『サラ・キムという女』に深みをもたらすイ・ジュニョク 画面を支配する“危険な色気”
イ・ジュニョクが、サスペンスに戻ってきた。2月13日、Netflixで配信が開始されたシン・ヘソン主演の韓国ドラマ『サラ・キムという女』。下水道で見つかった身元不明の死体を起点に、ハイブランドのアジア支社長サラ・キム(シン・ヘソン)の謎めいた素性が剥がされていくサスペンススリラーだ。『人間レッスン』や『マイネーム:偽りと復讐』を手がけたキム・ジンミン監督らしい緊迫した展開が話題を呼び、日本の「今日のシリーズTOP10」では配信直後から連日上位にランクインしている。
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その物語の中心で、静かに存在感を放っているのが、刑事パク・ムギョンを演じるイ・ジュニョクである。事件の担当となったムギョンは、死体の主と思われる“サラ・キム”を知る人物たちへ聞き込みを開始する。証言の断片を拾い集め、華やかな世界に隠された歪な真実を一つひとつ剥ぎ取っていくその姿は、一見すると冷静沈着なプロフェッショナルの姿だ。
しかし、事件の核心に触れるにつれ、その瞳の奥には静かな、だが確かな執念が宿り始める。ムギョンは刑事という立場にありながら、既存のルールや正義をどこか冷めた目で見つめているような、独特の空気を纏っている。相手を追い詰める際に見せる、衝動を秘めたような威圧感は、観る者に「この男、次に何をするかわからない」という緊張感を与える。この“端正な佇まいの裏側に、制御不能な何かを隠し持っているかのような危うさ”こそが、イ・ジュニョクという俳優が長年磨き上げてきた最大の武器だと言えるだろう。
イ・ジュニョクと言えば、伝説的なサスペンスドラマ『秘密の森 ~深い闇の向こうに~』(tvN)で脚光を浴びた俳優だ。彼が演じた検事ソ・ドンジェは、スマートな見た目とは裏腹に、常に権力を持つ者の顔色を窺う狡猾な男。出世のためなら手段を選ばず、時には犯罪まがいのことも平気で行う。一方で、保身に執着する悪徳検事でありながら、完全な悪に堕ちきれない人間臭さが強い支持を呼び、2024年にはスピンオフ『良いが悪い、ドンジェ』が制作されるほどの人気キャラクターへと成長した。
こうした、“善と悪のあいだを揺れ動く”キャラクターを演じさせたとき、イ・ジュニョクの右に出る者はいない。冷静な仮面をかぶりながら、その奥には衝動が静かに滲む。そのわずかな揺らぎが、彼が演じるキャラクターに生々しさを与えてきた。だが、『サラ・キムという女』で見せるイ・ジュニョクには、それだけでは語りきれない深みがある。ムギョンの静かな執念には、単なる“危うさ”を越えた、制御された余裕が漂うのだ。
その変化を語るうえで欠かせないのが、昨年の出演作『わたしの完璧な秘書』での鮮やかなイメージ刷新である。端正な顔立ちと高身長、スーツが似合う佇まい。かねてより本格的なメロドラマでの活躍を待ち望まれてきた俳優である。その期待に応えるかたちで、満を持して臨んだのが『わたしの完璧な秘書』だった。
本作でイ・ジュニョクは、ヘッドハンティング会社のCEOカン・ジユン(ハン・ジミン)を支える秘書ユ・ウノを演じた。仕事では完璧なサポートを見せ、私生活ではシングルファザーとして幼い娘を慈しむ。そこには、これまでの彼が纏っていた鋭利な空気はなく、大人の余裕と色気がにじんでいた。視聴者は「こんなイ・ジュニョクが見たかった」と歓喜し、SNSでも“理想の男性像”として大きな反響を呼んだ。
象徴的なのは、ジユンとのすれ違いの末に迎える横断歩道の場面だ。想いを告げたあと距離を取るジユンと、娘を持つ身として一歩を踏み出せずにいたウノ。だが、互いに相手を探して街へ飛び出し、信号が変わった瞬間、ウノは迷いを振り切るように歩み寄り、ジユンを抱きしめる。
普段は秘書として一歩引き、相手を立ててきた男が、初めて“男”として正面から向き合った瞬間。戸惑うジユンを包み込むように抱き寄せるその佇まいには、確かな大人の余裕と静かな色気が宿っていた。それは単なるロマンスの成功ではない。イ・ジュニョクが、危うさだけではない包容力を自らの武器として獲得した転換点でもあった。
こうして彼のキャリアを振り返ると、『サラ・キムという女』で見せる「危うさと余裕の共存」も、必然だったのだと分かる。物語は、サラ・キムの人生をめぐる回想と、ムギョンが関係者に向き合う対話シーンによって進んでいく。ともすれば冗長になりかねない取調室や聞き込みの場面が常に張り詰めた空気を保ち続けるのは、イ・ジュニョクが醸し出す緊迫感ゆえだ。そこには“危うさ”の名残がありながら、それを制御する理性と、相手を飲み込むような余裕がある。
危うさと余裕。その両方を手に入れた今のイ・ジュニョクだからこそ、画面は静かに、しかし確実に引き締まる。 彼はただサスペンスに戻ってきたのではない。いくつもの進化を経て、より深く、より危険な香りを纏った姿で帰ってきたのだ。(文=よしはらゆう)
