小4娘と「エンジョイ不登校」。平日にカフェ、好きな習い事…自由に過ごした娘の1年後
書籍『不登校から人生を拓く--4000組の親子に寄り添った相談員・池添素の「信じ抜く力」』(講談社)は、ジャーナリストの島沢優子さんが、相談員の池添素さんと不登校を経験した親子への取材を通して、葛藤や、その先にある変化を丁寧に描いている。
本書からの抜粋を紹介している前編【グレーゾーンの娘が小4夏休み明けに不登校。「学校に行かないのに、平日に遊んでいい?」母が気づいたこと】では、小学4年生の夏休み明けから不登校になった娘・なんこさんと向き合う母・有理子さんについてお伝えした。不登校になったら「子どもの好きなことをさせてあげて」と池添さんに言われた有理子さんは「うちの娘、わがままにならへんのか?」と疑問を持つが、福祉広場で見た子どもを決して怒らないスタッフの姿を思い出して実践してみる。最初は不安だったが、池添さんの言葉を何度も見返しながら娘と向き合い、有理子さんは、なんこさんと平日に積極的に出かけるようになる。後編では、そんな「平日のお出かけ」をきっかけに見えてきた、なんこさんの変化を紹介する。有理子さんの心に響いた池添さんの言葉とは。
娘が好きなことに挑戦できた理由
仕事が休みの平日、有理子さんはなんこさんをポールダンスのショーに連れて行った。なんこさんはアクロバティックでありながら優雅に踊るポールダンスに魅せられたのか「習いたい」と言い出した。調べると、ショーに出演していたダンサーがたまたま個別レッスンをしていたので、平日の午前中に習いに行った。時折外出するとはいえ、家にいる時間が長かったため、体を動かす良い機会になった。
ほかの習い事も、「行きたい」と言えば自由にさせた。塾も書道もやめずに通った。そのおかげか不登校になっても生活リズムは規則正しく、早寝早起きを継続できた。不登校だからと行動を制限することなく、自由に過ごした。
「今日も元気に不登校」「エンジョイ不登校」
SNSにそんなタイトルで有理子さんは投稿した。どうしてもネガティブになりがちなので、開き直ってプラスにとらえようと思ったからだ。カフェでランチできるのも、図書館でゆっくりできるのも平日に来られるから。自分の中で「これは不登校のおかげだ!」と前向きに考えるようにした。母自身も発散できた。周りに「なんで学校休んでるの?」という人がおらず、温かく受け入れてもらえたことも大きかった。良き理解者がいる、学校以外の逃げ場があると救われた。親子とも追い詰められずに済んだ。
「本人も、他人の目があるから行きたくないとか全然言わへんかった。お友達と会ったりしたら恥ずかしいとかそういうのも彼女はなかった。習い事の先生も別に不登校でも来てくれたらいいって言うてくれはった。休んだことは何回かあったと思うんですけど概ね通えてました。引きこもりって感じではなかったので、そこは助かりましたね」
なんこさんが、学校に行けなくても、好きな習い事に通えたのは、母が世間体を気にしなかったからではないか? そんな質問に、有理子さんは「きっとそうでしょうね。不登校になってしばらくしてから、周りの目を気にしても仕方がないと思うようになりました」と述懐する。親が不登校は恥ずかしいと思っていれば、子どもだって外に出ていけない。
「親が堂々としていればいいとは思っていました。(不登校になって)早い段階でそう考えられたのも、不登校を否定しない池添先生の存在があったからこそだと思います」
親と子は別の人間
加えて、子どもには休息が大事だと学んだ。
「ゴールデンウイークとか長い休みがあると、親は遊びに連れて行かな! ってなりがちやけど、小学生は学年問わずめっちゃ疲れる時や。子どもの様子見て、疲れてるみたいやったら休ませてあげて」
これを聞いた有理子さんは「私は子どもの時休みの日にどこかに連れて行ってもらうのが楽しかったです。そやから子どもは皆そう思うやろうと思ってた……」と話す。だが、実はそうではなかった。
「なんこは休息が必要なタイプだなって感じました。保育園から帰宅するとすごく疲れていた。めっちゃエネルギー使ってたんやろうなって思いました。やっぱり親である自分と、わが子であろうとも子どもは別の人間。違ってて当然なんだと。お母さんは小さい時こうやったのにとか残念がったらダメなんです。そういったことも親として学ばせてもらった」
