歴史上の人物はどのように「神」になっていくのか【孔子は、いかにして「神」になったのか】
中国思想史研究者の湯浅邦弘さんによる新刊『孔子は、いかにして「神」になったのか』が刊行されました。
中国の思想史を孔子から始めるのは、異論のないところ。しかし、生前は自らの理想とする政治を実現できず、故郷の魯に帰り、失意のうちに生涯を閉じた一思想家が、後世、なぜ「神」のごとく崇められるまでに至ったのでしょうか?
本書では、孔子の思想が時代を経て日常の宗教・倫理として浸透していくまでのプロセスを、時代ごとの人物の果たした役割とその主要著書をもとにして解き明かしていきます。
書影
中国三千年で最も有名な人物?(はじめに より)
中国三千年の歴史――。その中で最も有名な人物をあげるとすれば誰になるでしょうか。秦帝国を築いた始皇帝(しこうてい)、その後の覇権を争った項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)、三国志の武将関羽(かんう)、詩人の李白(りはく)や杜甫(とほ)、明の永楽帝(えいらくてい)や清のラストエンペラー溥儀(ふぎ)など、数え上げればきりがありません。ただ、それらの人物をおさえて多くの人があげるであろう歴史上の人物。それは孔子(こうし)ではないでしょうか。
高校の教科書でも必ず取り上げられる『論語』には、孔子の言葉がたくさん載っています。漢文の詳しい内容は分からなくても、『論語』の冒頭にある孔子の言葉「学んで時に之(これ)を習う」は「学習」の語源として知らない人はいないでしょう。また、「温故知新」や「啓発」「敬遠」「不惑」など現代語として使われている熟語も、実は孔子の言葉に由来しています。
熟語だけではありません。心にしみる名言名句とともに、孔子の教えが仕事や生活の支えになっているという人も多いのではないでしょうか。
例えば、失敗をしてそれを改めないことこそ本当の過ちだと説く「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」(『論語』衛霊公篇)、自分がいやなことは決して他人にやってはいけないと説く「己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」(同および顔淵篇)など。
ではなぜ、二千数百年も前の言葉が今も生き続けているのでしょうか。また、孔子の教えが共感を呼び、長く尊重され続けているのはなぜなのでしょうか。
この本では、それを「孔子は、いかにして「神」になったのか」という視点から考えてみます。孔子は神なのですか、と意外に思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、生前の孔子は、王の位に就いたこともなければ、神として祀られたこともありません。
しかし、その死後、王号を持つ神として信仰の対象となります。『論語』も儒教の経典(経書)となり、文人必読の書となっていきました。これが中国の歴史と文化に大きな影響を与えていくのです。特定の時代や地域だけで尊敬される人物や文献というものはあるでしょう。ただ中国において、二千年以上にわたってそうした現象が維持されているのは孔子だけではないでしょうか。とすれば、人間孔子が神になり、また神として尊崇(そんすう)され続けた秘密を探ることは、中国や儒教の本質を明らかにする試みにもなると思います。
またそれは、「日本とは何か」を問うことにつながるかもしれません。すでに四世紀頃に、『論語』は日本に伝わったとされます。漢字から仮名を発明した日本人は、その後も、『論語』をはじめとする儒教経典を謙虚に学びました。では、孔子その人はどのようにとらえられていたのでしょうか。中国と日本では、孔子や儒教の受け止めに違いはあるのでしょうか。こうした点についてもあわせて考えてみましょう。
そこでまず、序章において、そもそも歴史上の人物が神になるとはどのようなことなのか、古代にさかのぼって少し考えてみましょう。本書のテーマがより明らかになることと思います。
人が「神」になるとはどういうことか(序章より)
御朱印帳ブームの中で 御朱印帳が静かなブームになっています。私も少し前から持ち歩くようになりました。信心深い方はすでに何冊も持っておられることでしょう。私はまだ一冊目の途中です。最初のページには奈良県桜井市三輪の大神(おおみわ)神社、その次のページには大阪天満宮の御朱印をいただきました。いずれも見事な墨筆にあざやかな朱印が押してあります。
この御朱印ブームにあやかり、鉄道には「鉄印帳(てついんちょう)」があり、空港では「御翔印帳(ごしょういんちょう)」も登場しています。スタンプラリーのように気軽に押してもらい、それが旅の記念になるというのは素晴らしいことです。
しかし、神社の御朱印には、やはり独特の風情があります。社務所で御朱印をお願いし、それができあがるまでの時間で、その神社の由来は何なのか、どのような神をお祀りしているのかなどと考えてみるだけで、敬虔な気持ちになります。御朱印をいただいて帰る時の何とすがすがしいことか。
ところで、私の御朱印帳のはじめを飾る大神神社は、日本最古の神社の一つです。御朱印の文字も、中央の大きな「大神神社」の右肩に「大和国一之宮(やまとこくいちのみや)」とあります。
