報道陣などに状況を説明する当時の横井英樹社長(新潮社撮影)

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【写真】蝶ネクタイ姿でスッと背筋を伸ばし…火災現場に現れた「横井英樹氏」

事件の舞台になり続ける場所

 東京都千代田区永田町2丁目には現在、38階の超高層ビル「プルデンシャルタワー」が建っている。社員が複数の顧客から総額約31億円を詐取した事件で注目された、外資系生命保険大手「プルデンシャル生命保険」の本社だ。

 この場所は、これまで幾度となく歴史の舞台になってきた。1936年の2・26事件で反乱軍が立て籠もったのは、この地にあった料亭「幸楽」。1963年12月8日には、地下のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で力道山が暴力団員に刺され、後に死亡するという事件も起きた。

 そして、1982年2月8日未明には、「ホテルニュージャパン」9階の938号室から火の手が上った。死者33名。日本のホテル火災事故史に残る大惨事から30年後の2012年、生存者のその後を追った「週刊新潮」のバックナンバーで緊迫の現場を振り返る。

報道陣などに状況を説明する当時の横井英樹社長(新潮社撮影)

(全2回の第1回:以下、「週刊新潮」2012年2月9日号「死者33人『ホテルニュージャパン』火災から30年 『私はこうして死から逃れた!』」を再編集しました。文中の肩書き、年齢等は掲載当時のものです)

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熱で膨張したドアを放水で冷却

「最初の119番通報は午前3時39分10秒。タクシー運転手からでした」

 こう語るのは、麹町消防署永田町出張所に当直として詰めていた特別救助隊隊長の高野甲子雄さん(当時33)である。

「10秒遅れて、近くの議員会館から通報があり、ホテル側からの連絡はさらに10秒遅れでした」

 高野隊長が隊員5名とともに現場に到着したのは、午前3時43分。

「地下入口のドーム型の屋根の上には、上から飛び下りた人が横たわっていました。隊員の1人は助けようとしたが、“もう死んでいる。それより今助けを求めている人たちを救出する方が先だ”と命じました」

 高野隊長らは、非常階段から9階に向かう。しかし、9階の廊下に通じる扉は開かない。

「ドアが膨張していた。そこでポンプ隊が8階からホースを延ばし、水を当てて冷却させてドアを開けることにし、私たちは屋上を目指して10階に向かいました」

 10階の扉は難なく開く。

「廊下には煙が充満し、人がぐったりしているのが見えた。隊員にその人たちの救出を命じ、私は各部屋をノックして、反応を確認しながら、ペントハウスから屋上に上がりました。屋上から下を見ると、10階のベランダの庇(ひさし)に韓国人の男性3人がしがみついていた」

炎が体の上を吹き抜けた

 隊員が腹這いになって、手をつかみ、2人を引き上げた。もう1人はロープをおろし、男性の体に巻き付けて救助する。

「3人に部屋に人が残っているかと聞いても、抱き合って泣き叫ぶだけ。私たちは次の救助に向かい、8人救出した。ところが3人はもう1人残っていると言い出したのです。確認すると、部屋には人影がある。しかし、室内は、高熱の煙が発火して、大爆発を起こすフラッシュオーバー寸前の状態でした」

 隊員が突入したものの、救助に至らず、隊長自ら部屋の中に飛び込んでいく。

「救出者の体にロープをしっかり巻き、外に出そうとした時、いきなり炎がゴーと燃え上がった。フラッシュオーバーです。体をかがめたので、炎は体の上を吹き抜けた感じでした。時間がないと思い、救出者を引きずった時、再びフラッシュオーバーが起き、私の体全体に火が襲いかかりました。何とか救出者を連れて、屋上まで辿り着きましたが、ヘルメットに炎が入り込み、頭髪は全て焼けてしまいました。火傷を負った私は近くの病院に搬送されました。治療後、また現場に向かおうとしましたが、医師に“死ぬ気か”と言われ、そのまま入院することになりました」

シーツにつかまり下の階へ

 9階、10階の火の回りが早く、宿泊者の多くはベランダに逃れたものの、熱さに耐えきれず、何人もが落下して地面に叩きつけられて亡くなった。

 9階の934号室には香川県から出張中のAさん(当時43)がいた。異変に気付いた時、すでに窓から炎が見える状態だった。

「電気スタンドで窓ガラスを割りました。窓の左側を見ると、寝間着姿の客が窓枠にしがみついて助けを求めていた。私は室内に戻り、靴を履き、ワイシャツを着て、窓際に戻りましたが、さっきの客の姿はありませんでした」

 Aさんの部屋に炎が迫っていた。Aさんは、窓枠をつかみ、火元とは逆の右隣の部屋に飛び込んだ。部屋の窓にはシーツがぶら下がっている。Aさんはそのシーツにつかまりながら、下の方に降りた。

「8階の部屋の窓ガラスを蹴破ろうとしたが、なかなか割れない。しかし、よく見ると、1カ所だけ小さく割れたところがある。その穴を靴で踏みしめ、大きく広げ、部屋に転がり込みました」

 客室に飛び込んだAさんは、ドアを開け、廊下に出て、そこから一気に階段をかけ下った。右手は血だらけ。喉は気道熱傷で口も利けない状態だったが、命は助かった。

「寿命にはかないませんでしたね」

 同じ9階の902号室に宿泊していたのは、富山県から来ていたBさん(当時56)。外壁にしがみつき、必死の思いで救出を待った。その様子は全国にテレビ中継された。Bさんの体を炎が襲うたびに、ホテルの周囲に集まった人々は悲鳴を上げる。

 ハシゴ車がBさんに近づき、レスキュー隊員が体を抱え、救出に成功した瞬間、人々の間から大きな拍手が起こった。そのBさんの家族は言う。

「本人は20年ほど前に病気で亡くなりました。せっかくあの事故で助かったのに、寿命にはかないませんでしたね」

 6階に宿泊して火災に遭遇したのは、北海道のCさん(当時45)である。

「親類の結婚式のために上京して、あの日は親戚一同20人ぐらいで泊まっていた。迷路みたいなホテルで、火事になったら危ないなあと思っていました。“火事だ”というので、逃げた。着の身着のまま、何も持たずに外に出た。とっさにエレベーターに乗っちゃいけないと、非常階段を探して逃げました。親戚は全員無事でしたが、その後、警察から調書を取られました。4、5時間かかって、まるで犯人扱いされているみたいな気分だった」

 現在のCさんは75歳。

「今は孫が生きがい。孫には火災の話はしないな。あれ以来、東京にもあまり行かなくなったね」

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 新宿の愛人宅にいて助かった――。第2回【「愛人」に命救われ94歳で大往生、23年後は「殺人犯」の元女子高生…82年「ホテルニュージャパン」火災、被災者たちのその後】では、ホテルニュージャパン火災のほか、船舶と飛行機の有名事故からも助かった強運男性のエピソードなどを伝える。

デイリー新潮編集部