【横浜・渡辺元智元監督死去】担当記者が追悼 時代に即した監督像常に追求 紳士的で柔和な印象変わらず
記者1年目の98年。「怪物」松坂大輔擁する横浜の担当を命じられた。正月明けの1月。取材のいろはもあやふやで、ぶしつけな質問を並べる新米記者に嫌な顔ひとつせず、横浜市の長浜グラウンドネット裏の監督室で丁寧に応じてくれた。高校球界の名将は厳しい人物に決まっている…の先入観は第一印象で吹き飛んだ。常に紳士的で柔和な表情。このときから渡辺監督の印象は変わっていない。
母校監督就任は24歳になる年で、血気盛んで鉄拳制裁は当たり前。自宅に下宿させている選手が夜中に逃げないよう柔道の帯で自分と選手の足を結んだエピソードを「今でも話せないことはたくさんありますよ。ひどい監督でした」と恥ずかしそうに話してくれたのが懐かしい。
スパルタでつかんだ73年春V。その後に教員免許を取得し、選手との対話重視でつかんだ80年夏V。厳しさと対話をミックスしてつかんだ98年春夏連覇を「集大成」と話していた。06年春に再び頂点。「こちらから歩み寄って選手の考えを理解してあげないと駄目」と時代に即した監督像を常に追い求めていた。
スポニチ紙面で特集企画を掲載した際「私の野球人生を本当にありのまま書いてくれてありがたい。家内にも“そんなこともあったわね”と笑われましたが、紙面はちゃんと家に飾ってありますよ」と後日、感謝された。社交辞令と分かっていても、名将からの褒め言葉にしばらく浮かれていたのを思い出す。
3年ほど前の夏の甲子園で、久しぶりにあいさつできた。解説で現地を訪れていた渡辺監督は「もう体がしんどくてね。仕事で来るのは今回が最後かな…」と寂しそうに笑っていた。ご家族との旅行のことなど自身の近況を楽しそうに話し「懐かしい話もあるし、今度ご飯でも食べに行きましょう」とお誘いを頂いた。まさかそれが最後になるとは。穏やかな語り口調の「元さん節」をもう聞けないと思うと、残念でならない。(98、01〜04年アマチュア野球担当・牧田 大一)
