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 ◇パ・リーグ オリックス2―9西武(2024年9月24日 京セラD)

 今季限りで現役を引退するオリックス・T―岡田外野手(36)が24日、本紙に独占手記を寄せた。球団、ファンへの感謝や思いなど胸中を吐露。今季本拠地最終戦となった西武戦(京セラドーム)で引退試合に臨み、0―5の5回2死一、三塁で代打出場。7回2死からの第2打席で今季初安打となる右前打を放ち、19年間の現役生活に幕を閉じた。同じく引退試合に臨んだ安達了一内野手(36)も8回に遊撃への内野安打を放って沸かせた。 

 球場を包み込むオリックスファンの大声援に何度も救われ、何度も背中を押された。本当に心強かった。プロ19年間、通算5218打席目。最後の打席でも地鳴りのように響く大声援は聞こえた。大ファウルは笑えたが、最後のフルスイングを終えた後は涙が止まらなかった。

 野球を始めたのは小学3年生だった。仲のいい友達が先に野球を始めたことがきっかけで、白球を追う日々が始まった。最初は嫌いだった野球。まさか36歳まで続けることができたなんて、本当に夢のようだった。納得して引退することができたことは本当に幸せだ。

 幼い頃はめんどくさがり屋な性格だった。そんな私を成長させてくれたのは、これまで関わっていただいた多くの方々のおかげでしかない。プロ野球選手としても本当に恵まれていた。地元大阪の球団に指名していただいたことも幸運だった。両親をはじめ知人に数多く観戦してもらえたことは心から良かったと思える。そして大阪出身ということもあり、ファンの方々には特別な思いで応援していただいたと実感することは何度もあった。

 ただ、19年間の中で心が揺れ動いたこともあった。入団当初のチームはBクラスが“定位置”。「優勝したい」「優勝を争うチームで力を試したい」。3年契約が終了した19年オフには他球団への移籍を考えた。しかし、その思いもファンの大声援で変わった。

 あれは19年のシーズン最終戦だった。9月29日のソフトバンク戦で代打出場して空振り三振。打率・120、1本塁打の私にも温かい声援と言葉を送ってくれた。それが心に刺さった。われに返り、気持ちは固まった。

 やっぱり移籍は違う。この温かいファンの人たちと一緒に優勝がしたい。それが一番やりたいことなのかもしれないと心から思った。生涯オリックスを決断した瞬間だった。なぜ?これほどまでに応援をしてくれるのか、そう疑問に思うこともあった。だからこそ、引退を決めた一番の理由もそこだった。

 正直、まだ現役を続けたい気持ちがあることも事実。ただ、何をしても結果が出なかった。それでもファンの方々は私を信じて、ずっと応援をしてくれた。期待に応えられないことが一番キツく、つらかった。引退という選択は現実から逃げることかもしれないという思いもあった。ただ、これ以上期待を裏切ることはできなかった。

 あと1年。成績を残せていない中でも、球団は今季もプレーさせてくれた。退路を断って迎えた今季。8月のある日、妻に「疲れたわ。もう終わろうかな」と伝えた。子どもには「ダメ!」と言われたが、気持ちが変わることはなかった。

 精いっぱいやらせてもらったし、やりきった。寂しい思いはあるが、肩の荷が下りたというか…。優勝どころか、3連覇も経験させていただいた。あのファンの方々と一緒に優勝を味わうこともできた。少しでもファンの方々の記憶に残る一本を打てたのであれば、それが私の誇りだ。球団には本当に感謝しかない。大好きなオリックスで、温かいファンの愛情でT―岡田は育てられた。19年間、本当にありがとうございました。また、会いましょう! (オリックス・バファローズ外野手)

 ◇T―岡田(てぃーおかだ、本名岡田貴弘=おかだ・たかひろ)1988年(昭63)2月9日生まれ、大阪府出身の36歳。履正社から05年高校生ドラフト1巡目でオリックス入団。10年に本塁打王とベストナイン、14年にゴールデングラブ賞獲得。21年は17本塁打、63打点で球団25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。1メートル87、100キロ。左投げ左打ち。