「難病でも…お兄ちゃんを助けたこの子を産みたい」先天性疾患のちいりお母 出産前の「苦渋の決断」
「お父さんは、麻雀行く代わりに何を頑張るの!?」…こんな調子でお父さんを説教するYouTubeが大人気の「ちいりお」こと理央奈ちゃん(7)。2歳年上のお兄ちゃんは後天性の病気、理央奈ちゃんは先天性の病気で、赤ちゃんのころから闘病生活を送っていたそうです。「ちいりおママ」こと、母の佳寿美さんにお話を聞きました。(全4回中の1回)
【写真】管をつけた様子が痛々しい…生後間もないころの理央奈ちゃん ほか(全19枚)
妊娠がわかった日に2歳上の兄が「急性脳症」で緊急搬送
── 理央奈ちゃんとお兄ちゃんの湊人くんは、笑顔がとてもかわいいごきょうだいですね。お兄ちゃんの妊娠がわかったときはどんな気持ちでしたか?
佳寿美さん:結婚後すぐ息子を妊娠していることがわかって。ちょっと早いかなとは思ったんですけど、子どもはほしいと思っていたから、すごくうれしかったです。妊娠中はつわりもそれほどつらくなく、臨月まで元気に働いていました。ただ、出産のときは陣痛促進剤で子宮を収縮させて人工的に陣痛を起こしたので、すごくしんどくて、完全に取り乱してしまって。出産後は「もう次は産まん!」って思ったほど(苦笑)。たとえ産むとしても、今度は無痛分娩がいいと思っていました。
── それはつらかったですね…。
佳寿美さん:とはいえ、息子はたくさん寝てくれる子だったし、いつもご機嫌で育児もラクなほうだったと思います。しばらくはそんな感じで順調だったんですけど、私が復職したばかりのころ、当時1歳半くらいだった息子が「急性脳症」という病気にかかってしまって。しかも、理央奈を妊娠していることがわかったその日の夜だったんです。
── 突然、お兄ちゃんが高熱を出したまま熱性痙攣(けいれん)を起こして救急搬送されたそうですね。まだ小さなお子さんが1時間以上も痙攣で苦しむなんて、ご両親は不安だったと思います。
佳寿美さん:はい。すごくショックでした。病院で検査をすると、痙攣と脳症を起こす、原因も治療法もわかっていない難病だったことがわかって、担当医からは「中程度の知的障害が残るでしょう」と言われました。息子は緊急搬送後そのままICUに入院したのですが、それから私は一睡もできない、何も食べられない日が続きました。いつも、お腹の中の理央奈に「お兄ちゃんを助けてあげて!」と心の中で声をかけ続けていました。
結局、息子の病気は奇跡的に治り、無事に帰ってきてくれて、本当にホッとしました。ただ、今度は理央奈のほうが妊婦健診で全身むくんでいることがわかって。産婦人科医から「無事に生まれるのは難しいと思う」と言われました。あのころは、ただでさえ息子のことで大きなショックが続いたのに、産婦人科で「お腹の中の子を産むかどうか、次の健診までに決めてください」と言われてしまって…。もうどうすればいいのかわからず、ただ泣くばかりでした。
「兄を助けてくれたこの子を諦めたくない」
── 難しすぎる判断を迫られていたんですね。
佳寿美さん:でも、どうしても理央奈を諦めきれない自分がいたんです。息子が急性脳症から奇跡的に助かったとき、「お腹の中にいた理央奈がお兄ちゃんの命を助けてくれた」という思いが強かったんですね。「この子を諦めたくない。できることなら産んであげたい」という思いで、大阪で胎児を専門的に診てくれるクリニックを見つけ、そこに通いました。そこで、全身のむくみの原因を調べる染色体検査による出生前診断を受けました。
当時は、息子に知的障害が残るかどうかもわからないときでした。「障害のある子を2人も育てるのは厳しいかもしれない。でも…」と夫とたくさん相談して、悩みに悩んで、「出生前検査を受けて、もしひとつでも異常が見つかったら諦めよう」と。でも、諦めきれない思いはずっとありました。
医師からは、検査前に「何か異常が出ると思う」と言われたのですが、検査の結果、何も異常が出なくて。「もっと詳しい検査を受けましょう」と、遺伝子の検査も受けたんです。でも、そこでも何も異常が出なかった。お医者さんは「なぜだろう」と不思議がっていたのですが、「検査結果もすごくきれいだから、自信をもって産んであげてはどうでしょう」と言ってくださって。「この子、産まれてきたいんだな」って私も思えて、「この子を元気に産むぞ」と前向きな気持ちで、理央奈の出産に臨みました。
生まれた直後、1枚だけ写真を撮り娘はすぐにNICUへ
── お医者さんから「産んであげてください」と言われて本当によかったです。
佳寿美さん:はい。検査で「何も異常がない」って言われていたから、私たち夫婦はもう大丈夫だろうと安心していました。自分が「こうしたいな」と思う出産や産後を叶えるためのバースプランも作って、パパが胸の上で理央奈を抱っこするカンガルーケアも楽しみにしていました。カンガルーケアのときは「この曲を流したいよね」って夫と曲も決めたりして。
でも、理央奈が生まれた瞬間に、「お母さんごめんね。赤ちゃんが苦しくなっているから」と声をかけられ、理央奈は看護師さんに隣の部屋に連れて行かれてしまったんです。10分か20分ほど経ってから、理央奈は体に管をつけた状態で私の隣に一瞬だけ来てくれて。そのときに1枚だけ私と夫と理央奈の3人で写真を撮ってもらえたんですが、そのあとはすぐにNICU(新生児集中治療室)へ行ってしまいました。そこで初めて「何かあったんだ」と気づいたのですが、誰にも何も教えてもらえず、私は何があったのかわからないまま、不安な夜を過ごしました。娘に会えたのは次の日でしたね。
結局、理央奈は生まれながらにあごが小さかったために、呼吸状態が落ち着かず哺乳ができなかったことから、安定するまで入院しました。その後も落ち着くひまもなく、2歳ごろまで治療や手術が続きました。
そのあいだ私はすごく落ち込んで、自分を責めてばかりいました。でも、うちの家族はとにかく明るいんです。お笑いが好きな夫と理央奈、ほがらかな長男に救われて、なんとか少しずつ笑えるようになりました。
PROFILE ちいりおママ・佳寿美さん
1988年、愛媛県生まれ。「ちいりおママ」として、娘の「ちいりお」こと理央奈ちゃん(7歳)の日常をYouTubeやInstagramで発信中。フォロワーは合わせて200万人を超える。大学卒業後、地元の信用金庫へ入行。第一子出産後は家族が経営する会社で勤務している。お笑い好きの明るい夫、9歳の長男、理央奈ちゃんの4人家族。理央奈ちゃんとの共著に『今日もさわやかに麗しくいきましょう』。
取材・文/高梨真紀 写真提供/ちいりおママ