「私のことを一番にわかってくれ、一緒に生きてきた指は最高の友だちなのです」(撮影:宮崎貢司)

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2025年下半期(7月〜12月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2025年10月22日)*****日本最高齢のピアニスト、室井摩耶子さん。終戦間際にデビューして以来、長年観衆を魅了してきました。百寿を超えた今も、音楽の探求を続けています。(構成:山田真理 撮影:宮崎貢司)

【写真】ピアノに向かわない日も、楽譜は絶えず開いているとにこやかに話す室井さん

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思うようにならなくても、指は一番の友だち

この4月に、104歳の誕生日を迎えました。当日は各地から教え子の皆さんがお祝いに駆けつけてくれ、海外からもきれいなお花を贈っていただいて。本当に嬉しいことです。

ピアノの専門誌『月刊ショパン』で連載しているエッセイは、9月号で130回目。大腿骨骨折で入院した間の数回を除けば、休まず10年以上も続いているのだから、自分でも驚いてしまいます。

小学校の卒業文集に「大きくなったらピアニストになって世界中を回りたい」と書いたその言葉通り、23歳でソリストとしてデビューし、ドイツ留学を経てヨーロッパを中心に25年。59歳で帰国してから100歳を過ぎるまで、国内外で演奏活動を続けてきました。

連載では、そうしたよしなしごとを、頭の中にあるずだ袋――と言っておわかりになるかしら(笑)? 大きな袋から引っ張り出すようにして、綴っています。

今年の春あたりまでは原稿用紙に直筆で書いていたのですが、近頃は筋肉が落ちて指先を細かくうまく動かせず、「一」と書いてもにょろにょろっとマス目からはみ出してしまって。今は口述筆記をお願いしています。パソコンも動画やブログを拝見するのに使っているのですが、指がすべって変なボタンを押して、ぴゅーっと違う画面に飛んでしまったり。(笑)

そんな調子ですから、思うようにピアノに触れることができない日もあります。そういう時、私は自分の指を眺めながらしみじみと「あなたたち、今までよくやってくれたわよね」と語りかけるんです。指は私の友だち、一番の親友というのかしら。

「あの時、あんな曲を一緒に演奏したわね」「そうでした。良い音が出て嬉しかったですよね」と心の中で会話します。穏やかに話ができることもあれば、どこか痛みがあったり具合が悪いと、「あなたの言うことなんて聞きません!」と意地悪を言われることも。

「お願い、言う通りにしてよ。あなただってそんな音、出そうと思ってないでしょ」「いいえ、それはあなたのタッチが悪いんです」なんて言い合いになったりね。でもやっぱり、私のことを一番にわかってくれ、一緒に生きてきた指は最高の友だちなのです。


応接間にはお祝いの花や手紙が飾られている

自分に正直に、体の声を聞くこと

おかげさまで、現在も自宅で一人暮らしをしています。骨折で何度か入院してからは、室内では歩行器や車いすを使い、毎日の食事や身の回りのことはヘルパーさんにお願いをして。

100歳を超えればいろいろと不具合も出てきますが、大切にしているのが、「体調リベラリズム」。大正リベラリズムをもじって私が考えた言葉ですから、ご存じない方がほとんどね。(笑)

個人の自由な意思を尊重するリベラリズムの考えにもとづいて、「自分の体が欲していること」に従うというのが、私なりの健康法です。

決まった時間に寝て起きる、規則正しい生活が健康にいいといわれるけれど、「体調リベラリズム」において、従うべきは体の声。夜は眠たくなったら寝て、朝も目覚ましはかけずに起きたい時間に起きます。

昼間に何かやることがあっても、眠気が来たら横になってシエスタ。結果、一日寝てばかりになっても、体が「そうしたい」と言っているのだから従わないと。

食べることも大好きです。今朝の朝食はトースト、トマト、ウィンナー、目玉焼きにカフェオレ、ヨーグルト。食料品は、栄養士さんが考えたものを、ヘルパーさんが買って来てくれます。ドイツで生活していた頃から、牛のフィレ肉がエネルギーの源だったものだから、時々「もっとお肉が食べたいわ」なんて駄々をこねて、用意してもらうことも。

お医者さまにも、困らせない程度に自分の意思は伝えます。先日も訪問診療をお願いしている先生が下剤を処方してくださったのですが、「夜中にお通じがあると一人暮らしでは大変なんです!」と訴えて、飲む回数を減らしてもらいました。

大腿骨骨折でリハビリ病院にいた時は、理学療法士さんに筋肉の動く仕組みについて質問攻めにして困らせたこともあります。近頃は腕が痩せてきたことで、上から触ると「なるほど骨はこう付いていて、関節はこんなふうに動くのか」とわかってきて、面白いものです。

人間の深さが心に響く演奏につながる

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト――素晴らしい音楽家たちの生み出した作品を、私たちは楽譜として受け取っています。たとえばドミソという音型があったとして、作曲家はどういう意味で、どんな感情を込めてそれを使ったのか。演奏家は自分という個性をもとに、作曲家と「対話」しながら深く探っていくのです。

メロディの変化の中には緊張もあれば弛緩もある。ちょうど人間の生活と同じですね。悲しみもあれば喜びもある。だから、人の心に響く演奏をするには、人間というものの深さが必要なのです。それがないと、「テクニックは素敵だったけど、聴いていたら寝ちゃった」なんてことになるでしょう。

音を出すにしても、ただ指をピアノの鍵盤に乗せて押すだけでは音楽になりません。ピアノのタッチというのは本当に繊細で、たとえば「怒ったような音」を出したい時に、力まかせに叩いても駄目。鍵盤の奥深くまで押さえることで、強く重い感情を伝えることができる。それを理解するまでにも、長い時間がかかります。

だからピアノに向かわない日も、楽譜は絶えず開いているんです。一つの曲でも、若い頃に読んでいた時と、今では受ける印象が大きく変わったりします。そのようにして、「ベートーヴェンはこう思ったのだろうな」「モーツァルトが伝えたかったのはこれかしら」と考えながら、作曲家の思いに適した表現を探っていく。

ピアノを弾いている間にも、「この感情じゃなかった!」と気がついて、また違う音が自分の中に生まれます。ですからいい加減な気持ちで弾くと、せっかくそれまでお話ししていたベートーヴェンやモーツァルトが、庭から外へ逃げちゃうの。(笑)

ドイツで師事したヘルムート・ロロフ先生に、ある時、「私がバッハの音楽はどういうものかをちゃんと考えて弾こうと思ったら、200年は生きなければ駄目ですね」と申し上げたら、「それは僕にとっても同じだよ」とお答えくださったことがありました。音楽の道には、終わりがありませんね。

104歳になって、どうですか? とよく聞かれますが、私としては、一日一日、音楽の真髄を極めようと、同じことをしてきただけなんです。年を重ねるにつれて、ピアノを弾くためのエネルギーは落ちていくけれど、それでも私とピアノは切っても切っても切れない深い関係。弾けば弾くほど、新しいことがわかるのよ。

今の自分にできることを、思うままに精一杯しているから、生きていて幸せだなと思います。そうしてまた私の頭の中のずだ袋が、いろいろな記憶でふくらんでいくのです。