「90歳でも毎朝メイクは欠かしません」…”伝説のリポーター”東海林のり子が「自由になれたのは90歳を過ぎてから」と語る理由

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「今は楽しい。まだまだやりたいことがある」と話すのはフリーリポーターの東海林のり子さん。今年90歳となった東海林さんだが、まだまだその勢いはとどまるところを知らない。3000以上の事件取材秘話から元気の源まで、その胸の内を赤裸々に語ってくれた。

自由になれたのは「90歳を過ぎてから」

「現場の東海林です」

そんな挨拶でおなじみのフリーリポーター、東海林のり子さん(90歳)。

1957年にニッポン放送に入社し、同社13年間勤めた後、子育てのため退社したものの、70年にはフリーのリポーターとして仕事に復帰した。同年『3時のあなた』(フジテレビ系)で事件現場のレポーターとしてデビューすると、数々のワイドショーに出演し、現場取材を重ねてきた。これまでに訪れた現場は3000以上、1万人以上の人々にマイクを向け、その声に耳を傾けてきた。

さらに東海林さんと言えば「ロックの母」と呼ばれるほどのバンド好きとしても知られ、X JAPANの故・hideさんら親交のあるバンドマンも少なくない。さらに最近では韓国ドラマやBLなどにも夢中だといい、その関心の広さは留まるところを知らない。

周りを気にせず、自由に人生を謳歌しているように見える東海林さんだが、意外にも「自由」になれたのは「90歳を過ぎてから」と笑う。

卒寿を迎えた東海林さんは「世間体や生きづらさからの卒業が卒寿なのかもしれない」と話す。そして「今は楽しい。まだまだやりたいことがある」とも。

変わらずパワフルな東海林さん。その秘訣、そして「生きずづらさ」を抱える若者たちへのメッセージを語る。

気にならなくなった「周囲の声」

今年90歳になられた東海林さん。毎日メイクは欠かさないそうで、トレードマークの赤い口紅もバッチリ決まっている。

東海林「私が今、元気なのはリポーターとして第一線で働いていた経験からですね。あの頃は毎日がものすごく大変だったからなんです。朝早くに起きてお化粧をして支度して……、それにいつ取材が入るか分からないから待機して。そのため『起きたら化粧』は習慣になっていますね(笑)」

そう笑う東海林さん。実は90歳を超えてから悟ったことがあることを明かす。

東海林「リポーターとして働いた約22年間はめちゃくちゃに大変でした。風邪もひけないし、倒れることもできない。大きな事件起きれば1週間拘束されることがありました。まず、現場に行かなきゃいけないでしょ。

そうした生活をしていたら、『やり切った』という感覚になったんです。例えば仕事勤めでもそうです。一つのことをやり切ったら後がすごく楽になる。やり残したことあるとそれが気になって嫌じゃないですか。私の場合はリポーターの仕事ですね。それを頑張ったから今がものすごく楽、そして楽しいんです」

70代、80代のときはあまり考えていなかったという。

東海林「90歳になったら、突然解放されちゃって(笑)。マラソンでゴールを切った感覚ですかね。いや、本当のゴールはまだもうちょっと先になると思うんだけど(笑)」

それはある種の達成感のようなものと東海林さん

東海林「特に『世間体が悪い』とか『あのおばあさん馬鹿なことやってる』といった周囲の声はあるでしょうが、そうしたものは一切どうでもよくなったの。

ただ、この快感は若い時にタラタラしていたら得られなかったと思うんです。ですから、私が『何にもやることがない』とか『楽しいことがない』と思っている若い人たちに言いたいのは、何か一つでもやりたいことや好きなことを見つけること。今が大変でもそれを越えていく努力をすれば、きっと私のような領域に踏み込めるってことなんです」

男性記者からの強い風当たり

確かに東海林さんが事件取材を始めた1970年代は女性記者が少なかった。同業である男性記者から批判的な目を向けられたことや、事件現場で批判の声を浴びせられることもあったという。

東海林「現場の男性記者からの風当たり、そして世間の風当たりは強かったですね。でも、私も必死で……がむしゃらにやってきました。

現場はみんな男性。新聞記者もテレビの報道の人も女性ってことで舐めたような態度をとるんですね。男性記者が事件現場でたむろしていて、そこに私が行くと『ああ、来たね』っていう具合です。

駆け出しのころの私は事件の取材方法もわからないし、何もわからない。そんな時、本当にしていたかどうかは変わりませんが、男性記者から馬鹿にしたような態度をとられたこともありました。でも私の抵抗、というか負けちゃいけない、という気持ちを支えに事件にのめり込んでいった。それがなかったらあんなに頑張らなかったかもしれませんね。

私自身、事件取材をしていたときは、事件のことしかわからず、そのほかの世の中のことってわからなかったの。あのころは楽しいことも何もわからなかったんですよね」

東海林さんが事件取材を始めたのは全くの偶然のこと。転機になったのは小さい女の子が巻き込まれた事件だった。

東海林「当時、事件取材と言えば男性の現場。でも『3時のあなた』という番組で事件を担当していた男性レポーターが突然辞めたんです。そしたらディレクターから『東海林さん、事件やりませんか』って誘われたんですね。それでこの世界に飛び込んだんです」

