「電車に乗りたくないから在宅勤務」「職場のルールに従わない」強すぎる<自分基準>を主張する悪しき個人主義に注意
おもてなしや気づかいを身に着けたいと考えている方も多いのではないでしょうか。皇室・VIPフライトに乗務した経験を持つ一般社団法人ファーストクラスアカデミー 代表理事の香山万由理さんは「『おもてなし』はモラルやマナーといった土台があってこそ成り立っている」と話します。そこで今回は、おもてなしの土台となるモラルやマナーについて、香山さんの著書『ふるまいひとつで仕事も人生もうまくいく 気づかいの神さま』をもとに解説をしていただきました。
【書影】皇室フライトを経験している乗務員だからこそ伝えられる「おもてなし」の本当の身につけ方。香山万由理『ふるまいひとつで仕事も人生もうまくいく 気づかいの神さま』
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行き過ぎた「モラル」は人を傷つける
モラルは社会を円滑に動かすために必要な潤滑油です。しかし、行き過ぎたモラルは、時に人を傷つけ、社会を分断します。
これは、行き過ぎた「正義の押しつけ」につながりかねません。
コロナ禍では「自粛警察」という言葉が生まれました。自分が「こうすべきだ」と思っていることをしていない人に対して、ネットで晒したり、必要以上に非難したり……。
こうした行為の多くは、「社会のため」という名目を掲げながら、実際には他人を攻撃する免罪符としてモラルを利用してしまっているケースです。
同じように、社会的に好ましくない発言や行動をしたとして個人や組織をSNSなどで糾弾し、不買運動を起こしたり、ボイコットしたりすることで、社会から排除しようとする動きも行き過ぎたモラルの一例です。
また、文化的背景や価値観の違いが原因でモラル違反に見えることもあります。
そうした場合、まずは「正す」より「伝える」。寛容さを持って相手の立場や背景を理解しながら、必要な訂正をするほうが、建設的であり人間的です。
悪しき個人主義に注意
モラルは、あくまで社会全体で共有する基準であり、「自分ルール」を押し付けることではありません。
ここで大切になるのが「社会性」です。
社会性は、家族→幼稚園・保育園→義務教育……と、集団生活の中で少しずつ育まれていくものです。
そこで学ぶべきは「自分と違う基準が存在する」という事実です。
ですが、物事の善悪を完全に個人基準で決めてしまうと、それは「モラル」ではなく、「ただのわがまま」になってしまいます。
最近では、自分ルールが過剰に強く、社会を自分に合わせさせようとする「悪しき個人主義」も増えています。
たとえば、
・朝が弱いし、電車に乗りたくないから在宅勤務がいい
・体育大会はダサいし、めんどうだから参加しない
・自分のやり方が正しいから、職場のルールには従わない
「自分基準」を主張しすぎるとどうなるか……。
多くの場合、仕事の場では、マイルールが強すぎる人には大切な業務を任せにくいと思われる可能性が高くなります。
「新卒だけど在宅勤務がいい」という選択肢そのものは悪くなくても、上司は先行きが心配になるかもしれません。なぜなら他の仕事にもマイルールを適用してくる人かもしれない、チームの方針に沿わないやり方を勝手に求めてくるかもしれない……という不安が生まれ、「自分の手に余る」と感じさせてしまう可能性があります。自分の想像の範疇を超えるものへのリスクヘッジは容易なものではありません。結果として、マイルールが強すぎる人には仕事を任せたくない、となりかねません。
あえてわかりやすい例として、業務上、身だしなみ基準を厳しくする必要がある職場を挙げてみましょう。医療機関や飲食店は、衛生面、安全面が最も重要なため、髪はまとめる、アクセサリーは付けない、ネイルはしない、などの身だしなみの基準があります。
これは、仕事として守るべき基準であり、個人の好みを反映させるものではありません。
この身だしなみ基準に反している場合は、指導されるのは当然なのです。しかし、注意をされると、私はネイルをしたいのに注意してくるなんてパワハラだと騒ぐ人がいます。これは自分にだけベクトルが向いていて、個人の好みを相手に押し付けていることと同じです。
仕事にはそれ相応の基準があり、そこに各自の好みを入れていたら、仕事として成立しないからです。
モラルの健全なバランス
モラルは社会を支える柱ですが、柱が太すぎても細すぎても、社会は歪みます。
だからこそ、私たちはモラルの健全なバランスを意識する必要があります。
行き過ぎたモラルは人を追い詰め、行き過ぎた個人主義は社会を壊します。
モラルは「守らせるため」ではなく、「共に守るため」のものです。
モラル≒社会性、という意識を持つことが、安心して暮らせる社会の土台になるのです。
世の中には「声が大きい=正しい」と錯覚してしまう場面があります。
たとえば、SNSで大勢が同じ意見を拡散すると、まるでそれが唯一の正解のように見えることがあります。あるとき、マイノリティがマジョリティになることもあるのです。でも、それは単に「目立っているだけ」かもしれません。

(写真提供:Photo AC)
ある会社では、会議中に一番大きな声で主張する人の意見が採用され続けました。
結果、誤った方向に進んでしまい、大きな損失を出したのです。多数派や声の大きさは、必ずしも正義ではありません。
逆に、「少数派だから偉い」というわけでもありません。
極端なことを言うなら、犯罪者もマイノリティですが、それを「少数派の意見」として受け入れてしまっては、社会の安全は保てません。
大事なのは、その意見が社会や人の安全・安心にどうつながるのかという中身なのです。
モラルの背景を知ると、それを守る理由がわかります。
モラルやルールは、何となく作られたわけではありません。その背景や理由を知れば、「なぜ守るべきか」が腑に落ちるのです。
TPOもモラルの一部
TPOもモラルの一部です。
たとえば、ビキニの水着を海やプールで着ることは何も問題ありませんが、電車の中で着ていたらどうでしょう?
ビキニ姿で電車に乗っていたら、個人の自由かどうかという問題ではなく、場をわきまえない服装になってしまいます。このような「TPOを無視した自由」は、周囲を不安にさせるだけです。
モラルとは、自分の自由と他人の安心のちょうどいいバランスを探ることでもあります。
つまり、モラルは守ること自体が目的ではなく、周りと安心して関われるための土台であることを忘れてはいけません。
この「モラルの健全なバランス」を理解すれば、
・過剰な正義の押し付け(モラルハザード)を防ぐ
・個人の自由と社会の安全を両立させる
ことが可能になります。
モラルを守ることは、自分の心と体を守ることにつながります。
・善悪の線引きができる
・命や安全を脅かさない
・周囲に不安や恐怖を与えない
・余計なトラブルに巻き込まれない
もちろん、時にはモラルが窮屈に感じることもあるでしょう。ですが、守ることで得られる安心や信頼は、失って初めてその価値に気づくことが多いのです。
神ポイント
・モラルは自分と他者の尊厳を守るために存在する
・自分の基準が正しいか迷ったときは、相手の立場や背景に目を向ける
※本稿は、『ふるまいひとつで仕事も人生もうまくいく 気づかいの神さま』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
