乗組員に「お母さん」と呼ばれた女性 軍艦『長良』と共に沈んだ348人を弔い続ける「祈りと継承」の80年 #戦争の記憶
太平洋戦争でアメリカ軍に撃沈された軍艦の乗組員348人を弔い続けた、1人の女性がいます。その思いが「慰霊式」として引き継がれ、今に続く理由とは。
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波の下、今も眠る戦没者を弔う式典
1944年8月7日、旧日本海軍の軍艦「長良」は、現在の熊本県天草市牛深町の沖合い約10キロで、アメリカ軍の潜水艦から魚雷攻撃を受けて沈没しました。
乗組員583人のうち235人は地元の漁師に助けられましたが、残る348人は今も「長良」と共に水深100mの海底に沈んでいます。
8月9日、海上自衛隊の掃海艇「とよしま」で海上慰霊式が執り行われました。
乗組員の遺族「洋上から近くの海域でということで、献花させてもらって、胸に来るものがありましたね。感慨ひとしおで」
今も続くこの慰霊式のきっかけは、1人の女性でした。
乗組員に「お母さん」と呼ばれた染物店の女性
当時、牛深に住んでいた佐々木ツルさん(1986年死去 享年88歳)。長良の慰霊式は、ツルさんが1人で行っていた供養から始まりました。
当時、牛深には長良が寄港し、染物店を営んでいたツルさんの元には、多くの乗組員が服を染めるため訪れていたといいます。しかし、戦局は日に日に悪化。親交のあった若者たちも前線へ赴きました。
そして、1944年8月牛深沖で長良が沈没。そのことを知ったツルさんは毎年1人で供養を続け、1970年には私財を投じて慰霊碑を建立しました。
福本壮一さんは、ツルさんの遺志を継ぎ慰霊式を続ける一人です。
福本壮一さん「ツルさん、戒名が『長良』ですね。ツルさんのところは、乗組員の皆さんのよりどころになっていて、お茶を飲みに来ていたそうです」
ツルさんが供養を始めたのは「親しくしていた青年たちへの思いがあったから」だと、福本さんは話します。
福本さん「『お母さん、お世話になりました』『実は今から戦地へ出かけます』と。みんな若い青年がほとんどだったと話していた。今からだという青年たちが亡くなったということに痛みを感じていたのではないかと思う」
『あとよろしく頼みます』 ツルさんとの最後の約束
福本さんは、記憶を後世に伝える活動もしています。晩年のツルさんと交わした約束を果たすためです。
福本さん「『ツルさんまた来ます』と言って『あとよろしく頼みます』というのが、ツルさんから言われた(最後の)言葉です」
福本さん「戦争は絶対ダメです、大切な大切な命を失うだけです。ツルさんの遺志を継いで、この慰霊祭を通して戦争の悲惨さや平和の尊さ、平和でありたいということを発信していきたいと思います」
戦後80年。長良の乗組員とツルさんの記憶は次の世代へ託されます。慰霊式や福本さんの講演会には、地元の中学生たちの姿がありました。
牛深東中学校 新田菜智さん(3年)慰霊式での言葉「軍艦長良の撃沈の知らせを聞いた佐々木ツルさんは、娘のカナエさんと一緒に仏壇に手をあわせ長良と共に沈んで亡くなった348人すべての人の冥福をお祈りされたそうです」
講演会に参加した中学生「受け継がれてきたものを私たちに福本さんが受け継いで、自分たちに受け継がれたというのはとても良かったなと思いました」
講演会に参加した中学生「段々知る人が減ってきて、自分たちも伝えていかないといけないと思いました」
軍艦長良の記録を展示する記念館が、「道の駅うしぶか 海彩館」の中にあります。
沈没しつつある長良の最後の写真や亡くなった乗組員の写真など、約500点が展示されています。