転機が訪れたのは、不登校になった4年生から5年生になって担任が女性教員に代わってからだ。1学期はまったく行けなかったが、不登校になってから1年後となる5年生の夏休み明け1時間だけ学校で過ごせた。担任が「1時間目だけでもいいよ。来てみたら?」と勧めてくれたのがきっかけだ。次に「2時間目までね」となり、翌月は4時間目までと、学校にいる時間が少しずつ伸びた。2学期の終盤はほぼ毎日行けるようになった。
不登校の子どもに親ができること
不登校だったころは「何かあった?」と尋ねても「行きたないねん」としか返ってこなかった。1年生から3年生まで女性の担任だったが、4年生で初めて男性教員に。情熱のある男性教員だったが、子どもを叱る声が大きく威圧的だった。恐怖心もあって学校から足が遠のいたようだ。6年生も、持ち上がりで同じ女性教員が担任になったのが良かったのか、コンスタントに学校に行けた。
卒業後は地元の中学校へ。楽しく学校に通っていたが、中学2年生で一度だけ行き渋りがあった。女子生徒同士、誰が誰にこう言ったとか言わなかったとか、些細なことを重く感じてしまったようだった。朝起きてくると「今日、学校行かへん」と言う。有理子さんは即座に「うん、わかった。休んだらええやん」と笑顔で答えた。すると、なんこさんは自分から「いや、やっぱ行くわ」と言い残して出て行った。
有理子さんは「学校行かへん」に動じない母親になっていた。娘が不登校だった約1年間、池添さんをはじめさまざまな人の講演会に足を運んだ。不登校や発達障害についての本も読んでは、自分の考えを整理した。
「無理やり学校に行かせても結果は出ない。親が言っても仕方ない。じゃあ、何が一番大事なんやろ? というのを考えました。家でも勉強させないと遅れてしまうとか、そういう焦りもあったのですが、これ以上プレッシャーをかけたらあかんなと思いました。だから、勉強とか、学校とかっていうワードを一切言わないようにしようと決めました。一番大事なのは、子どもが笑ってることや。なんこが普通に笑って暮らすことを優先しました」
家ではテレビを観て笑い合った。有理子さんの方針に従ってくれた夫も「学校に行け」とは一言も言わなかった。家族でたわいない話をして過ごした。当時のことを「学校に行けてないことは異常なことではなく、わが家では普通のことになっていました。なんこが笑って過ごせるこの環境をとにかく守らないと、と思ってましたね。これを守る以外に今はやれることはない。悟りじゃないですけど、そんなふうに信じていました」と有理子さんは回顧する。
大事なのは子どもを信頼して待つこと
中学校では、勉強面で苦労した。小学4年生から5年生にかけての1年間の取りこぼしがあったためか、数学が特に苦手だった。親のほうは焦りはあったが、塾に行け、勉強しろといった指示命令は一切しなかった。それがプレッシャーになってはいけない。優先するのは「笑って過ごすこと」。母は自分に言い聞かせた。
公立の普通科高校への進学が難しい状況になった中学3年生の初めごろ。周りが受験を意識し始めたからか、なんこさんから「私、塾行くわ」と言ってきた。数学に次いで理科も苦手。本を読んでいたからか国語や社会はできたが、そもそも自宅での学習習慣がまったくついていなかった。こころの安定を優先したことに後悔はないものの、自学自習の習慣を「私が構築してやれへんかった」と有理子さんは話す。
幸いなことに、個別指導の塾がなんこさんに合っていた。勉強のやり方がわかるようになり、レベル的に無理なく通えそうな私立高校を選んだ。自宅から少し遠かったが、なんこさんが自ら「ここに行きたい」と望んだからだ。小規模校で、見学に行くとのんびりした校風でクラスの雰囲気が良かった。入学すると本人に合ったようで、楽しく過ごせた。高校ではクラスで常時2~3番をキープする好成績だった。
池添さんはこの母子へのサポートについて「学校の先生たちは頑張っているのですが、不登校の原因が担任だというケースは少なくないです」と指摘する。担任について「子どもは不満を言ってはいけないと思うようで、あとになって明かすことが多いです。それでも私たちは担任が替わったら行けるようになると踏んでいたので、あまりあわてなかった記憶があります」と話す。
「休んでいる時間の充電が、なんこちゃんの今の姿に役立っているのかもしれません。お母さんの肝のすわりもすごかった。もともと子どもファーストで付き合っておられたので、そのベースが活きたんだと思います」
親子関係がこじれ続けている事例は多い。ただし、希望はある。
「もつれた糸をほどく作業に時間がかかってしまいます。でも、糸がきれいにほどけて、子どもを信頼して待つところまでたどり着いたら、あとは子どもが動いてくれるように思います」
