということだろうか。
誰がなんと言おうと死んだなんて信じられないから、わたしははっきりするまで死は認めない!! という人たちのいるなか、わたしとしてはもっと静かにおだやかに、死の可能性も受け入れていきたいと思う。
だって、もしほんとうにもう亡くなっていたら、少しでも早く安らかに眠らせてあげたい。家族が我を張ってきーきーしていたら、眠くたって寝られないだろう。とにかく信じる部分では精一杯信じ、でも祈りの場をあたえられれば、夫をふくめ、その他大勢の犠牲者のために祈ってあげてもいいのではないかと。
わたしはクリスチャンではないけれど、キリスト教式のお祈りがどうのというようなことを越えて、あのビルの瓦礫の下で、病院その他で息をひきとって、なのに今も安らかな眠りにつけないでいる尊い魂に、ただただ祈りをささげたいなと……。
わたしの思いをいつか子供たちに語るとき、記憶の片隅にでも残っててくれればと太一も連れていったのだ。力斗は激激やんちゃ坊主なので、さすがに恐ろしくて教会なぞという神聖な場所には連れていけなかったが。
太一は40、50分の礼拝の間、とりたててぐずることもなく高い天井に感激したり、聖歌やパイプオルガンの音に興味をもったり、キャンドルライティングでは、銀行の人に抱っこされ一生懸命見ていた。
夫の名前が呼ばれたときには、「あっ」と言ってわたしのほうを振り返ったので、「ぶーちゃのローソクあったねえ」とわたしがにっこりしてやると、「うん」とうれしそうに笑った。彼のなかにどのように残ったのか、そしてほんとうにいいほうに残るのかは定かではない。けれど、わたしは母として、長男を連れていった選択に今も迷いはない。
たとえ彼がまだ幼くて酷であろうと、これからも真実は、彼の人間性を信じて慎重にサポートしてやりながら、まっすぐ伝えていってやれればと思う。
ニュージャージーに、炭疽菌さわぎ
【10月13日】
秋の深まりとともに戦火もいっそう激しくなり、世界中でますます先行きの不安感が増していく。
お腹の状態が一度回復に向かったあと、再び少量ではあるが出血が始まり、入院はまぬがれたものの、さらなる安静を言いわたされる。パソコンに向かうことさえ許されず、はがゆい毎日を送っている。母体が若くないとこうも治りが悪いものなのか。情けない……。
あー、動きたい!外に出たい!と、もともとじっとしていられない性質のわたしはこう叫びつつも、まわりの「体はくれぐれも大事に!」といい言葉を思い出し、ぐっとこらえる。すっかりただの物体になりはて、布団またはソファーで魚市場のマグロのように転がっている。文字どおり食っちゃ寝状態。だから体重が10日で1.5キロ増。
一見病人のようではあるが、本人いたって元気は元気。まあ急に太る妊婦というのも、ある意味不健康なのだが……。ああ、そのへんはどうか大目に見てほしい。いまわたしの唯一の楽しみは、食べることである。
〈ついに、夫と同じ部署の外国人スタッフの遺体が先日確認され、その報告が入りました。いままで富士銀行関係者については、行方不明者に関する確かな事実がまったくありませんでした。悲しい事実ではありますが、ようやく初めてひとつ事が動いたのです。
しかも彼は、夫と同じ部署。二機目の激突時、かなりそばにいたと予想されていただけに衝撃の事実です。わたしも直接面識のある方ではありませんでしたが、彼の冥福をお祈りできたらと思います。〉
日本人の友人たちにこんなメールをうっている最中に、マンハッタン炭疽菌さわぎの連絡が入った。郵便物から炭疽菌が検出され、被害者が出たという。「念のため、マンハッタンには来ないように」といった内容のメールを銀行の方がおくってくれた。
この時点では、ニュージャージーで炭疽菌は発見されていなかったが、しばらくしてからは、ニュージャージーはまさにさわぎの舞台になってしまった。わたしたちの住むフォートリー市よりかなり南にあるハミルトン町の郵便局でも女性が感染、発症したという。その後も何人かニュージャージー州内で、感染者が出た。
一見平和でのどかな郊外の生活もまた、その実テロの恐怖に脅かされている。
郵便物にはどうしてもナーバスになった。宛先の不確かなものや、手書きの封筒を手にする時は、必ずギクリとした。いつもは混んでいる朝方の郵便局も、しばらくは空いていた。
みんな自分の身や家族の身に心配をいだいてのことなのか。こどもが、咳をしていても、「まさか」と心配したりもした。炭疽菌に感染、発症した患者は、風邪によく似た症状をしめす。特に咳がひどいと聞いていたからだ。子供を持つ親たちは、子供たちの様子に敏感になっていた。抵抗力の弱い子供のことは特に気がかりであった。
ポツリポツリとではあっても、確実に炭疽菌による被害者が増えていき、亡くなった方のご家族の様子が目に浮かぶ。
もう一人としてこんな悲しみの中に落ちないで……そう願ってやまない。
*そんな晴美さんのもとに押し寄せる現実。ニューヨークが開催する「追悼式」そして日本人の遺体が見つかったというニュース……後編「日本人の遺体が見つかった…アメリカ同時多発テロ行方不明の夫「退職」の意味」に続く。
