(※写真はイメージです/PIXTA)

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厚生労働省「令和5年度 厚生労働省委託事業 職場のハラスメントに関する実態調査報告書 」によると、実はパワハラ被害を最も多く経験している雇用形態は、一般の正社員(17.9%)を抑えて「管理職」(男性:24.0%、女性:23.6%)であり、加害者が「部下」であるケースも3.6%存在します。さらに深刻なのは、勤務先が被害を認識しても53.2%が「特に何もしなかった」と放置し、61.4%が有無を「あいまいなまま」にしている現実です。今回は、部下から上司への「逆パワハラ」の事例をみていきます。

「普通は〇〇ですよ」…正論で追い詰められていく日常

マエダさん(仮名/51歳)が異変を感じはじめたのは、数年前に現場の統括を任される管理職に昇進してからでした。

当時、配属されてきたある年下の部下(29歳)に対し、マエダさんは上司として業務を教えていました。社内調整の手順や顧客へのアプローチ方法、提出書類のチェックまで丁寧に指導し、「困ったことがあればいつでも相談して」と声をかけるなど、良好な関係を築いていると思っていたのです。

ところが、デジタル化や業務プロセスの刷新が進むと、2人の関係に変化が生じます。導入された新システムやデジタルツールに対し、飲み込みの早い部下はすぐに操作を習得しました。一方、マエダさんはシステム操作に手惑うことが増え、確認ミスや不慣れな入力で部下にフォローを頼む場面が目立つようになります。次第に、その部下は容赦ない言葉を浴びせるようになります。

「一番長く働いているのに、なんでこんなに仕事ができないんですか? フォローするこっちの身にもなってください」

「昨日も同じこと聞いていましたよね? 同じ質問を繰り返されると、うんざりするんですが」

「マエダさん、いちいち声が大きくてうるさいです」

部下からの指摘は、一見すると仕事上の「正論」のように聞こえました。しかし、その語気と態度はあからさまな拒絶と軽蔑に満ちています。さらにその部下は、ことあるごとに『普通は〇〇ですよ』と言ってくるのが癖でした。

「普通は一回で覚えますよ」「普通に考えればわかりますよね」

来る日も来る日も「普通」を引き合いに出され、正論を振りかざされるうちに、マエダさんは次第に思考が麻痺していきました。「自分が無能だから悪いんだ」「自分がおかしいのか」と自責の念に駆られ、なにが「普通」なのかさえわからなくなっていったのです。

身体の悲鳴

追い打ちをかけたのは、ある同僚からの密かな指摘でした。社内で使われていたチャットツールで、例の部下を中心に、マエダさんの実名を挙げて「無能」「早く辞めればいいのに」と激しい陰口を叩いていることを教えられたのです。

職場で自分の居場所が失われたと感じたマエダさんの精神は、限界を迎えていました。

ほどなくして、心身に深刻な症状が現れはじめます。朝、目が覚めると激しい動悸と吐き気に襲われ、ベッドから起き上がれなくなる。出社しようと駅のホームに立つと足がすくみ、冷や汗が止まらない。オフィスでパソコンを開いても、画面の文字が頭に入らず、指先が震えてキーボードが打てない――。

不眠と不安定なメンタルの状態が続き、病院を受診したマエダさんに告げられた診断は「適応障害」でした。主治医からは休職と療養を指示され、半年間休職したのち、「あそこに戻ることはできない」と退職を決意しました。

住宅ローン、子の教育費を抱えた状態での失業

29年勤めた会社を去ったマエダさんの手元には、重い現実が残されていました。住宅ローンと、子どもの教育費です。

次の転職先も決まらないまま失業保険でやりくりする日々。焦りと不安に押し潰されそうになるマエダさんに、妻は温かい言葉をかけてくれました。

「30年近く働いて、たくさん税金を納めてきたおかげで、いまはこうして手当をもらってゆっくり休めるんだよ。私が働くから、いまは今後のことばかり考えないで、身体を休めよう」

その言葉に救われ、涙が溢れたというマエダさん。しかし同時に、「家族に心配をかけ、妻に苦労をさせている自分」に対する情けなさと悔しさが胸を締め付けました。

その後、療養を経て現在は新たな職場で働きはじめています。しかし、以前の会社に比べて給料は下がり、家計への不安は拭えません。なにより、かつてのトラウマから「またなにか言われるのではないか」「相手を不快にさせるのではないか」と過剰に怯えてしまい、仕事上での対人関係に苦しむ日々が続いています。

管理職受難の時代

現代の職場において、ハラスメントの構造は複雑化しています。

ハラスメントの加害者は、男性、年長者、上司とは限りません。職場の力関係は単純な役職の上下だけで決まるものではなく、業務知識の偏り、集団内での同調圧力、SNSや社内チャットを通じた孤立化など、部下から上司、同僚間、組織から個人へと、さまざまなベクトルで生まれます。

現在、多くの企業がパワハラ防止に力を入れていますが、その刃が逆向きに使われた際、上司側は脆弱な立場に立たされがちです。

「管理職だから耐えて当然」「言い返せば『パワハラ上司』として訴えられる」――そんな恐怖から、部下からの度を越えた発言や嫌がらせに反論できず、一人で抱え込んでしまう管理職が後を絶ちません。しかし、管理職を「責任は重く、権限は弱い、なにを言っても訴えられる」という“罰ゲーム”にしてしまえば、組織そのものが立ち行かなくなります。このような状況を放置し、「管理職受難の時代」にしてはならないのです。

職場に必要なのは、上司か部下かという立場にとらわれないフラットな健全性です。業務上の「必要な指導や指摘」と、人格を否定する「人格攻撃や暴言」を切り分け、たとえ部下から上司に向けられたものであっても、不当なハラスメントには毅然と対処する組織的な仕組みづくりがいままさに求められています。