宮想乃(@sono_m_1030) 撮影/松山勇樹

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福岡市を拠点とし活動するアイドルグループHKT48のメンバーとして2016年より活動し、2年前に卒業した宮粼想乃。今年10月30日には初めての写真集『その魔法が解けても…』(双葉社)が発売。アイドル時代とその卒業後のソロ活動について語った。(前後編の前編)

【写真】待望の初写真集を発売した宮粼想乃の撮りおろしカット【4点】

宮粼想乃は2年前までHKT48でアイドルとして活動してきた。

華のあるアイドル、だった。

特にステージと客席の距離が近い劇場公演では、その華やかさが際立って映った。いい意味で歌ったり、踊ったりしなくても、ただそこにいてくれるだけでいい存在。最強のビジュアル担当メンバーである。

 ただ、グループアイドルの中で目立つ、というのはなかなか難しいもの。宮粼想乃もアイドルとして思い悩む日々が続いていた。

「私、HKT48に入ったときはものすごく子供だったんですよ。いま、当時の写真を見ると、本当に幼い顔をしているんですけど、HKT48ってちっちゃくてかわいいメンバーが多かったので、ちょっと背が高いと『大人っぽい』って見られがちだったんですよ。私もそう見られてしまって「えーっ、違うのになぁ〜」って。それでしばらく自分のグループ内での立ち位置が見つからなくて悩んでいたんです。

 そんなときに1期生の松岡菜摘さんが『Chou』というユニットを作ってくださって。みんな背が高いメンバーばかりで、最初はじゃんけん大会のためだけのユニットだったんですけど、その後も活動を続けることができて。おかげで自分の立ち位置が見つかったし、精神的にも支えていただいた松岡菜摘さんには感謝しかありません」

 全員が160儖幣紊如嵌脚ユニット」として注目を集めたChouは独自の公演を開催したり、ファッションショーのゲストとしてランウェイを歩いたり、とアイドルの枠を超えた活動を展開し、宮粼想乃はやっと「居場所」を見つけた。

 そこからはいい流れが生まれて、2019年3月にはグループ12枚目のシングル『意志』で初めて念願の表題曲選抜入り、2021年5月にはカップリング曲ではあるが『シンデレラなんていない』でセンターに大抜擢された。これらはグループアイドルとして活動していく上での「勲章」。宮粼想乃はしっかりとHKT48の歴史にその名を刻んだ。

 そして2022年の年末をもって、HKT48を卒業する。

「それまでも何度か『あぁ、もう辞めようかな』って考えたタイミングはあったんですけど、そこにはどこかネガティブな感情もあったんです。でも、最終的に卒業を決めたときにはマイナスな考え方はまったくなかったんですよね。100%ポジティブだったから、なにか新しい一歩を踏み出すんだったら今しかないなって。

 本当はいつまでもHKT48にいたかったんです。でも、このままずっとグループに残っていたら、私はその環境に甘えてしまう気がしたんですよ。それもあって卒業を決めたので、本当に清々しい気持ちでした。卒業公演では涙を流しちゃったんですけど、あれは悲しいとか、やり残したことがあって悔しいとか、そういう感情はまったくなくって。清々しい気持ちでステージに立ったんですけど、メンバーやお客さんの顔を見ちゃったら、みんなの思いが伝ってきて、それで涙が出ちゃったんです。私としては本当に胸を張ってアイドルを卒業できたなって思うし、アイドル時代を振りかえってもただただ『楽しかった!』という言葉しか出てこないです」

 こうして7年間に渡るアイドル生活にピリオドを打ち、ひとりで新しい活動をスタートさせたのだが、当初はなにもかも白紙の状態だった、という。

「ずっとアイドルをやってきて、その中でグラビアだったり、いろんなお仕事をさせてもらっていましたけど、アイドルという看板が外れて、ひとりの宮粼想乃という存在になったときに『私ってなにができるんだろう?』って。もちろん、いろんなことに挑戦しようと思って卒業したんですけど、じゃあ、なにがやりたいですか?と聞かれると、すぐに答えられないような時期がはじめのころはありましたね」

 そんなときに出会ったのが舞台の仕事だった。

「じつは、グループに在籍していたときにもお話はあったんですよ。舞台に出てみませんか?とか、演技のレッスンを受けてみませんか?とか。でも、私、ずっと頑なに断り続けていて(苦笑)。それがせっかくだから、一度、やってみようと舞台に立ってみたら『あれっ、お芝居って楽しいじゃん!』って(笑)。これで完全に魅力にとりつかれて、いまでは私にとってなくてはならない存在になりました」

 まさに新たな挑戦で、いままでわからなかった自分の適性を知ることができた。現在も活動の軸は舞台出演となっているが、そのタイミングでの写真集出版には、どのような思いがあるのだろうか?

「写真集はアイドルのときから、ずっとやりたかったんですよ。写真集かフォトブックを出してみたいなって。でも、あのころのHKT48ってほかに写真集を出しているメンバーがほとんどいなかったんですよね。もし、ほかに何人か出していたとしたら『私も! 私も!』ってアピールできたんでしょうけど、誰もやっていないのに『私が! 私が!』って言うのはちょっと恥ずかしいじゃないですか? だから、その想いはずーっと心の奥底に秘めてきたんです」

 アイドルとしては実現しなかった写真集出版が、ついに現実のものとなる。ところが宮粼想乃は意外な感覚でこの朗報を受けとめていた。

「とにかく不安で不安で仕方なかったんですよ……」

【後編はこちら】宮粼想乃、初写真集到着に数分にわたり興奮「佐賀での写真はより“素の表情”になっています」