『ヤクザと憲法』で主演として描かれた有名組長が明かす「ヤクザからカタギ」になるということ

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組は解散し事務所は更地に

大阪・堺市の住宅街の一角。かつて、ある暴力団の事務所があった空き地の前にその男は立っていた。川口和秀氏(73)。指定暴力団・東組二代目清勇会の元会長で、’15年にテレビ放送、’16年に映画として公開されたドキュメンタリー『ヤクザと憲法』で主役として描かれた人物だ。

同作は、組事務所にカメラを入れて極道社会の日常を赤裸々に公開。全国的に暴力団排除の流れが強まる中、「組員の子どもという理由で幼稚園から受け入れを拒否される」などの事例を挙げ、暴力団と人権の在り方について世に問いかけ、大きな反響を呼んだ。

あれから10年あまり――。川口氏は’22年に暴力団の世界から足を洗い、組も解散した。暴力団員は組を離れても原則5年間は反社会的勢力と見なされる通称「5年ルール」があるが、来春にはその制約も解ける。一つの区切りを前に、この4年間の暮らしぶりを明かした。

「今でも会社によっては作れないクレジットカードがある。車は買えない、保険にも入れない。そういう不便さは、当たり前にあるわな。ただ、わしの場合はたまたま地元の銀行で口座を作ることができた。その銀行がどういう判断をしたんかはわからんけど、ありがたいわな」

事務所は3年前に取り壊され、土地は第三者に売却した。引退はあっけないものだったという。

「大阪府警のマル暴の担当者に電話をかけてね、言うたんです。『もう、看板おろすわ』と。解散届とか、形式ばった書類は特に出さんかったね。手続きはそれだけ。サッパリしたもんでしたわ。

事務所には絵画や骨董品が色々あったけど、少しでもお金になるように売ったり、お世話になった人にあげたりして、なんも手元にはないわ。まぁ、自分で持ってても、しゃあないしな」

引退の理由については「スジの通らないことや裏切り、色々あったからね……」と今は多くを語らない。しかしその後、かつて所属した組織の関係者からの嫌がらせが相次いだ。

車の窓ガラスが割られ、車内に消火器を噴射されたほか、ナイフが刺さった豚の生首を知人宅に置かれたこともあった。引退したからといって平穏無事という訳にはいかなかったのだ。

30人ほどいた構成員は散り散りに

’15年当時、30人ほどいた構成員は散り散りになり、所在不明の者も少なくない。中には生活のために違法行為に走り、服役中の者もいる。

「飯食えてる奴は、ほとんどおらんのとちゃうかな。『暴力団』と指さされて、仕事にも就けないしね。結局、ヤクザという経歴はずっとついて回るから。

幹部も含めて、何人か逮捕されとるわ。

組を辞めても警察からはマークされるしな。もう解散したんやから、こっちから連絡取ることはほとんどないけど、何かあれば相談に乗るようにはしとるわな」

それでも川口氏が再び元の世界に戻ることはなかった。カタギの仲間ができたからだ。

「業種はバラバラ。不動産関係やら製造業やら、運送、物流関係まで。組員たちはいなくなったけど、そういう人たちと知り合えたという面では、ヤクザを辞めてよかったと思ってる」

川口氏は中学の途中で学校に通わなくなった。2年生の時、教師から差別的な扱いを受けたことが原因で、校舎に放火するという事件を起こしたのだ。その後まもなく暴力団の世界に足を踏み入れた。17歳の時には対立組織の組員を拳銃で撃って重傷を負わせるなど武闘派として血で血を洗う日々を送った。

一方、貧乏ながらも厳しかった父親の教えで、「弱い者いじめは絶対にしない」ことを信条とし、一般人に手を出すことはしなかったという。今も馴染みの飲食店や商店に顔を出すと、常連客から「会長」と気軽に声がかかり、時には初対面の相手とも酒を酌み交わして語らう。

50年以上身を置いた暴力団の世界から離れて暮らす中で、今、何を思うのか。心境を問うと、こんな答えが返ってきた。

「道を極めるという点では、どちらにいても同じや。ただ、今の立場でしかできないことをやる。これからは障害者の就労支援とか、社会貢献をするつもり。わしは刑務所に30年近くおったから、その分を引いたら歳はまだ40歳くらいやと思っとる。人生これからなんや」

そう言うと、川口氏は静かに笑った。

『FRIDAY』2026年7月31日号より