天山広吉、「引退試合」で小島聡に敗れる…試合後、飯塚高史と「握手」し歴史的和解「飯塚さんありがとう」…8・15両国国技館
◆新日本プロレス「G1 CLIMAX 36〜天山 引退〜」(15日、両国国技館)観衆7777(超満員札止め)
新日本プロレスは15日、両国国技館で「G1 CLIMAX 36」を開催した。
メインイベントで天山広吉が小島聡と「引退試合」を行った。
1991年1月11日のデビューから35年あまり、平成のマット界で最前線を突っ走り、時代が令和となってからも新日本プロレス一筋にリングを支えてきた猛牛。2003年、04年の「G1」連覇など幾多の名勝負と05年には四冠統一戦で脱水症状でKO負けするなど栄光と挫折を刻んだ両国のリング。万感の思いを込めてメインイベントの花道に猛牛コスチュームで入場した天山は札止めの館内から大歓声と大拍手を背に自力でリングに上がりマイクを持つと「オイ、コジ!。とことんやりたいから5分1本勝負じゃない。無制限でやろうぜ!」と呼び掛けた。これにリング下で見守った棚橋弘至社長が受諾し5分1本勝負から時間無制限1本勝負となった。
ロックアップから小島のタックルを受け止めた天山はチョップで応戦。さらにチョップ合戦からモンゴリアンチョップ2連発で攻め込んだ。ブレーンバスターで小島を投げ捨て、アナコンダバイスで追い込む。
コーナーポストへ上りムーンサルトプレスを狙うも小島が背後から襲撃。コーナーに追い詰められチョップの連打を浴びた。「テンコジタッグ」で6度もIWGPタッグを奪取し、四冠統一戦で対戦した盟友でライバルの小島と胸一杯のファイトを展開した。
途中で倒れ込んだ天山に小島が「立て!」とゲキ。ラリアットを頭突きで返し、モンゴリアン3連発で逆襲。さらにテンザンスープレックスで投げ捨てると、首と腕をロックし絞め上げた。再びチョップ合戦。モンゴリアン2発を打つと自ら倒れ込んでしまった。
館内は大天山コールに包まれるもコジコジカッターを浴びる。ラリアットを受けるもカウント2で返す。驚異的な粘りを見せる天山。モンゴリアンの連打からラリアットで逆襲する。頭突きの連打も小島がラリアットを放つもカウント1で返す。再びラリアットを浴び9分22秒、カウント3でリングに沈んだ。
試合後に08年4月に歴史的な裏切りを受けた飯塚高史が客席に登場。暴れ回る飯塚へ天山はマイクを持ち「やっぱり来てくれたな」と歓迎したが、リングインした飯塚に襲撃された。小島がコジコジカッターで迎撃。小島が羽交い締めすると天山は制した。マイクを持った天山は飯塚へ「目を覚ましてください」と改心を呼び掛け「最後のリングに来てくれてありがとうございます」と握手を求めた。
何度も握手を要求も飯塚は拒否。飯塚コールが起きる中、「友情タッグ、カモン」と呼び掛けると握手。歴史的な和解を果たした2人は抱き合い、飯塚は天山の右腕をあげ、35年のプロレス人生をたたえた。そして天山は「飯塚さんありがとうございます」と感謝した。
しかし、リングから下りた飯塚は放送席のテレビ朝日の野上アナを襲撃。ワイシャツを破り捨て上半身裸にさらすと客席を徘徊し国技館から消えた。
今後は、新日本プロレスに在籍したまま芸能活動を行う。第二の人生でもプロレスのさらなる普及に努めていく。
◆天山 広吉(てんざん・ひろよし)本名・山本広吉。1971年3月23日、京都市で生まれ。55歳。新日本プロレスが立ち上げた「新日本プロレス学校」に入門。91年1月11日、今冶市公会堂での松田納戦でデビュー。93年の第4回「ヤングライオン杯」で優勝し欧州へ武者修業。95年1月に凱旋帰国し、蝶野正洋、ヒロ斎藤と狼群団を結成した。97年にはnWoジャパン入りし99年1月4日、小島聡とのテンコジタッグでIWGPタッグ王座を奪取した。00年には、蝶野率いるT2000の一員となりトップとして活躍した。03年8月の「G1 CLIMAX」で初優勝。同年11月には、高山善廣を破りIWGPヘビー級王座を初奪取した。04年の「G1」も優勝し連覇を達成。06年には全日本プロレスの「世界最強タッグ」に小島聡のタッグで出場し初優勝するなど、常に第一線で新日本マットを支え続けた。身長183センチ、体重115キロ。得意技は、アナコンダバイス、モンゴリアンチョップ、アナコンダマックス、TTD、ダイビングヘッドバット。
