●「前世で光の戦士だった記憶がある人」を募集していた時代
反町隆史、大森南朋、津田健次郎のトリプル主演で、“こんなはずじゃなかった”大人たちの再会と再生を描いた「1988青春回収ヒューマンコメディ」のフジテレビ系ドラマ『ラムネモンキー』(毎週水曜22:00〜 ※TVer、FODで配信/FODで次話先行配信)の第5話が、11日に放送された。

今回は冒頭部分にあったオカルト的な妄想エピソードと後半の白馬の弁舌から、1988年当時のオカルト事情と、すべての世代を通しての“勝ち組”、“負け組”について考えてみる。

(左から)津田健次郎、大森南朋、反町隆史 (C)フジテレビ

○【第5話あらすじ】謎の秘密結社・ジュピターの正体とは

贈賄の容疑で起訴されている吉井雄太(反町)は、公判に向けての会議に臨む。弁護士は雄太に2つのプランを提案。プランAは無罪を主張し徹底的に争うというもの、プランBは容疑の一部を認めて執行猶予を狙い、早期に裁判を終わらせるというものだ。思わぬ提案に戸惑う雄太。

マチルダこと宮下未散(木竜麻生)の失踪について調べている雄太、藤巻肇(大森)、菊原紀介(津田)は、当時、映画研究部の部室にしていた「ビデオジュピター」の店主に前科があったという情報を得る。警察署に来て店主について調べるよう迫る3人に、鶴見巡査(濱尾ノリタカ)はうんざり。

西野白馬(福本莉子)が働くカフェで、3人は店主についての記憶をたどる。中学時代、店内でレンタルビデオを物色していた3人に店主が声をかけ、学校には内緒で部室として使用することを申し出てくれた。3人の中では「親切な兄ちゃん」だったが、彼の目的はマチルダだったのかもしれない。肇と紀介は裁判で大変そうな雄太を気にかけ、2人で店主について調べることに。

雄太は妻の絵美(野波麻帆)から改めて離婚を持ちかけられる。自分の資産や仕事を守るためにも離婚したいという絵美の話を聞き、弁護士が提案したプランBを検討する雄太。有罪になるが、裁判を早く終わらせて元の生活に戻ったほうが賢いのかもしれない…。

そんな中、店主の名前や犯罪歴が判明する。それを聞いた雄太の頭の中には奇妙な記憶が蘇ってくる。「ビデオジュピター」が謎の秘密結社であり、それを見た中学時代の雄太は光線銃で撃たれ失神。捕らえられたところをマチルダに救われたというものだ。

そしてある日、いつも通りカフェで3人と白馬で過ごしていたところ、非番の鶴見巡査がやって来る。実は彼はこのカフェの常連で、白馬から協力を頼まれていたのだ。鶴見巡査によると「ビデオジュピター」の店主は現在、「ジュピターの家」という謎の組織を営んでおり、タイのバンコクで暮らしているという。そして日本支部も。

その日、店主が帰国していることを知った3人と白馬は、日本支部へ。実は店主(生瀬勝久)は、起業家や金持ちたちを集めて、さまざまな遊びに興じる組織を運営していた。マチルダについては「近づいてはいけない女」という謎の言葉だけ。詳細は明かさなかった。

そしてある夜、白馬の後をつける謎の影が。一方、肇は中学時代に撮影したビデオに何かを発見する。そしてそこへ、雄太が訪れ…?

(C)フジテレビ

○サブカル面から見た、1980年代のオカルト事情

第5話の冒頭、恒例となった妄想シーンの主人公は雄太。テーマはオカルト、そして悪の秘密結社だった。中学時代の雄太(大角英夫)は、ある夜、「ビデオジュピター」へと向かう謎の行列を目撃する。その先頭には同店の店主(藤田真澄)、そしてマチルダの姿もあった。雄太は店内に忍び込むが、物音を立て気づかれてしまう。光線銃で撃たれ失神した雄太は拘束されるが、そこへマチルダが現れ、逃がしてくれる──という内容である。

この妄想が示しているのは、単なる少年時代の空想ではない。日本のオカルト文化は、1970年代と1990年代に大きなブームを迎えたが、3人が中学時代を過ごした1980年代も、サブカルチャーの文脈で見れば、極めて特異な時代だった。雑誌の投稿欄などでは、「前世で光の戦士だった記憶がある人募集」といった呼びかけが相次ぎ、これは後に「戦士症候群」と呼ばれる現象として語られるようになる。

このムーブメントは、漫画家・日渡早紀氏による名作コミック『ぼくの地球を守って』を生み出すほどの熱量と勢いを持っていた。さらに当時は、雑誌『ムー』(学研)や『トワイライトゾーン』(ワールドフォトプレス)といったオカルト雑誌の全盛期でもあり、数多くの陰謀論が流通していた。同時に、オウム真理教をはじめとする新興宗教が注目を集めた時代でもある。

