YouTubeチャンネル「なるほど! 歴史ミステリー」が、「【お市の最期】北ノ庄城炎上 なぜ茶々・初・江だけが生き残った?浅井三姉妹を待ち受けたその後の運命 豊臣兄弟歴史解説33」と題した動画を公開した。動画では、歴史研究家の市橋章男氏が、柴田勝家とお市の方の最期、そして浅井三姉妹がたどった数奇な運命について詳しく解説している。

市橋氏はまず、勝家の居城であった北ノ庄城について言及。天正3年(1575)に築かれ、わずか8年ほどで姿を消したものの、9層とも伝えられる天守を持つ日本有数の規模を誇り、ルイス・フロイスの記録にも残る壮大な城だったと説明した。しかし、秀吉軍数万の包囲に対し、城内に残った柴田軍は約3000人。落城は時間の問題となり、死を覚悟した勝家は前夜、家臣や侍女らを集めて最後の酒宴を開き、これまでの労をねぎらったという。

一方、お市の方は秀吉に救われる道を選ばず、北ノ庄城に残ることを決意する。市橋氏は、お市には「秀吉の思うようにはさせぬ」という強い意志があり、織田家につながる血は3人の娘たちによって残っていくという思いがあったのではないかと解説した。落城寸前、茶々・初・江の三姉妹は勝家の計らいによって城から脱出し、秀吉軍に保護された。その後、勝家とお市の方は辞世の句を詠み交わし、勝家は壮絶な最期を遂げる。城には火が放たれ、北ノ庄城は激しく炎上した。

動画の終盤では、生き残った浅井三姉妹のその後に焦点が当てられる。長女の茶々は後に淀殿と呼ばれ、秀吉の側室となって秀頼を産む。次女の初は京極高次に嫁ぎ、後に常高院と名乗り、豊臣家と徳川家の間を取り持つため奔走した。三女の江は徳川秀忠の正室となり、3代将軍・家光を産んだほか、娘の和子が後水尾天皇の中宮となり、明正天皇を産んだことから、市橋氏は江を「歴史上の母」と表現した。

市橋氏は、お市の方が残した3人の娘たちが、その後の豊臣・徳川、さらには朝廷へとつながり、歴史を大きく動かしていったことに触れ、「人の力というのはすごいものがある」と指摘。北ノ庄城の落城を、一つの時代の終わりだけでなく、次の歴史へとつながる転換点として解説している。

チャンネル情報

歴史ドラマの背景となっている史実を解説し、より楽しみながら知識を深められる時間を、歴史研究家の市橋章男とアシスタントの浜崎友里がご提供。戦国武将、史跡や文化財などの歴史話、大河ドラマや歴史映画の歴史背景を面白く雑学を交えながら配信します。