NHK「ばけばけ」では、ヘブン(トミー・バストウ)とトキ(眄个△り)が松江を去ることになった。モデルとなった小泉八雲は、なぜ熊本に行ったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。

■松江の人たちは“笑顔で送り出した”

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。ついにヘブン(トミー・バストウ)は、トキ(眄个△り)の家族と共に、離れがたい松江を去ることに。

さて、八雲が松江を去って熊本に行くといった時、松江の人は特に慰留はしていない。それ以前から話はあったかもしれないが、熊本に移る話が決まったのは10月上旬。そして、出発は11月15日。わずか1カ月あまりの慌ただしさだ。当然、中学校は学期中。当時は新学期が9月からなので、新学期が始まって間もなく「やめます」と言い出したわけだ。

まだ契約期間が5カ月余り残っていた。まったく迷惑千万である。

でも、松江の人が急な退職に怒っていたという記録はない。それはなぜか。移る先は熊本の第五高等中学校、後の第五高等学校--当時は、卒業すれば無試験で帝国大学に入学できる超エリート校だ。県内のエリート校に過ぎない松江中学校とは格が違う。おまけに給料は松江中学校ではとても払えない月俸200円。これでは邪魔するわけにもいかない。笑顔で見送るのが一番角の立たないやり方だ。

こうして八雲は、セツの家族と共に熊本へと去った。八雲がなぜ松江を離れたのか。その動機は、冬の寒さに耐えられなかったこと、そしてセツをはじめ面倒を見なければならない家族が増えたからだとみられている。

筆者撮影
筆者が松江市内で見つけた“小泉八雲” - 筆者撮影

■金の使い方が“出鱈目(でたらめ)”だった八雲

さて、月に100円というのは、当時の島根県ではかなりの高給であることは、これまでも語られている通りだ。当時、家族もいる西田千太郎(英語教師・錦織のモデル)の月俸が45円程度。それで十分にやっていけている。いくら面倒をみなければならない家族ができたとしても、100円あれば十分に回るはずだ。まして200円ともなれば、家族に何不自由なく贅沢な暮らしをさせてやれる。

……と、普通は考える。

ところが、松江の人なら誰でも羨む月100円の収入は、八雲にとって決して十分ではなかった。八雲はとにかく金の使い方が出鱈目な人だったのだ。

金銭には度を越して無頓着だったことを、セツはよく記憶している。たとえば、結婚して間もなく、八雲が西田千太郎と泊まりがけで海水浴に出かけた時のことだ。後から宿にやってきたセツは驚いた。

その宿に参りますと、両人共海に行って留守でした。お金は靴下に入れてほうり出してありまして、銀貨や紙幣がこぼれ出ているのです。ヘルン(註:夫の八雲)は生来金には無頓着な方で、それはそれはおかしいようでした。勘定なども下手でした。そのような俗才は持ちませんでした。(小泉節子「思い出の記」『小泉八雲』恒文社、1976年所収)

■セツは金に無頓着な八雲を“笑っていた”

靴下から銀貨がこぼれ出ている。金の管理がどうこう以前の話である。

そして注目すべきは、セツがこのエピソードを語る時の態度だ。怒るでもなく、嘆くでもない。「ヘルンは生来金には無頓着な方で、それはそれはおかしいようでした」とは、つまり、笑っているのだ。

さらには「そのような俗才は持ちませんでした」と言い切るのがぶっ飛んでいる。俗才、すなわち世俗的な才覚。普通の人なら持っている金勘定の能力を、うちの人は持っていなかった。ただそれだけのことだと言わんばかりである。

咎めるどころか、まるで金に無頓着であることが八雲の美点であるかのように語っている。聖母のような包容力というべきか、あるいは、セツもまた、俗才とは無縁の人だったのかもしれない。

ラフカディオ・ハーンと妻のセツ(写真=富重利平/Japan Today/PD US/Wikimedia Commons)

「思い出の記」は後年になってセツの語ったことを聞き書きした記録である。八雲の金への無頓着さを示すエピソードを数多く語っているところをみると、記憶に刻まれるくらい衝撃的なことの連続だったのだろう。

例えば、後年東京に移ってからのこと。この頃になると夫婦で絵の展覧会……いわゆる展示即売に出かけることが多かったが、八雲は気に入ったものがあると「金に糸目はつけん」とばかりに、買ってしまうのだ。

■「買っていい?」ではなく「よいと思いますか?」

「あなた、あの絵どう思いますか」と申しますから「おねだん余り高いですね」と私は申します。金に頓着なく買おう買おうとするのを、少し恐れてこう返事をいたすのでございます。

すると「ノウ、私、金の話でないです。あの絵の話です。あなたよいと思いますか」「美しい、よい絵と思います」と申しますと「あなた、よいと思いますならば買いましょう。この価まだ安いです。もう少し出しましょう」というのです。よいとなると価よりも沢山、金をやりたがったのです。

