掛布雅之氏(掛布塾の公式インスタグラムより)

写真拡大

 シーズンオフのトレード戦線もほとんど無風のまま一段落した感があるが、過去には水面下で話が進みながら、最終的に成立せずに終わったトレードも少なくない。そんな“幻のトレード”を振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

【写真特集】女性タレントの「プロ野球始球式」名場面集

これは本当にありました

 阪神・掛布雅之と南海・門田博光の“世紀のトレード”の噂に世間が騒然としたのが、1980年オフである。

 12月13日、一部のスポーツ紙が阪神の掛布、工藤一彦、南海の門田、新井宏昌、黒田正宏、村上之宏の2対4の大型トレードを報じたことがきっかけだった。

 掛布は前年の79年に48本塁打で本塁打王の初タイトルを獲得したが、80年は左手中指、左膝半月板と故障が相次ぎ、夏場過ぎにも腰痛を発症、打率.229、11本塁打と成績を大きく落としていた。

掛布雅之氏(掛布塾の公式インスタグラムより)

 また、前年オフの挙式の際に、球団側の「式場は関西で」の要望に応じず、関東で豪華な披露宴を行ったことから、小津正次郎球団社長が「やっぱり関東の人間は、大阪のことを思っとらん」と立腹し、関係が悪化したという噂も聞こえてきた。

 一方、門田は右足アキレス腱断裂による選手生命の危機を乗り越え、80年は41本塁打と復活、カムバック賞を受賞していた。地元関西出身の門田が、掛布に代わって虎の新主砲になるのは、「大阪で骨を埋める」スターを求める小津社長の考えにも合致するものだった。

 そして、掛布の抜けた三塁には、大阪出身の2年目の若手・岡田彰布が入るという図式も容易に想像できる。

 だが、前出の報道をきっかけに球団に電話が殺到すると、小津社長は「こちらとしてはそんな事実はないのだから、こちらが教えてほしいと思っている。火のない所に煙は立たないというが、何もないのになぜ煙が立つのか」と全否定した。

 南海・川勝傳オーナーも「私も新聞を見てビックリしている。この件について小津君と会ったこともなければ、話をしたこともない」と事実無根を強調した。

 両球団のトップがいずれも否定したことで、トレード話は“怪談”と片づけられ、たった1日で騒ぎは収束した。

 だが、それから23年後の2013年4月、大阪でトークショーを行った門田氏は「これは本当にありました。でもスポーツ新聞に早く出て、消えたんです」と打ち明けている。

 一方、掛布氏も、2023年1月の門田氏逝去後に「門田さんと私のトレード記事は、衝撃を受けましたが、当時の(スター選手を次々に放出する)阪神球団の体質からすると不思議ではないとも感じていました」と証言している。

 トレードはビッグネームになればなるほど隠密裏、かつ迅速に行わなければ、事前に漏れるリスクが高いことを物語っている。

幻の巨人・達川

 1992年、達川は正捕手として100試合に出場するなど、まだ第一線で十分働ける力がありながら、西山秀二、瀬戸輝信らの後進に道を譲る考えから、本拠地最終戦となった10月4日の巨人戦の試合前、山本浩二監督に「体力の限界」を理由に現役引退を申し入れ、この日の出場を最後に15年間の現役生活に別れを告げた。

 ところが、シーズン後、長嶋茂雄氏が13年ぶりに巨人の監督に復帰し、達川の豊富な捕手経験を買ったことから、コーチ兼捕手として現役続行の話が舞い込んできた。年俸についても「もう少し出すから」の言質を得たという。

 “憧れの人”のたっての要望とあって、心が揺れ動いたが、任意引退なので、広島の了承が必要だった。そこで、巨人側にその旨を伝えたところ、それっきり音沙汰がない。その後、球団に問い合わせると、断っていたことが判明した。

 確かに投手陣の長所、短所を知り尽くしたベテラン捕手が、同一リーグのライバル球団に流出するのは、広島としても避けたいところだ。

 最終的に高橋千年美球団代表からも「達川は広島で辞めたほうがいいんじゃないか」と説得され、断念したが、“巨人・達川”を見たかったファンも多いかもしれない。

終わるべくして終わった

 巨人といえば、2015年オフにも、当時西武の2軍でくすぶっていた山川穂高の獲得に動いたという話が伝わっている。

 14年にドラフト2位で西武入りした山川は同年、1軍出場14試合ながら2本塁打を記録し、大砲の片鱗を見せつけた。だが、翌15年はイースタンで打率.283、11本塁打、47打点とそれなりの数字を残しながら、1軍出場はわずか1試合にとどまった。

 ライター・岡野誠氏が「NumberWeb」に寄稿した記事(2025年5月26日配信)によると、同年まで巨人の2軍監督を務め、シーズン後、編成本部アドバイザーになった岡崎郁氏は、実際にこの目で見た山川を「絶対伸びる」と確信し、堤辰佳GMに推薦した。だが、交換相手に中井大介を要求され、話は立ち消えになったという。

 中井は15年4月29日の中日戦で球団史上83代目4番を務めるなど、当時は将来の主軸候補として期待も大きかった。「出せない」という結論も、ある意味当然と言える。

 これに対して、DHやファーストでの出場がほとんどの山川が、当時阿部慎之助、村田修一、若手時代の岡本和真ら、強力ライバルがひしめくファーストのポジション争いにどこまで食い込めたかも疑問だ。

 これらの事情を考えると、「幻のトレード」で終わるべくして終わったという感もなきにしもあらずである。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部