アンナ・サワイ

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 真田広之がプロデュースしたドラマ「SHOGUN 将軍」が、米テレビ界で最高の栄誉たるエミー賞の18冠を達成し、注目されている。とりわけ、主演女優賞に輝いた日本人女優アンナ・サワイ(32)がブレイク。知られざる“世界的スター”の原点を、恩師が語った。

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【レア写真】「当時から凜としていた」 中学生の頃のアンナ・サワイ

「SHOGUN 将軍」は戦国時代、武将の権力争いにイギリス人の船乗りが巻き込まれていく物語。アンナは明智光秀の娘・細川ガラシャをモデルにしたキリシタンの女傑を演じた。試写会後の会見で“本気でやり過ぎて、途中でなぎなたが半分に折れてしまった”“家に帰ったら歯がちょっと欠けていた”と明かしたほどの熱演も見所だ。

アンナ・サワイ

「子どもとは思えないほど落ち着いていた」

 彼女の生まれはニュージーランド。日本人の両親とともに香港、フィリピンに移り住んだ後、10歳から日本で暮らし始めた。

 転機が訪れたのは2004年。歌手志望だった小学6年生の彼女は、ミュージカル「アニー」のオーディションを受けることに。応募者1万人の中から見事に主役の座を射止め、華々しい芸能界デビューを飾った。

「昔からアンナがすごいのは知っていましたが、世界がようやく気付きましたね」

 こう感慨深げに語るのは、「アニー」の振り付けを担当したボビー吉野氏(65)。これまで田原俊彦や少年隊、光GENJIなどの振り付けも手がけてきた、斯界の重鎮である。

「当時から凜としていて、子どもとは思えないほど落ち着いていました。松田聖子、小泉今日子、中山美穂なども若い頃から見てきましたが、彼女たちとはまた違うオーラがありました」

「質問してきたのは十数年で彼女だけ」

 抜きんでたキャラクターは、リハーサル時から発揮されていたという。

「みんなで台本を読んでいたときに、演出家が“何か質問はありますか”と尋ねました。するとアンナはすぐに手を挙げて、演技に関してとても具体的な質問をしたのです。私は十数年にわたって『アニー』に関わってきましたが、質問したのは彼女ただ一人ですよ」(同)

 インタビューで〈ステレオタイプを助長するような役は避ける〉など、ハッキリとした物言いをする今の彼女の片鱗がうかがえる。さらに、

「あるキャストの後ろ姿が意図せず客席から見えてしまう場面がありました。演出家含め、みんなで改善しようといろいろ考えていたら、アンナは自分から立ち位置を変えて問題を解決したのです。共演していた岩崎良美さんも、しきりに“アンナちゃんは天才”と言っていました」(同)

「ぶつかることも」

 子役として共演した市川宥一郎氏も、こう振り返る。

「子役は普通、言われたことだけをやろう、となってしまうものです。海外経験が長く、やりたいことを言葉にできる彼女は、とても大人っぽく見えました。休憩中、子どもたちがキャッキャッと騒いでいるときに、彼女だけは学校の課題に黙々と取り組んでいたのを覚えています」

「アニー」の公演を終えてしばらくすると、アンナは吉野氏のダンス教室の門をたたいた。

「踊れるジャンルを増やして、何が合うのか知りたかったのでしょう。うちでは1時間45分を一区切りで教えていますが、アンナはそれを1日3本、集中力を欠かさずにこなしていました。レッスン中は“なんでこうするのですか?”“こうしてはダメなんですか?”と、疑問を抱くとなんでも質問してくるので、ぶつかることもありましたね」(吉野氏)

 曖昧では済まさない姿勢は、今も変わらない。

「今回の受賞インタビューで、“アジア人初の受賞ですが、どうですか?”と問われ、彼女は“日本人初とは聞いてますが、アジア人初なのかどうか……”と、その場でスタッフに確認していました。しっかり自分で納得してから、正確に応じようとする。改めてアンナはすごいと思いました」(同)

「からかうと低い声で“シャラップ”」

 ダンス教室を卒業後、女性ボーカルグループのメンバーとして活動するも、鳴かず飛ばず。女優の夢を追い求めて渡米したのは6年前だ。徐々に話題作にも出演するようになり、32歳にして栄光を手にした。

 吉野氏が昔日のやりとりを懐かしむ。

「私が“帰り道に気を付けな。自転車の後ろにオバケが乗ってるかもよ”とからかうと、低い声で“Shut up(黙れ)”と言われたこともありました。彼女には、またミュージカルに出演してほしいですね。それが、アンナの持っているパフォーマンスのすべてを観られる舞台ですから」

 世界に羽ばたく“元アニー”から目が離せない。

「週刊新潮」2024年10月3日号 掲載