熊本地震「灼熱の被災地」【現地ルポ】…断水・停電下の被災地で続く車中泊と支援の深刻なミスマッチ
観測史上最高となる40度超えの酷暑で、熱中症による死亡事故も発生
地震発生から2日後の7月30日、熊本空港に降り立ったFRIDAY記者は最大震度7の激震が襲った氷川町へと車を走らせた。同町は全世帯の7割に相当する3000戸以上で断水・停電が発生。町役場を訪れると、自衛隊の給水車による支援の真っ只中だった。
午後2時の時点で手元の温度計は35度を超えており、強烈な日差しで、立っているだけで汗が吹き出してくる。直射日光に晒(さら)された皮膚は真っ赤に変色。火傷のように疼(うず)き始めた。空港で麦わら帽子を買わなかったことを後悔しながら、給水所を訪れた人々に声を掛けた。水を汲み終えた60代男性は不安を隠さなかった。
「汗をかいても顔を洗う水がない。洗濯もままならなん。復旧の目処は立っていないそうです。命の危険を感じとります」
給水所では中学生らしき数人の女子学生が飲料水やアルファ化米の配給作業を手伝っていた。彼女たちも避難所暮らしだが、「動ける私たちができることを考え、やっていかないといけない」と自主的に参加しているという。猛暑の中で率先して支援活動を行う姿に頭が下がった。
夕方、死者20人を出した八代市に入った。日が沈んでも気温は大して下がらない。刺すような日差しこそなくなったが、湿度は60%を超えており、まるでスチームサウナに入っているように、ねっとりとした熱気が体に絡みつく。
八代市役所の駐車場に車を停めて打ち合わせをしていると、かすかな違和感を覚えた。夜が深まるにつれ、どんどん車が集まってくるのだ。300台以上入る駐車場は、夜8時前には半分も埋まらない状態だったが、深夜0時を回る頃には8割ほどが埋まっていた。
場内には仮設トイレが10基設置されており、市民が車中泊をするために集まって来ていたのだ。中にはわざわざレンタカーを借りて来た家族もいた。
なぜ、彼らは車中泊を選ぶのか――。スズキのソリオで奥さんと二人でやって来た50代男性がその理由を明かす。
「10年前に地震が熊本を襲った時は震度5〜6クラスの余震が相次ぎました。余震による倒壊が怖いけん、自宅では安心して寝られんとです」
実際、この夜も余震が続いた。記者が体感しただけでも5回ほど。小さい規模の地震でも車は大きく揺れる。その度に起こされ、熟睡することはできなかった。
夜が明けると、灼熱の太陽が地震による生々しい爪痕を照らし出した。国の指定史跡である八代城跡に建つ八代宮は拝殿が全壊。生活道路に架かる「植柳橋」は歩道が崩落し、八代インターチェンジの近くの道路には断層が地表に突き出した箇所もあった。2m以上あるだろうか、人間ではどうすることもできない巨大な地殻変動の爪痕を前に、背筋が凍った。
震発生翌日に届いても使えない…政府支給のクーラー利用不能なわけ
政府による支援物資が続々と届いているが、肝心の暑さ対策には課題が残る。小泉進次郎防衛相(45)は地震発生翌日にクーラー300台を熊本に輸送したと豪語したが、現場の電力環境とのミスマッチが起きているのだ。最大震度7を記録した宇城市内の避難所で生活する女性が語る。
「10年前の地震の教訓から生活必需品や食料品は十分な備蓄があり、あまり不便を感じていません。ただ……暑い。とにかく暑いんです……。国からキャスター付きの移動式冷却機『スポットクーラー』が12台支給されましたが、消費電力が大きく、全てをフル稼働させることはできません。
市内にある小野部田小学校の避難所にもクーラーが数台入ったそうですが、稼働に耐えられる電源がなく、放置されているそうです」
爆発事故のあったイオンモール熊本や熊本城にも足を運んだが――猛暑は取材班をも蝕んだ。取材3日目にして、同行していたカメラマンが脱水症状に陥り、取材を打ち切らざるを得なかった。
8月3日には、県内で観測史上初めて最高気温が40度を超える「酷暑日」を記録。車中泊をしていた70代女性が脱水症状の疑いで亡くなるなど、地震と歴史的猛暑の二重苦が被災地を襲っている。これ以上犠牲者を出さないためにも、真に適切でかつ迅速な支援が求められている。
『FRIDAY』2026年8月21・28日合併号より
