シッター代は「バーキンくらい」実業家になった歌舞伎町No.1キャバ嬢が6億円の自宅で明かす成功術
「歌舞伎町No.1キャバ嬢」として一時代を築いた愛沢えみりさん。現在はシングルマザーとして子育てをしながら、株式会社voyageの代表取締役としてアパレル、スキンケア、歌舞伎町のキャバクラ「フォーティーファイブ」のプロデュースなど6つの事業を展開している。
その一方でタレントとしてプラチナムプロダクションに所属。YouTube番組「LAST CALL」での率直すぎる発言が話題を呼ぶなど、プレイヤーとしても注目を集めている。夜の頂点から“その後の人生”まで、マルチに活躍する彼女の半生を聞いた。
カリスマキャバ嬢のイメージがあるえみりさんだが、18歳で地元の横浜から上京し、初めて働いたキャバクラでは「まったく売れなかった」という。
「六本木のお店に2年いたけど、全然で(苦笑)。20歳で歌舞伎町の店に移籍してからは、街と担当の黒服さんとの相性がよくて、割とすぐに売れました」
いかにして彼女は歌舞伎町でナンバーワンに登り詰めたのか。
「まずは休まないこと。あとは電話ですね。コールセンター並みにかけまくっていました。一日50件とか(笑)。同伴も毎日します。普通は一日1件だと思いますが、私は4件。一人目とご飯に行って、お店に連れて行って『着替えてくるね!』って外に出て、二人目と軽くお茶してお店に連れて行って……これを4回繰り返す。どのキャバ嬢に話しても『信じられない!』って言われますね」
一人の太客に依存しないことも彼女のマイルールだった。
「毎日15組前後の指名があるなかで、必ずフリーについていました。どの事業でも新規開拓は基本。既存のお客様にだけ甘えて、新規を取りに行くことを怠っていたら衰退していくだけです。“フリーについていれば大丈夫! 絶対、新規を取れる!”という自信があったので、メンタルもブレなかった。
やっていることはほとんど営業マンです。いまみたいにSNSとかがあったら、集客や営業はラクだったかもしれない。だけど、泥臭い営業が必要な時代のキャバ嬢だったからこそ、経営者になれたんだと思っています」
令和のキャバ嬢は「マネーリテラシーが高い」
えみりさんが現役だった頃のキャバ嬢と現在のキャバ嬢の違いは「ビジュアル」だという。
「いまの子は見た目のポテンシャルが高い。美容整形が昔より一般的になってるからか、みんなキレイです。ただ、キレイやかわいいが当たり前すぎるのと、似た顔の子が多いから、個性を出すのが難しくなっているかもしれないですね。
あと、働いている子の層が180度変わりました。現役の早慶生がバイト感覚でキャバ嬢をしていたり、元大手企業の子が退職してキャバクラ1本で勝負していたりする。昔はそれこそ、元ヤンキーや、水商売しか経験がないっていう子が多かったから、業界自体が変わったなぁと感じます」
その理由について「キャッシュが一番手元に残るからでは?」と推測する。
「キャバクラで稼いだおカネで起業したり、投資したりっていう子が多いです。自分の長い人生設計の中で“いまはキャバクラという職場を使って稼いだほうが有利”だと考えて働く子が増えたのではないでしょうか。業界自体がインフレを起こしているから、確かに働くならいまが一番いいと思います」
えみりさんは意外にも絶頂期の23歳の頃には「この生活は長くは続かない」と感じていたという。
「20歳で歌舞伎町に来てから“1番であること” にこだわって頑張っていたけど、がむしゃらに頑張っていたからこそ、“キャバクラの仕事を第一線で長く続けることは精神的にも体力的にも難しいな”と実感していました。当時の歌舞伎町は若い子が売れやすかったから、“No.1じゃなくなる前に辞めよう”という考えは漠然と頭にありましたね」
そんなときに人気雑誌『小悪魔ageha』のモデルを始めたことで人脈が広がり、起業することになった。
「周りに『起業してみたら?』と助言されたんですが、『起業って何?』っていうレベルでした(笑)。その単語すら知らなかったし、特に社長になりたいとも考えてなかったんです」
起業後の活躍は前述の通り。実業家としての成功に「歌舞伎町No.1キャバ嬢」の仕事術がおおいに活きたと、えみりさんは言う。
「キャバクラを経験したことでメンタルが鍛えられましたし、コミュニケーション能力も磨かれた。ブランディングについての意識も高まりました。成功につながった要素はいろいろありますけど、一番は数字を残し続けたこと。結果を出し続けてきたことがビジネスに活きていると思います。
キャバ嬢ってお店に所属していますけど、あくまで個人事業主。自分で売上を立てて利益を出さねばならない。どういう営業をして、どんなブランディングをして、売上をどう維持していくか。どうやって新規のお客さんを取るか。それを総合的に自分で考えて、その過程をこなして数字と結果を出してきました。経営者になるまで気づかなかったけど、キャバ嬢のやっていることって経営者とほぼ一緒なんです。自然とその能力が身についていたのが私の強みでした」
ずっと子供が欲しかった
えみりさんはシングルマザーで2人の子供を育てており、その様子を度々SNSで発信している。お子さんについて聞くと優しい声色になったのが印象的だった。