また、夢枕獏氏による小説『陰陽師』シリーズ、故・荻野真さんによるコミック『孔雀王』の大ヒットによって、陰陽道や密教といった要素が一般層にまで浸透した時代でもあった。1980年代とは、現実の社会が比較的安定していたがゆえに、人々が安全な距離感で「非現実」に熱狂できた、極めて特異な文化環境だったと言える。

その文脈で見れば、中学時代の雄太の記憶が、オカルトや秘密結社の妄想によって塗り替えられているのは、極めて自然な流れだろう。これは単なるノスタルジーではなく、「時代が生んだ集合幻想」が、現在の彼の内面で再生産されている姿なのだ。

●価値観の違いを極めて生々しく可視化
しかし、第5話の真のハイライトは、このオカルト妄想そのものではない。バブル期を“勝ち逃げ”した世代と、失われた30年を生きるロストジェネレーション世代、さらにその中で“負け組”と呼ばれる人々との価値観の違いを、極めて生々しく可視化した点にある。

現代の元「ビデオジュピター」店主は、劇中でこう語る。「映画なんて好きじゃなかった。ただ商売のために勉強しただけ。それぐらいの方が商売はうまく行く」。さらに「今は日本に見切りをつけ、経済発展めざましい東南アジアに目をつけた」と続ける。

彼は理容師の紀介に対しても、「日本の理容師の技術、サービス、ホスピタリティは世界で需要がある」と海外進出を提案する。紀介が「うちのお得意さんは、近所の老人や子どもたちだから」と答えると、元店主は「そういう内向きなところが日本のダメなところ」と一蹴する。

映像監督の肇に対しても同様だ。「日本の映像コンテンツは世界で需要がある。だが日本の監督は儲からない。世界に出るために新しいスキルを身につけるべきだ」と語る。肇が「俺は作品を作ることしかできない」と答えると、「そういうことを言っていると、どんどん世界から置いていかれるぞ」と一刀両断する。

ここで突如、白馬が反論する。「経済成長に乗った世代に、このおじさん3人を説教してほしくない」と。白馬の言葉は、単なる若者の反発ではない。それは「成功した側だけが努力や挑戦を語ることができる」という、事後的に正当化された倫理への異議申し立てである。

“勝ち組”に入れなくとも、人はそれぞれの場所で、懸命に生きている。それが今の時代なのだ。この白馬の言葉は、ロスジェネ世代の代弁であり、その世代の多くが胸の奥で感じ続けてきた感情そのものだろう。

○『リーガルハイ』でも幾度となく描かれてきた構造

一方、元店主の言葉にも、一理も二理もある。筆者は、いわゆるカリスマ美容師と呼ばれる人々に何度か取材したことがあるが、日本の美容師・理容師のスキル、技術、ホスピタリティは、実際に世界から高い需要があると語られていた。例えばアメリカでは、日本の美容師ほどの技術を持つ人材は決して多くないという。

日本の映像コンテンツについても同様だ。実写映像関係者から直接聞いた話によれば、つい数年前まで、世界的映画賞や海外の劇場では、邦画はアニメや是枝裕和監督、北野武監督といった一部を除き、ほとんどが倉庫で埃をかぶっていたという。ところが、nippon.comに掲載された猿渡由紀氏の2024年12月1日付の記事によれば、『ゴジラ-1.0』や『SHOGUN 将軍』など、日本そのものがグローバルエンタテインメントの場で存在感を放つようになっている。

やり方、生き方次第なのだ。ビデオ店元店主は言う。「やりがいとか身近な幸せとかぬるいことを言っているヤツは無知で愚か」「勝ち組にならなければ意味がない」と。これに白馬は反発する。「あなたたちは、自分たちだけ勝ち逃げして、日本と日本人が苦しむのを、30年笑って見ていたんですか? 慎ましやかに生きていて、何が悪いんですか!?」と。

これこそが古沢良太作品の真骨頂である。どちらにも「理」がある。高度成長期世代と比べれば、今は努力すれば必ず報われる時代ではない。白馬のような若い世代が、かつてほど夢や明るい未来を思い描けなくなっているのも、否定できない現実だ。

元店主の言葉は正しいかもしれない。しかしそれは、“勝ち組”になれたからこそ語れる正論でもある。元店主世代の中にも、厳しい生活を送っている人は数多く存在する。一方で、ロスジェネ世代の中にも、堀江貴文氏や西村博之氏のように“勝ち組”と呼ばれる人々がいる。ただ、日本の実体経済が衰退し、年収が下がり続けているのもまた事実である。つまり、元店主と白馬、どちらも正しいことを言っているのだ。

この構造は、『リーガルハイ』でも幾度となく描かれてきた。何が正解なのか、どちらが正しいのか。“負け組”であっても、その人が自分を“勝ち”だと思えば、それは本当に“負け”なのか。それとも、それは単なる「負け犬の遠吠え」なのか。あるいは、元店主の言う「若くて愚か」なのか。

世代間の対立を煽ることなく、淡々と両側の正論を並べ、最終的な答えを視聴者の価値観に委ねる。第5話は、マチルダ事件以上に、古沢良太氏のこの「考えさせる」手腕が、静かに、しかし確かに光った回だったように感じられた。















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