前編記事『【袴田事件】約半世紀の獄中生活を経て、ようやく「再審無罪」へ…袴田巌さんの心の深淵を描く迫真のドキュメンタリー』より続きます。

10年にわたる取材

本作品の監督、撮影、編集を務めた笠井千晶氏は、元「静岡放送」の記者で、現在はフリーランスのドキュメンタリー監督であり、ジャーナリストだ。

放送記者時代の2002年から袴田さんの取材を始め、前述の袴田さんの姉、秀子さん(91歳)との親交は22年に及ぶ。その間、袴田事件に関するドキュメンタリー番組を撮り続け、そのうち2作品は、優れた放送番組にあたえられる「ギャラクシー賞」を受賞している。

本作は、2014年の袴田さんの釈放から今日に至るまでの約10年にわたる、袴田さんと秀子さんの「日常」を追ったものだ。

同年3月27日、東京拘置所から釈放された直後、弁護団の用意したワゴン車に乗り、都内を移動する袴田さんの〈まるで夢から覚めたような〉(公式サイトより)表情を、助手席に同乗した笠井監督のカメラが捉える。その後も、彼女は、国家によって半世紀近く引き裂かれていた姉と弟、2人の生活を淡々と記録し続ける。

50年近くに及んだ獄中生活で、袴田さんが「拘禁反応」によって精神を病み、意思の疎通も困難な状況にあることは私も、これまでの報道等で知っていた……つもりだった。

「拘禁反応」とは拘置所や刑務所など、刑事施設に拘禁されて生じる精神症状のことだ。その多くは頭痛やめまい、吐き気などだが、なかには、幻覚や幻聴、的外れな応答や事実とずれた発言、そして無罪であるという妄想や、恩赦などで釈放されると確信する「赦免妄想」などが生じることもあるという。

「神になった」

専門家によると、保釈や、釈放されて自由の身となることによって、自然に軽快していくケースがほとんどだという。が、袴田さんの症状はもはや、そのような軽いレベルにないことが、一切のナレーションを排した映像から伝わってくる。

笠井監督のカメラは、釈放後に袴田さんが暮らす、浜松市内の秀子さんのマンションの部屋の中を歩き回る、彼の姿を追う。カメラの存在など眼中にない様子で、ひたすら歩き続ける袴田さん。秀子さんによると「朝5時から夕方まで13時間、歩き続けることもある」という。

また、釈放から日が経つにつれ、袴田さんは、秀子さんの手を借りることなく、毎日のように一人で外出するようになる。帰宅が夜遅くになる日もあれば、外出先で転倒し、顔や頭にケガをして入院したこともあった。だが、彼は退院翌日からまた、散歩に出かけるのだ(もっとも、袴田さん本人にとっての外出は、ただの「散歩」、ましてや「徘徊」などではなかった。それについては後述する)。

しかし、秀子さんは、そんな袴田さんの、時に人の理解を超える行動を決して制止することなく、見守り続ける。そして、こう話すのだ。

「あの子にとっては『自由』が一番の薬だから、お医者さん(精神科医)に診せる気はない……」

一方の袴田さんは、笠井監督のインタビューに、自分は「神」になったと語る。

そう、彼は、半世紀近くに及ぶ獄中生活で、自ら「神」となっていたのである。

ハンドサインの「特別な意味」

死刑判決が確定(1980年)してから、釈放(2014年)されるまで、34年。

この間、明日にも、死刑が執行されるかもしれないという極限状態に留め置かれ続けた彼は、自分を決して「殺されることのない」、「死ぬことのない」存在、つまりは「神」とすることで、自らの命を護ってきたのだろう。

10年前、袴田さんが釈放された際、テレビに映った彼の姿をよく覚えている。

あの時、袴田さんは支援者や報道陣の前で、両手にVサインを掲げていた。だが、あの「Vサイン」は、単に、国家権力との無実の戦いでの勝利を示していただけでなく、もはや「神」となった彼のなかでは、「特別な意味」を持つハンドサインだったのだ。

映画では、そのサインが持つ意味も、笠井監督と袴田さんとの対話の中で、明らかになるのだが、笠井監督は対話を重ねることによって、彼の精神世界の奥深くまでわけ入っていく。

一方、その袴田さんを半世紀にわたって支えて続けてきた存在が、姉の秀子さんと、ボクサーとしてリングに上がり、拳ひとつで闘ってきた記憶だった。映画の中でも、話がボクシングに及ぶと、彼の目に光が宿るのだ。

袴田さんは中学卒業後、工場で働きながら、ボクシングジムに通い始めたという。1957年の静岡国体には、ボクシング代表選手の一人として出場した。その後、上京し、神奈川県川崎市のジムに入門。23歳でプロボクサーとなり、日本フェザー級6位にランキングされた。

しかし61年、体を壊してボクシングを休業。その後、静岡県清水市に移住し、前述の味噌製造会社の工員として、住み込みで働くようになった。専務一家殺害事件で逮捕されるのは、休業から5年後、袴田さんが30歳の時だった。以降、半世紀近くにわたって獄中生活を余儀なくされたことは前述の通りだ。

袴田さんの「聖地」

映画の中では、釈放後の袴田さんのルーティンとなった「散歩」-もっとも、彼の心の中では、日々欠かすことのできない「お勤め」なのだが-の中で、必ず立ち寄る、廃墟となった建物が出てくる。

後に、笠井監督のインタビューで、秀子さんの口から明かされるのだが、そこにはかつて、袴田さんが初めて通ったボクシングジムがあった。つまりは、袴田さんにとっての「聖地」だったのだ。

だからこそ「拳」を恃みに獄中生活を生き抜いてきた彼は今も、そのジムの跡地に「祈り」を捧げ続けるのである。

無実を訴え続けていたにもかかわらず半世紀近く、しかも、いつ国家によって殺されるか分からないという極限状態での拘留が、いかに人ひとりの人格を「破壊」するものなのか−国家権力の残虐さと、冤罪事件の罪深さをこれほど観る者に、静かに、しかしながら、強烈に訴えかけてくる作品もない。

だが、その一方で、笠井監督は本作のDIRECTOR'S STATEMENTにこう綴っている。

〈どんなに非道で残虐な仕打ちを受けたとしても、人間の心は縛れない。そして権力がどんな手を使って、個人を社会的に抹殺しようと企てたとしても、人間は決して屈しないし、自分の精神世界でなら全てに打ち勝つことができる。それが22年追い続けた袴田さんが、私に教えてくれたことです〉

『拳と祈り −袴田巖の生涯−』は、10月19日から東京「ユーロスペース」、静岡「MOVIX清水」など全国で順次公開。詳細は公式サイトhttps://hakamada-film.com/

【袴田事件】約半世紀の獄中生活を経て、ようやく「再審無罪」へ…袴田巌さんの心の深淵を描く迫真のドキュメンタリー