「爆誕した♡っていうのが正直なところです。20歳くらいから子供が欲しくて、30歳でキャバ嬢を引退してからは『いつでも産まれてほしい!』って思っていました」
えみりさんのSNSで度々登場する「6億円ハウス」も、実は子育てをすることを前提にリフォームしたものだという。
「子供が欲しいなと具体的に考え始めた頃、コロナ禍でたまたま引っ越し先を探していたら、この物件に巡り会えたんです。内見に行った瞬間に『何これ?! 最高の間取り!』と一目惚れ。本当は賃貸で探していたんですが、もう『すぐ買います! すぐ払います!』って即決でした。
ほぼキャッシュで買いました。原資はキャバクラで稼いだおカネです。手掛けている事業で出た利益はすべて新規事業に注ぎ込んでおり、自宅の購入資金には一円も使っていません」
6億円というトンデモない額だが、コロナ禍ということと、元の持ち主がすぐに売りたいという状況だったことで「投資目的ではなかったけど、かなりお得なお値段になっていたかな」とえみりさんは言うのだった。
「何よりも子供を産む想定でリフォームしたので、すっごく子育てしやすい。分譲のメリットは何よりも好きな内装にできるところ」
お子さんの父親であるパートナーとは付き合いも長く、えみりさんとしては「結婚するものだと思っていた」と笑った。
「結婚して子供を授かる。これが普通の形だと思ってて、私も順当にその道を歩むんだと思っていました。だから、将来の具体的な話をパートナーとしていなかった。私の考える“普通” が、みんなの“普通”とは限らない。価値観は人それぞれ。相手と私の望む未来が違っていたんです」
パートナーと話し合った末に「一人でもいいから産みたい!」と、シングルマザーを選択。だが、悩みも尽きなかった。
「覚悟はしていたんですが、いざ妊娠してみるとホルモンバランスが崩れてメンタルのバランスがよくない時期もあって『この選択は、ミスだったかも……』とか『やっぱり結婚すべきだったかも……』と落ち込む日もたくさんありました」
だが、第2子の出産のときには「もう、全然平気でした!」と笑う。
「パートナーの存在が大事だって思い込んでたけど、私の場合、“慣れないことをしたから大変”だったんです(笑)。人間、未経験のことをするのはしんどいもの。ホルモンバランスの影響もあったでしょうけど、私の場合、出産も育児も、ただ単に未経験だからキツかった気がします。実際に2人目は楽でしたから」
シングルマザーは「ベストの選択」
現在、パートナーとの恋愛関係はない。だが、子供たちの父親・母親として仲良くしているという。
「すっごく仲がいいから、子供たちが大きくなって、私たちが結婚してないことを知ったら信じられないと思います。形はどうであれ、自信を持って“子供たちは大きな愛に包まれて生きている”って言えますね。パートナーに関しても、極論ですが、幸せになってほしいなって思っています」
シングルマザーを選択したことを後悔はしていない。だが、「仲の悪い両親に育てられるよりも機嫌がいい片親に育てられたほうがいい」という意見には、両手を挙げて賛成とはいかない。
「ちょっと言い過ぎかなって思います。実際に、仲がいい両親に育てられている子もいるわけだから、それがベストだとは思う。ただ私の中でシングルマザーという選択をしたのは、その時のベストの選択でありまったく後悔はありません」
現在は週7回シッターさんを雇い、平日の子供との触れ合いは「2時間前後」と話すえみりさん。毎月のシッター代は「エルメスのバーキンくらい」と苦笑した。仕事に没頭しているが「子供のために働いているという意識はない」とキッパリ。
「長女を出産したときは、とにかくかわいくて仕方なくて、預けたくなくて仕事をしていると『何してるんだろう』って思ったこともありました。仕事も辞めて田舎暮らしをしようかな、と考えたこともあります。
でも、子供と同じくらい一緒に仕事をしているメンバーが最高で大好き。子育てもすっごく応援してくれていて、この場所を失いたくないって気持ちも強かった。家族なんですよね。ここも守りたいってすっごく思った。
確かに一緒にいる時間は短いかもしれないけど、母親が一生懸命、仕事に向き合っている姿は刺激的だと思うし、私がやりたいことをやっている姿を見て、子供たちもやりたいことを見つけてくれたら嬉しいなって思います」
改めて、キャバクラで働いていてよかったですか? と聞いてみた。
「キャバ嬢として頑張ったことで、キャリアを積み、おカネを稼ぐことができた。これは本当によかったと思います。実は一度、六本木に戻ろうとしたこともあったんですが『今後のことを考えたら歌舞伎町のほうがいいよ。わかりやすいから』と止められました。
確かに『歌舞伎町No.1』ってわかりやすくてキャッチーじゃないですか。だからずっと歌舞伎町で頑張ってきたし、それがいまも私のブランディングとなり活きています。『37歳にもなってまだ歌舞伎町に出入りして……』って思う人もいるかもしれないけど、歌舞伎町は私を育ててくれたホーム。すごく恩恵を受けた。今後はこの街に、お返しをしていきたいです」
撮影・文:吉沢さりぃ
