「カミソリシュート」平松政次氏が明かしたONとの戦い裏話…長嶋氏が打つ直前にとった驚きの行動 幻と消えた巨人へのトレード話とは?
昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・紱光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のエースとして活躍した平松政次氏。「カミソリシュート」と呼ばれた鋭い切れ味を誇るシュートを武器に、18年間の現役生活で201の勝ち星を積み上げた。巨人キラー・長嶋キラーとしても名を馳せたプロ野球史上最高のシュートピッチャーに紱光和夫が切り込んだ。
【中編】からの続き
長嶋氏にバットを短く持たせた
徳光:
長嶋さんがちょっとバットを短めに持つじゃないですか。あれは平松さんからだって聞いたんですが。
平松:
そうです、そうです。
普通はグリップエンドに拳をつけて構えますよね。
そしたら、ある日突然、打つ瞬間にバットをビュッと滑らせて拳ひとつ分くらい落としたわけですよ。すごい打ち方をしてるなと思ったの。
徳光:
平松さんのカミソリシュートを打とうと思って、長嶋さんはそうしたわけですよね。
平松:
そうなんです。
巨人の4番バッターがバットをはじめから短く持って打ったらファンが何て言うか。4番バッターだから、最初はきちんと構えてる。ファンは打つ瞬間までは見てないだろうっていうことで、打つ直前にバットを短く持つ。
ピッチャーは見てるって(笑)。「うわー、おかしな打ち方をされているなぁ」とは思ってましたよ。
徳光:
高田繁さんが、「長嶋さんが平松さんのシュートに打ち取られてベンチに帰ってきたとき、『いや〜、あれは打てません』と言って、川上監督に『バカ野郎、お前が打てなくて誰が打てるんだ!』と怒られた」と言ってました。そのくらい長嶋さんはダメだったみたいですね。
巨人戦フル回転で後楽園にどよめき
入団4年目の昭和45年には25勝を挙げて最多勝と沢村賞を受賞するなど大洋のエースとして君臨していた平松氏。
ジャイアンツ戦ではフル回転していて当たり前のように連投していた。
昭和45年には8月26日の巨人戦で完封した翌日にリリーフ登板。昭和46年には5月29日と30日の後楽園で連投し、さらに昭和47年7月20日には後楽園のダブルヘッダーでも連投している。
平松:
ダブルヘッダー2試合目のときのファンの観衆のどよめきというんですか。
徳光:
後楽園ですから、それは巨人ファンのどよめきですよね。
平松:
「ピッチャー、平松」とアナウンスされると、「また平松か〜」ってウワーッとなるわけですよ。あの観衆のどよめきは一生忘れられませんね。
徳光:
巨人ファンとしては信じられないと同時に、「ああ、もうダメ」と、そういうため息ですよね。
平松:
きつかったというよりも、こんな感動は得られないなという思いでしたね。
王氏には投げるところがなかった!?
平松:
王さんには本当によく打たれました。
左バッターの王さん側からすれば、胸元に食い込むボールはないですからね。シュートは逃げますから、全然恐ろしさがないと思うんですよ。
だから王さんにはもう本当によく打たれました。ホームランを25本打たれた。
徳光:
よく覚えていらっしゃいますね。
王氏が放ったホームランは通算868本。そのうち25本を平松氏から打っていて、これは投手別では最も多い。通算対戦打率も3割7分0厘と、王氏は平松氏を打ち込んでいる。
平松:
いや、もう本当に王さんには投げるところがなかったですね。
徳光:
長嶋さんには打たれまいと思って投げてたけど、王さんには打たれるかもしれないと思いながら投げていたとか。
平松:
まぁ、長嶋さんを相手にするときほどの闘志はなかったような気もしますけどね。
徳光:
苦手は王さんだったわけですね。
平松:
もう大の苦手でした。
死球王だがONには当てなかった
平松氏の通算与死球は120。これはセ・リーグのみに在籍した投手の中で歴代最多である。“デッドボール王”平松氏だが、長嶋氏・王氏にだけはボールを当てたことがないという。
平松:
ONは日本の宝ですからね。
徳光:
ケガをさせちゃいけないと。
平松:
そう、ケガをさせちゃいけない。抑えなきゃいけないけど絶対ぶつけてはいけないっていう気持ちはありました。
他のいろんな人には当ててますよ(笑)。でもON、王さん、長嶋さんだけは絶対に当てちゃいかん。そう肝に銘じてましたね。
徳光:
少年時代からの憧憬の念というか憧れの存在ですから。平松さんのひとつの美学ですね。
幻と消えた巨人へのトレード
徳光:
巨人へのトレード話があったという噂を小耳に挟んだことがあるんですが。
平松:
ありましたよ。
昭和50年、長嶋さんが監督で巨人が最下位になったときに、女房が家にいたら電話がかかってきたんです。その頃はまだ携帯はなかったですから、廊下の端に電話が置いてあって、そこに長嶋さんから電話が来た。
女房のお袋さんが、「マーくん、マーくん、長嶋さんから電話よーっ!」って。もうあんなに走ってきたの初めて見たっていうくらい、飛び上がって来たんですよ。
徳光:
長嶋さんから直接、電話があったんですか。
平松:
直に電話。びっくりして「はい、平松です」って出たら「長嶋です、巨人来てくれ」。
私にとってはものすごくうれしい話なんだけども、ちょっとこっちの都合も言っておかないとと思って、「いや、別当(薫)監督がどう言うか…」。
そういう電話を受けているから、その明くる日から長嶋さんの行動が気になってね。それで年俸交渉も越年したんですよ。
1月6日に野球人のゴルフ大会があって、ゴルフ場へ行ったら長嶋さんがグリーンでパター練習をしていた。「この時しかチャンスはない」と思って、後ろから「長嶋さん、あの話はどうなりましたか」って聞いたら、パッと私の顔を見て、手を振りながら「ダメダメダメダメ」。それで終わり(笑)。
徳光:
そうなんですか(笑)。でも、長嶋さんとしては、何らかの動きはしたんでしょうね、
平松:
動いたと思いますよ。
そのとき考えましたよ。長嶋さんの大ファンだし、自分の力も振り返ってみて、長嶋さんのチームに行ったら悪くても15勝はできるだろうと。そしたら、長嶋さんに多少は力を貸せるかなということまで考えましたから。
少年時代の夢がかなった瞬間
徳光:
長嶋さん、王さんをバックに投げてみたいという気持ちは。
平松:
ありましたよ。それは一つの夢でしたね、やっぱり巨人ファンとすれば。
私が初めてオールスターに出たとき、リリーフで出たんですけど、長嶋さんがサードで王さんがファースト。
平松:
そのときに長嶋さんが「行くよ〜」ってボール投げてくれて、「これなんだなぁ〜、自分が夢見てたのは」ってなって。あれは感動でしたね。
徳光:
遠回りですけれども、実現はしたわけですよね。
平松:
そう、オールスターでね。
徳光:
長嶋キラーにならなければ、オールスターにも出られなかったかもしれませんしね。
平松:
そういうことですよね。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/5/14より)