セツは値段が高いと牽制している。しかし八雲は「金の話でない」と一蹴。聞きたいのは絵の善し悪しだけだと言う。

いやいや、金の話だろう。

しかし、ここで注意したいのは八雲の聞き方だ。「買っていいですか」とは聞いていない。「あの絵どう思いますか」である。あくまで感想を求めているだけ。これは巧妙だ。

現代に置き換えてみるとわかりやすい。例えば、家電量販店で最新の大型テレビの前に夫婦で立っているとする。夫は買う気満々である。しかし「これ買っていい?」とは聞かない。「この画質すごくない?」と聞くのだ。妻が「きれいだね」と答えた瞬間、「だよね、じゃあ買おう」。あるいはフィギュアの予約開始日にスマホを眺めながら「この造形すごいんだよ」と妻に見せる。「よくできてるね」と言った瞬間、もうカートに入っている。

■「推しへの課金」に天井がないタイプ

八雲がやっているのは、まさにこれだ。

セツが「美しい、よい絵と思います」と答えた瞬間、「買いましょう」。早い。最初から買う気なのだ。「どう思いますか」は相談ではなく、セツに「よい」と言わせて既成事実を作りたかっただけである。あなたもよいと言った、ならば買うのは当然でしょう――明治の文豪も令和のオタクも、嫁の言質の取り方は変わらない。

しかも八雲はここで終わらない。「この価まだ安いです。もう少し出しましょう」。聞いてもいない値段を自分から上げていく。定価で買えるものにわざわざ上乗せする。俺はこの作品の真の価値をわかっている……という自負が滲み出ている。推しへの課金に天井がないタイプだ。

セツが「金に頓着なく買おう買おうとするのを、少し恐れて」と書いているのも見逃せない。よく読んでほしい。セツは「おねだん余り高いですね」と言っている。「買いましょう」とは一言も言っていないのだ。むしろ高いと止めている。それなのに夫が勝手に「買いましょう」と言い出した。私は止めましたよ?――という弁明が、行間からしっかり滲み出ている。

筆者撮影
“街をあげて”小泉八雲を推す松江市内 - 筆者撮影

■まるで“夫婦漫才”のやりとり

にもかかわらず、セツはこの話を怒りや嘆きとしては語っていない。「よいとなると価よりも沢山、金をやりたがったのです」。もう呆れている。呆れてはいるが、どこか嬉しそうでもある。この人は一度こうなったら止まらない、もう私にはどうしようもない。でも、こういうまっすぐなところに惚れたんだから仕方がない。

これはもう夫婦漫才である。ボケ倒す八雲と、ツッコミを入れつつも最後は「しょうがないわねえ」と笑って許すセツ。明治の松江から東京へ、この二人の掛け合いは生涯変わらなかったというわけだ。

しかも、この散財はまだ序の口だ。『思い出の記』には、ある時夫婦で浴衣を買いに呉服屋に出かけた時のことが書かれているが、こっちは絵画以上に強烈だ。

あれを買いましょうこれも買いましょうといって、引き寄せるのです。そんなに沢山要りませんと申しましても「しかし、あなた、ただ1円10銭あるいは2円です(註:原文のまま)。いろいろの浴衣あなた着て下され。ただ見るさえもよきです」といって、とうとう三十反ばかりを買って、店の小僧を驚かしたこともあります。

三十反。浴衣を三十着分である。驚いたのは店の小僧だけではなかっただろう。

■「入った分だけ使う」金銭感覚

そして注目すべきは、ここでも八雲の論法だ。セツが「そんなに沢山要りません」と止めている。ところが八雲は「ただ1円10銭」と単価の安さを持ち出す。一着あたりは安い、だから沢山買っても問題ない。現代のネット通販で「まとめ買いで送料無料」に引っかかる人と発想が同じである。

小泉八雲(写真=19世紀の写真家、不明/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

さらに「あなた着て下され、ただ見るさえもよきです」と追い打ちをかける。あなたのために買う、着なくてもいい、眺めるだけでいい。絵画の時とまったく同じだ。俺があなたに着させて「うんうん」と満足したいという心情が隠せてない。

このほかにも、中学校では成績のよい生徒に自腹で英語の本をプレゼントしていた記録もある。多くの著書を書くために資料収集や取材旅行を重ね、その費用もかさむ。でも、それだけではない。そもそも八雲は、金があれば使う、使い道がなくても使い道を作る……そういう人だったのだ。

考えてみれば、八雲はアメリカ時代、食うや食わずの貧乏生活を長く送っていた。そこにいきなり月俸100円である。舞い上がるなというほうが無理だろう。独身時代に身についた「入った分だけ使う」という金銭感覚が、収入が増えてもそのまま変わらなかったのだ。セツが「俗才は持ちませんでした」と穏やかに笑っていられたのも、このあたりの事情をわかっていたからかもしれない。

■「月俸200円」を魅力に感じたか

いずれにしても、こんな調子で散財を続けながら、セツの家族の面倒まで見るという男気を見せるのだから、金はいくらあっても足りない。そこに舞い込んだのが月俸200円の話だ。そりゃあ「なに、月に200円?? 行きます! いや、行かせてください」となるのも当然である。

八雲のこの無軌道ぶりは、裏を返せば途方もない楽天性でもある。対するセツは、金がないことのつらさが骨身に沁みる人生を送ってきた。だからこそ、金に執着しない八雲の姿は眩しかったのだろう。この夫婦が最後まで円満だったのも、うなずける。

ただ、そんな八雲だから、死去した時には自宅のほかに遺産はほとんど残っていなかった。まったく「カネがないところに、金が来るとこうなる」がしっくりくる人生である。まあ、それで夫婦がうまくやっていけたのだから、八雲は幸せだった。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)