太原工程隊跡地の外観。(資料写真、太原=新華社配信)

 【新華社太原8月15日】中国政府は1956年、遼寧省瀋陽市と山西省太原市に特別軍事法廷を設け、日本人戦犯45人を裁いた。1840年のアヘン戦争以来、中国国内で外部からの干渉を受けずに外国の侵略者を裁いた初めての事例となった。

 太原で日本人戦犯の取り調べに一貫して携わり、現在も存命する王石林(おう・せきりん)さんによると、太原の最高人民法院特別軍事法廷では9人が公開裁判にかけられ、8〜20年の有期刑を言い渡された。王さんは、審理を受けた戦犯はいずれも罪を認めたと振り返る。

 裁判から70年がたった現在、実際に法廷が置かれた場所はホテルとなり、ロビーには当時の写真が展示されている。一方、裁判に先立って日本人戦犯の収容や取り調べが行われた太原工程隊跡地には、今も2列の独房が残っている。

生存者の子孫が太原工程隊跡地に建てた、捕虜犠牲者を悼む「俘殤地」の碑。(資料写真、太原=新華社配信)

 王さんは「この場所には二つの歴史的意味がある。一つは新中国(1949年)成立初期に日本人戦犯の管理所として使われ、調査の拠点になったこと。もう一つは、旧日本軍に抵抗した軍人や民間人を収容する施設だったことだ」と話す。

 太原市共産党委員会党史研究室によると、日本軍は1938年前後、太原に捕虜収容所を設置した。実態を隠すため、対外的には「太原工程隊」と称していた。

 同施設は実際には、日本軍が中国各地から集めた労働者や捕虜を移送する拠点として使われた。収容された人の中には、生体解剖の対象にされたり、日本軍の負傷兵への輸血のため採血された人がいたほか、生きたまま刺突訓練に使われたケースもあったという。

太原工程隊跡地の文化財保護の案内板。(資料写真、太原=新華社配信)

 日本人戦犯の住岡義一は、新兵の訓練で中国人捕虜300人余りの集団刺殺に加わったと供述した。その中には女子学生約50人も含まれていたという。日本軍の軍医だった湯浅謙は、日本人軍医約30人が太原工程隊に集まり、中国人捕虜4人を生体解剖したと供述した。

 太原工程隊跡地は現在、日本軍による加害の実態や、戦後の戦犯収容・取り調べの歴史を伝える史跡として保護され、戦争の記憶を後世に伝える重要な場所と位置付けられている。(記者/王学濤)

1956年に山西省太原市に設置された中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷の写真。(太原=新華社記者/王学濤)
中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷が1956年に太原市で日本人戦犯を裁いた際の写真。(太原=新華社記者/王学濤)
太原工程隊跡地の前でライブ配信を通じて歴史を伝える観光客。(1月16日撮影、太原=新華社記者/王学濤)
太原工程隊跡地を見学する観光客。(資料写真、太原=新華社配信)