被害少女に送ったクリスマスプレゼント

しかし、芸能人や著名人のスキャンダルとは違って、一般の人にマイクを向ける事件取材は容易なことではない。だが、東海林さんの真摯な取材姿勢は、時に相手の心を動かすこともあった。

東海林「ある誘拐事件で被害者となった女児のお母さんにお話しを聞いたことがあります。お嬢さんは行方不明のまま、生死もわからない状態でした。最初は話してもらえず、一旦局へ帰ったんですが、私、お母さんがかわいそうでしたし、もう一度話してもらいたい、と思ったんです。局に戻った直後でしたが、『私、もう一回行きたい』と頼むとディレクターもカメラマンも了承してくれて、再取材することになりました。

ちょうどクリスマスの時期。私はお菓子が入ったブーツを買って持って行ったんです。お母さん、いつも娘さんのごはんを用意されていたので。『お嬢さんにあげてください』って渡したら、お母さん、気持ちを少しだけ打ち明けてくれたんです」

ただ、一方で反感を買うこともあった。

東海林「そしたら男性記者たちから『あいつは貢物で話をとっている』なんてことを言われたりしてね。自分たちが話を取れないからそういう風に言われたこともありますし、私が取材の約束を取り付けたときには『僕たちも一緒に入れてください』なんてことを言われたこともあります」

ワイドショー、マスコミへの風当たりの強さは今と変わらず厳しかったと振り返りながら、東海林さんはあるエピソードを明かす。

東海林「『ワイドショーは低俗だ』とか『ズカズカと上がっていく』なんてことはよく言われていました。ある事件の現場で新聞や週刊誌は名刺を出して、私が最後に出したら「ワイドショーはもらえない」って言われたの。それくらい軽くみられていたんです。低俗な番組だってね。でも私はワイドショー目線での取材がしたかった。

悲惨な事件、現場があることを知ること、そして伝えること。そして被害者の両親や関係者の気持ちを視聴者が知ることも大切なことだと思っていました」

hideファンの少女から伝えられたこと

ワイドショーの視聴率が右肩上がりだった時代。凶悪事件の発生や他社との報道合戦、ニュースの最前線にいた東海林さんだが、意外なことに辞めたくなったことはなかったという。

東海林「ある時、週刊誌の女性記者から『東海林さん、お子さんワイドショー嫌がりませんか?』って聞かれたことがありました。でも子どもたちから言われたことはなかったんですよね。もしかしたら学校ではなにか言われていたのかもしれませんが、直接『ママ、やめて』とは言われなかった。私は社会や同業と戦うのではなくて、伝えたいのはそういうことではなかったんですよ」

親子の愛や家族の大切さを痛感した東海林さん。取材現場ではいつも傷ついた人々に寄り添ってきた。

東海林「X JAPANのhideさんが亡くなった時のことです。葬儀のあった築地本願寺の前ではたくさんの女の子が泣いていました。私もその現場で取材をしており、同じように深い悲しみを抱いていました。

その後、だいぶたってからのことです。あるライブの会場であの時、築地本願寺にいた女の子と再会したんです。彼女はお子さんのいるお母さんになっていました。私が泣いていたら慰めてくれたね。悲しくて仕方なかったけど、東海林さんが抱きしめて『大丈夫よ』って言ってくれてうれしかった、と話してくれました。

こんなこともありました。私のX(旧Twitter)のダイレクトメールに『あの時はお世話になりました』と連絡がきました。それはかつて私が取材をした事件の遺族からでした。そして事件のその後を教えてもらいました。何年か経ってからご遺族や関係者から連絡が来ることもあります。一つ一つ考えることが多い仕事だったんですよね」

常に現場を飛び回っていた東海林さんだがその勢いは現在も止まらない。90歳を過ぎて始めたのがYouTubeだ。

「みんなが知らないことを伝えたい」

東海林「事件取材ではないですが、動画では突撃取材をしました。が、まだまだ反省ですね(笑)なんというか、もうちょっと生々しく撮りたい。生の情報を伝えたいんですよね。やっぱりね、 自分でカメラ回さないから難しいとは思っていますが(笑)

私のYouTubeチャンネルでは、中小企業が作っているヒット商品や面白いなと思った商品、食品の食べ合わせとか暮らしの知恵といった、みんなが意外と知らないことを伝えていきたいと思っています。

これは事件取材とも同じだと思うんです。みんな知り得ないことをまず私たちが知る、そして伝えるということ。事件現場も中小企業の活躍も一緒です。ただ、私の直撃は辛いものから明るいものに変わったんだなっていうね。

それに『誰かに伝えたい』っていうのはリポーターという職業がそうさせているのかもしれません。今でも『何か新しいことを発見してやろう』っていう気持ちがあるんですから。発見すること、伝えることがすごく好きなんです。私はやっぱりリポーターなのよ。自分の好きな人を発見してみんなに伝えるっていうのもそこからきているのかな(笑)」

精力的に活動している東海林さんだが、実は現在、夢中になっていることがあるという。「第三期恋愛中なんです」「まず初恋でしょ。次が亡くなった主人。だからこれが最後の恋だよ」

そう語る東海林さんの、気になる「恋のお相手」とは――。

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