※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年4月号からの転載です。





「看護師」と聞いたとき、多くの人がイメージするのはおそらく女性の姿だろう。実際、日本の看護師の中で男性が占める割合は、令和の今でも全体のわずか8%程度に過ぎないのだから。

「少ないですよね。だからこそ、まず私自身が知りたかったんです。世間にたくさんある職業の中から、なぜ彼らはあえて看護師を目指すと決めたのか。その背景には、女性とは異なる強い動機や理由がそれぞれにあるはず。そういうことを小説で書いてみたいと思いました。それに、男性看護師というテーマを通じて、この仕事の魅力をもっと伝えたいという気持ちもありました。私自身も今年で看護師歴21年目ですから」

 看護師と作家、二足の草鞋を履き続ける藤岡陽子さんの最新作『青のナースシューズ』は、男性看護師の卵たちの物語だ。看護大学に入学した主人公の成道が、壁にぶつかりながらも成長する姿が描かれる。

「執筆にあたって、今回はとりわけ詳細な取材を重ねました。男性が看護師の免許を取れなかった時代に看護を自身の一生の仕事にすると決めて働き続けた60代のパイオニアの方、法改正後に誕生した男性看護師の第一世代ともいえる40代の方、さらに現役看護学生の男の子たち4人と、いわば三世代にわたってお話を聞かせていただきました。取材を通じて感じたのは、それぞれの世代ごとに苦労が異なること。居場所がないところに居場所をつくろうと奮闘して道を切り拓いてきた苦労もあれば、演習でペアを組むことを女性のクラスメイトに拒絶されるしんどさ、病棟で患者に否定されるつらさもある。それでも看護師に憧れ、強い覚悟を持って進んだ彼らの歩みを、丁寧に伝えたかった」

 春、華やかな女子学生たちがひしめき合う看護大学の入学式で、成道は期待に胸を膨らませていた。交通事故で下半身に損傷を負った弟の晴道、仕事に追われて余裕がない母と3人で暮らす彼にとって、看護師になることは長年の夢だったからだ。

「人生は思い通りにならないけれども仕方がない。そんな不遇な立ち位置の、自分を諦めている子を主人公にしよう、ということは決めていました。成道は世間的に見れば、ヤングケアラーと呼ばれる立場かもしれない。でも弟の介助や家事を自分がしないと家が回らないとわかっているから、現実を受け入れている。そう諦めていた彼が、希望をひとつ見つけたときに、そこから世界がどうやって大きく変化していくかを軸に物語を進めていきました」

■白ウサギの集団に交じった黒ウサギたち

〈自分からすれば大学生になることは雨上がりに見える虹のようなものだった。いつ消えてもおかしくはない〉。高校生の成道はそんな思いで未来へ手を伸ばすことを諦めかけていたが、家から自転車で通える距離の看護大学に授業料免除の特待生枠があると知り、猛勉強して見事特待生の権利を勝ち取る。原動力になったのは、幼い頃に抱いた“白衣の天使”ならぬ“白衣の力士”への憧れだ。だが女性が9割を占める現場だからこそ、マイノリティである成道たち“男性看護師の卵”たちは、大学や実習先でさまざまな偏見や困難に直面する。

「私自身も過去に見聞きしましたし取材でも聞いた話ですが、『男の看護師は使えない』と口にする看護師も中にはいるんですね。でもそれって、単純に数が少ないから目立つだけだろうなと思っていて。白ウサギの集団に黒ウサギが少しでも交ざると目立ちますよね? 男性看護師も同じで、現場で同じミスをしても、数が少ない男性のミスが目立って見えるだけ。でも、そういう理不尽な眼差しを乗り越えて行こうとする物語でもあります」

 

 黒ウサギとして奮闘するのは成道ひとりではない。東日本大震災がきっかけで看護師を志した伊佐、性自認に悩んだ過去を救われた経験を持つ美国など、数少ない同性のクラスメイト5人は互いに励まし合い、やがて実際の患者を担当する病棟実習が始まる。物語としての重心は間違いなくこの病棟実習の日々だろう。忘れられない出会いと別れを経験した泌尿器科に始まり、小児科、産婦人科、そして訪問看護の現場まで。生身の患者たちと実際に触れ合うことで、成道たちは看護師としての覚悟を固めていく。

