高校時代のあだ名は「ヨミウリ」…元日本代表「北澤豪」が明かす読売クラブのジュニアユース時代「大人が中学生に思いっきり蟹挟みをしてくる。ただそれが超楽しかった」
発足から34年目を迎えるJリーグ。今年から8月7日に開幕し、来年5月に閉幕する「秋春制」になる。1993年のリーグ発足から2年連続で年間王者に輝いたのは、名門・東京ヴェルディ(当時はヴェルディ川崎)だった。その源流は、1969年に誕生した「読売サッカークラブ」。80年代は「常勝軍団」として、J発足後は「国内最強のクラブチーム」として君臨してきたクラブ名の由来は、ポルトガル語の「VERDE」(緑)からの造語だという。「常に停滞を嫌い、異端児と時に言われようとも独自のスタイルを貫き通してきた」(公式HPより)クラブのルーツを探るべく、8人のレジェンドへインタビューした海老原一哉氏の『緑の血脈 東京ヴェルディ 異端の源流』(彩図社)から、北澤豪氏のインタビューを紹介する(前後編の前編。以下、引用は同書より)。

読売クラブに入って…
〈東京都町田市で生まれた北澤がサッカーを始めたのは小学校1年の時。
町田はサッカーどころとしても知られており、北澤が入団したFC町田も全国的な強豪チームであった。
「情熱的な指導者がいてね。追い込み型の練習で強くなった。まあ今で言えばパワハラな感じかな。だけどおれには合っていた。当時のおれはそれが嫌いではなかった。そもそも、あの時代は、それが正統派のサッカーの練習だったしね」
同じ都内では読売クラブも活動をしていた。ただ、小学生の頃は実際に試合をするなどの接点はなかったそうだ。中学生になると同級生がFC町田から読売クラブに加入する。そんな影響もあって、北澤も1週間の練習参加を経て読売クラブのジュニアユース(ユースB)の一員となった。
「ちょっと変わった人が行く感じかな。不良っぽいけど、不良じゃない。とにかくサッカーを追求しているオタクって感じ。悪い雰囲気のあるオタクだね。生意気な感じもあってね。“頑張るぞ!”みたいなのはない。とにかくサッカーの種類が違った。中体連のチームも試合をやってくれなかった。たぶん生意気な感じが嫌だったんじゃない。実はうちの親父もそんな気風は好きじゃなかった。同じ読売のジャイアンツは大好きだったのにね」
サッカーオタクたちを満足させる土壌は充分にあった。
グラウンドに年齢での垣根はない。同じ敷地内ではトップチームのメンバーも練習をしていて、時間があれば中学生の練習にも参加をしてくれる。また逆にトップチームのボール回しに中学生が参加をすることもあった。北澤はトップチームが練習をしていると、ギリギリの場所まで近づいて、そのプレーを盗もうとした。特に研究したのが、川勝良一のアウトサイドキックであったという。
一方で、トップの選手たちもセンスのある若い選手を見つけることに喜びを感じていた。期待の選手を見つけると、刺激を与えようとして意図的に一緒にプレーをした。
北澤たち中学生も、トップチームの選手とミニゲームをすれば必死になった。なんとか、“一撃”を食らわせてやりたいと。
「でもね。もう汚いの。思いっきり蟹挟みをしてくるし。大人が中学生にそんなことするのって驚くよ。ただ、それが心地いい。超楽しかった。(与那城)ジョージさんは、これをやってみろって感じでいろんなテクニックを見せてくれたよ。シャペウとかさ。中学校の部活だったら、そんなの必要ないで終わりだよね。でもそんなテクニックが僕らのサッカーの発想力をかきたててくれたんだ」
トップチームの選手が中学生たちに影響を与えたのは、プレーの面だけではない。
与那城からはクラブハウスでカレーを奢ってもらったという。トップ選手以外はクラブハウスで食事をすることはできない決まりだったが、あえて与那城は彼らにカレーを食べさせた。
「トップ選手ってこうなんだぞって見せてくれるんだよ。おれたちに夢を与えるためにね。そういう人だった。都並(敏史)さんも、練習から帰る時に会うと車に乗っけてくれる。当時はBMWだったかな。いつかこんな車に乗ってみたいって思ったね。もうね、そういう刺激は当たり前のように感じさせてもらっていた」
中学生は、火曜から金曜が練習で、土日が試合。月曜は休みだった。
しかし、休みの月曜でもグラウンドに行くのは当たり前だった。
「当時はとにかくサッカーが楽しかったんだ」
正式な練習日では戦術確認などのグループレッスンのみだったので、自主練習で個人の能力を高めていた。
「それぞれ自分の目的を持って、プランを立てて自主練習する。練習は人にやらされるもんだって考えとはまったく違う世界だよね。それで自主練習が終わると、他のメンバーもいるから、みんなでサッカーについて話し合ってね。グループディスカッションをやるようになった」
年齢に関係なく飛び級でトップチームに昇格することも当たり前だった。