ここには、どのような神様が祀られているのでしょうか。それは、日本神話の大物主(おおものぬし)の大神(おおかみ)で、実は、縁結びの神として知られる出雲大社とも深い関わりがあります。島根県出雲市にある出雲大社は大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っていますが、『古事記』『日本書紀』によれば、大物主は、その大国主命の分身のような神様で、大国主命が出雲で国造りをしていた時、啓示を受けて大和の三輪山に神を祀ることとなりました。これが大神神社の起源とされます。
また、この神社は社殿を持たず、背後の三輪山そのものをご神体としています。山に湧き出る水も、聖水として尊ばれています。日本には八百万の神々がいて、またそれは、自然の山、巨岩、大木などに寄り付くとされることから、自然物そのものがご神体となっている例も多いのです。
一方、大阪天満宮は、言うまでもなく菅原道真(八四五~九〇三)を祀る神社で、地元では「天満の天神さん」と親しみを込めて呼ばれています。毎年夏に行われる盛大な天神祭は大阪の夏の風物詩にもなっています。
もともとは、菅原道真が九州に左遷される際、この地にあった大将軍社(たいしょうぐんしゃ)に立ち寄って旅の無事を願ったとされるのが神社の由来となっています。大将軍とは、古代中国の陰陽思想を基にした日本の陰陽道で、方位の吉凶を司る八将神の一つです。大阪では、古代の難波宮(なにわのみや)の守護神として建てられたのが、この大将軍社でした。天暦三年(九四九)、道真を慕ってここに天満宮を創建した際、大将軍社はその摂社(せっしゃ)となりました。
道真についてはご存知の方も多いと思います。平安時代前期の公卿(くぎょう)・文人で、学問や書道に才能を発揮し「菅公(かんこう)」と尊称されました。しかし、時の左大臣藤原時平の讒言により大宰府に左遷され、その地で亡くなりました。今は学問の神様として知られ、受験シーズンになると天満宮には多くの参拝者が訪れます。社殿の横に奉納された絵馬にも合格祈願を記したものが多く見受けられます。
天満宮(天神社)は全国に数多くあり、その総数は一万二千社を超えると言われています。中でも太宰府天満宮や京都の北野天満宮は有名です。
また道真誕生の地とされる出雲地方にも天満宮は多く、松江市天神町には立派な社殿を構えた白潟(しらかた)天満宮があります。もともと出雲国を治めていた平家一門の平忠度(たいらのただのり)が富田城(現・安来市)を築いた際、城内に社殿を設けたのが始まりとされ、その後、慶長年間に堀尾吉晴が松江に城を移築した際、城下の白潟の地に天満宮を奉遷しました。
英語教師として松江に赴任した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、その著『知られぬ日本の面影』の中で、松江大橋から南「半マイル」には、「学問と手習いの神である天神様を祭る大きな神社にいたるまで、天神町の広い通りがつづいている」と紹介しています(「神々の国の首都」)。
また、松江の西には宍道湖という大きな汽水湖が広がっていますが、その南岸の宍道町にある菅原天満宮は道真誕生の地と伝えられています。山腹に建っている社殿・拝殿まで、長い急な石段が参道となっています。山の中の比較的小さな神社ですが、天満宮にはお決まりの牛の像と筆塚もあります。ついでながら、この社殿の裏山には、相撲の神様とされる野見宿禰(のみのすくね)の墓もあります。宿禰は道真の遠い先祖とされています。
この天満宮の向かい側、百メートルほど行ったところには、「菅原梅の木天神」があります。ここには道真の産湯の池やお手植えの梅などの遺蹟もあります。梅の木で連想されるのは、飛梅(とびうめ)伝説でしょう。道真は都を離れる際、「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠いました。大宰府に着くと、都の梅の木が道真を慕って飛んできたという伝説です。
それでは、大神神社と天満宮、この二つの神社には、どのような違いがあるでしょうか。大神神社は大物主という神話時代の神を祀っていて、しかも三輪山そのものがご神体となっています。これに対して、大阪天満宮は、菅原道真という歴史上の人物を祭神とし、それを祀る社殿を構えています。
どちらの神社にも興味は尽きないのですが、本書のテーマ「孔子は、いかにして「神」になったのか」という観点から言うと、大いに注目されるのは、菅原道真です。道真という歴史上の人物はなぜ神になったのでしょうか。
『孔子は、いかにして「神」になったのか』では、道真が「神」になった二つの要因の話からはじまる「序 人が「神」になるとはどういうことか」から
一 孔子はもとから「神」の素養をもっていたのか
二 孔子の思想はなぜ「中華の背骨」となったのか
三 孔子の聖人化はいつから始まったのか
四 儒学はいかにして国家教学になったのか
五 儒学はなぜ「朱子学」「陽明学」を生んだのか
六 孔子は日本でどのように受容されたのか
七 孔子の教えはどこに向かうのか
という構成で、孔子がなぜ「神」のごとく崇められるまでに至ったのか、そして、なぜ、どのようにして「儒学」は「儒教」となったのかという謎に迫ります。
湯浅 邦弘(ゆあさ・くにひろ)
大阪大学名誉教授・立命館大学教授。1957年、島根県生まれ。大阪大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。北海道教育大学講師、島根大学助教授、大阪大学助教授、同大学大学院教授を歴任。専攻は中国思想史。著書に『菜根譚』『孫子・三十六計』『貞観政要』『呻吟語』(以上、角川ソフィア文庫)、『菜根譚』『論語』『諸子百家』(以上、中公新書)、『別冊NHK100分de名著 老子×孫子』(共著)、『別冊NHK100分de名著 菜根譚×呻吟語』など多数。
※刊行時の情報です