「私自身は30歳で看護学校に入学したのですが、担当した患者さんが2人亡くなったこともあって病棟実習のことは今も忘れられません。命に関わることの怖さ、自分の未熟さ、そういういろんなことを吸収しながら大人になっていく姿をここでは書きたかった。とくに男性にとってはハードルが高く、かつ必修科目である産婦人科での母性看護学実習は絶対に書かなければと決めていました。男性看護師が妊産婦さんの直接的なケアをすることはほぼないのですが、それまで女だけのものとして閉じられていた領域に男性看護師が介入することによって、妊娠・出産は女性だけの出来事ではない、パートナーである男性たちの出来事でもあるんだという意識を持ってもらうためには、男性看護師の存在はすごく意味があるはずです。世の中の変化を示すための存在としても」

 そう、看護師の性別が男性に置き換わることで、社会の非対称性も物語の随所に浮かび上がってくる。

「看護師は女性の仕事だと考える人はまだ少なくありませんが、本当は性別はどちらでもよくて、仕事への思いの強さのほうが勝るんだ、というフラットな世界を今作では書けた気がしています。世間の目が気にならないわけではないが、それでも自分の気持ちを大事にしてやりたい仕事に飛び込んだ。今、現場にいる男性看護師の皆さんの多くはそうではないでしょうか」

■前を向ける子どもいれば踏ん張れない大人もいる

 いるだけで目立つ少数の黒ウサギの存在は、世界にさまざまな波紋を広げる。成道の弟である晴道は、兄の姿に触発され、引きこもっていた状態から新しい一歩を踏み出す勇気を抱くようになる。車椅子ユーザーである彼もまた、外の世界では少数派の黒ウサギなのだから。

「私、感化ってすごく大事なものだと思っているんです。誰かの頑張りが、別の誰かの勇気になる。そんな伝播を、晴道が自立へと向かう姿を通してわかりやすく書きたいと思いました」

 一方で、誰しもが強くいられるわけではない。それぞれに前進する成道や晴道とは対照的に、兄弟の母はどこか脆さを抱えた頼りない大人として描かれる。

「やっぱり人間、踏ん張れる人ばかりではない。自分のつらい境遇に押しつぶされながら、なんとか凌いでいる大人だって現実にはたくさんいます。兄弟のお母さんもそんな人。子どもを守りたい気持ちはあっても、本人の容量が小さいからできない。ずっと変わらないわけではないけれども、主人公たちのみずみずしい成長とはまた別に、そういうリアルなところも入れておきたかった」

 終盤、長い旅のような4年間の終着点で、成道のもとにあるプレゼントが届く。それは彼がひたむきにケアと向き合い続けてきた歳月への奇跡のようなご褒美だった。

「自分で道を切り拓いて、自分の足で軽やかに歩いていく。そんな若者の放つ光に感化されて、『また頑張るか』と思ってもらえたら嬉しいですね。作家になって18年目ですが、私はやっぱり読んだ人に希望を与えられるようなものをこれからも書き続けたいんです」 

取材・文:阿部花恵 写真:冨永智子

ふじおか・ようこ●1971年、京都府生まれ。スポーツ記者、タンザニア留学を経て看護師に転身。2009年、『いつまでも白い羽根』でデビュー。『リラの花咲くけものみち』で第45回吉川英治文学新人賞、第7回未来屋本屋大賞を受賞。『おしょりん』『満天のゴール』『晴れたらいいね』など多くの作品が映像化されている。現在も現役看護師として勤務。



『青のナースシューズ』

(藤岡陽子/KADOKAWA) 1980円(税込)

シングルマザーで働き詰めの母の代わりに、車椅子生活の弟の面倒を見る日々を送っていた岡崎成道。一念発起して看護大学に進学した成道は、偏見や実習現場の壁に戸惑いながらも、仲間や患者との交流を通じて「ケア」の本質に触れながら成長していく。現役看護師の著者が圧倒的リアリティで描く、みずみずしい若者たちの葛藤と成長の物語。