トップチームに入れば特待生として会費が免除となる。金銭面で優遇されるということは、プロの世界に入ったことと同じだと意識させられた。わかりやすいメリットを提示することで、自分もプロの選手だという雰囲気を作ってくれた。
「同級生でも何人かトップで練習をしていたやつはいたよ。まあ、とにかく上手ければ年齢は関係ないから。残念ながらおれはトップチームではやれなかったけどね。ただ、とにかくトップチームの練習に入りたくて、自分が上手くなるためにはどうすればいいのかって必死に考えた。そのためにはどんな練習が必要なのかって」〉
高校でのあだ名は「ヨミウリ」
〈北澤の1つ下の学年に中学生にしてトップに練習参加をした選手がいる。読売天才サッカー少年の1人とされている菊原志郎だ。その後、16歳でトップチームの試合に出場することになる。
「志郎は小学校の頃から読売クラブでね。テクニカルで柔らかくて、両足を使えてね。あと大人みたいな思考を持っていた。中学生になると、さらにパワーもついてきて、ものすごく強いシュートも打つようになってさ。なんでそんなに上手いのって聞いたら、親父にすっごく練習させられているって言っていて。なんだお前、やらされてんのかよって」
また、すでに世界のサッカー界では契約の際に代理人がいることを当たり前のように中学校の時から知っていたそうだ。
「自分の権利は自分にあるってこともわかっていたんだ」
日本に目指すべきプロリーグがない時代であった。しかし、プロのサッカー選手として必要なことは何か。中学生の北澤は、そのすべてを読売クラブで学んでいた。
中学を卒業後、サッカーをどこで続けるか。
北澤豪が選んだのは、読売サッカークラブではなく修徳高校であった。
修徳は東京都のサッカー強豪校である。ただ、読売クラブで揉まれた北澤であれば、充分に実力を認めてもらえるはずであった。
しかし、あまりにも文化が違う。
「まず全然、誰も近づいてこない。なんだあいつみたいな感じだった」
当時はクラブチームのサッカーというものに対して、なじみがない。特殊な経歴を持っている北澤は、部活内ですぐに異端視された。
「おれは入部して先輩のことを〇〇君って呼んだのよ。読売クラブの時はそれが当たり前だったからさ。そしたら、もうボッコボコ。きつかったよ」
そして、ついたあだ名は“ヨミウリ”だった。
もちろん北澤が読売クラブ出身であったことが理由である。
ただ、“出身”というだけが理由ではない。
「高校に行ってもずっと読売のユニフォームで練習していたからね、ははは。だからそんなあだ名になったんだろうね」
体育会的な雰囲気になじまなくてはいけない。
ただ、北澤自身も一本筋が通った男である。簡単にすべてを体育会にあわせようとはしない。
「多少、守らなくちゃいけない上下関係ってのもあると思うけど、結局さ、みんなサッカーをやって損しない方がいいじゃない。楽しくやった方がいいじゃん。勝った方がいいじゃん。そんな感覚はどうしても伝えたかった」〉
自己流を貫く
〈北澤は朝練習には参加しなかった。下級生だと声出ししかさせてもらえず、ボールを使う練習ができないのが理由だ。
「どうせボールが蹴れないならば、自分の家で練習した方がいいと思ったんだよ。その方が上手くなるじゃん。まあ、もちろん先輩たちにはムカつかれてね。それでも、おれは声出しなんかしたって上手くならないって言い返しちゃう。この朝練の件は監督も怒っていたみたい」
ただその後、監督は朝練の時間に必死に自主練習をひとりでしている北澤の姿を見かけることになる。決して北澤がさぼっているわけではないことを理解した監督は、それ以来、朝練の参加はうやむやにしてくれたそうだ。
他にも納得ができないものに坊主頭があった。
「おれは在学中に5回、坊主にしろって言われてね。1回だけ負けた責任で坊主にしたよ。しょうがないから。でも他の4回はおれが試合に出ていないのに負けたから坊主にしろって言われたんだよ。ふざけんなって話。それならおれを使えって話だよ。だから坊主にしなかった」
浮いた存在であった北澤だったが、すべての上級生から敬遠されたわけではなかった。多くはないが北澤に興味を持つものもいた。
そもそも、サッカーに対する姿勢が真剣であればあるほど、北澤から読売クラブのサッカーについて知識を得たいと思うのは自然なことだろう。
「そんな先輩たちには本当に救われたね。おれの読売クラブでの経験をリスペクトしてくれたのは、素直にうれしかったし」
北澤が自身のスタイルを貫き続けると、修徳高校のサッカー部は変わりはじめた〉
高校を卒業後、本田技研に入社する北澤氏だが、読売に復帰する。サッカー選手としての自身を振り返りながら、クラブの強さや魅力、そして「魂は読売サッカークラブある」理由まで、楽しそうに語る北澤氏の顔が見えてくるようだ。
【後編は「キムタクと並んでベストジーニストに選出! 『北澤豪』が明かすJリーグ創世期を牽引した“ヴェルディ伝説” 『プロとしてサッカーに注目してもらうために、どう見られるかを意識していたんだ』」】
デイリー新潮編集部
