ドンデコルテ

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独特の漫才スタイル

 昨年末に行われた漫才コンテスト「M-1グランプリ」で、優勝したたくろうに勝るとも劣らないほどの強烈な印象を残したのが、準優勝のドンデコルテである。彼らの「演説系漫才」と呼びたくなるような独特の漫才スタイルは、大きな反響を巻き起こした。ドンデコルテの漫才がこれほどまでに評価されたのはなぜなのか。【ラリー遠田/お笑い評論家】

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 まず注目すべきは、ボケを担当する渡辺銀次の落ち着いた語り口である。1本目のネタでは、渡辺は40歳・独身にして「厚生労働省の定めた基準によると貧困層に属します」と自虐的な自己紹介をした。スマホを触らないようにする「デジタルデトックス」の効能を熱弁しながらも、自分自身はそれができないとつぶやいた。

ドンデコルテ

 相方の小橋共作になぜなのかと尋ねられて「自分と向き合うのが怖いんです」と返した。彼は厳しい現実から目を背けるために、積極的にスマホの世界に溺れていたのだ。情けないことを演説のような口調で堂々と語ることで、大きな笑いを起こしていた。

 漫才中の渡辺の語りの勢いはとどまるところを知らず、最終的にはセミナー講師のような口調で「スマホを触りましょう。はい、スワイプスワイプ。現実をスワイプ」「いいですか皆さん。目覚めるな!」と観客に語りかけてみせた。

 2本目の漫才も渡辺の情けないキャラクターを軸にした内容だった。悩める中年男性である彼は、LEDを体に巻いて光りながら自転車で街を走り回る「街の名物おじさん」になろうとしている。現実と向き合わず、意味や価値から逸脱したいと語る彼は、光ることで「私」という意味からも逸脱したいのだと主張する。ここでも彼はギャップによる笑いを見せつけていた。

 彼らの「演説系漫才」が評価された最大の理由は、その主張がきわめて現代的だった点にある。貧しい中年男性がスマホに依存して現実から目をそらす心理というテーマは、多くの人に理解されやすいものだった。それを演説のように強い調子で語ってみせることで、観客はその心理に部分的には共感しつつ、必死さや悲壮感を面白く感じた。切実で真面目な主張が、かえって滑稽さを帯びるという構造が立ち上がっていた。

情けなくて格好がつかない

 また、彼らの「演説系漫才」は「M-1」という晴れの舞台にも似つかわしいものだった。世間的にはほぼ無名に近い状態だった彼らは、「M-1」の決勝の舞台で、短時間で自分たちの思想やスタイルを伝えなければいけない。ドンデコルテはその状況を正面から引き受けて、観客に向かって熱っぽく語りかける姿勢を見せた。観客を笑わせようと下手に出て媚びるのではなく、「自分はこう考えている」と力強く言い切る。その独自の漫才スタイルが人々の記憶に焼き付くことになった。

 さらに重要なのは、漫才の中で渡辺が主張していることが完全な正論ではなく、どこかいびつさや弱さを含んでいる点である。語りの内容はもっともらしいが、どうにも情けなくて格好がつかない。だからこそ、観客は上から目線で説教されているというイメージを抱くことはなく、不器用な人間が必死に言葉を絞り出している姿を見ている感覚になる。その自己矛盾こそが笑いにつながる決定的な要素であり、ただの「演説」に終わらなかった理由である。

 ドンデコルテの演説系漫才が評価された背景には、そのスタイルが現代社会を生きる人々の共感を呼んだことにある。格差、貧困、中年の悩み、社会からの疎外感といったテーマを笑いに昇華させる手法は、お笑いの新しい可能性を示している。等身大の自分の思いを笑いにしてぶつけたことで、彼らは「M-1」の歴史にその名を刻んだのである。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部