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 女優の黒柳徹子(91)が20日放送のテレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!! SP」(金曜後11・15)に出演。デビュー当時のしくじりを明かした。

 この日は芸能生活70年、ギネス世界記録を持つ黒柳がしくじり先生として登場。「しくじり連発で瀬戸際に追い込まれていた瀬戸際のトットちゃん先生」として授業を行った。

 1953年にNHK専属女優第1号としてデビューした黒柳。61年にNHK退社後、文学座附属演劇研究所として演技を学ぶ。71年にニューヨークへ留学。76年には今でも続くテレビ朝日「徹子の部屋」がスタート。「ザ・ベストテン」「NHK紅白歌合戦」などの司会を務めるなど、テレビ司会者、舞台女優などマルチに活躍している。

 番組では黒柳のイメージとして「仕事も何でもこなすキャリアウーマンの先駆け」「職場の人間関係にを円滑にしていそう」と紹介。スタジオの“生徒たち”もうなずく中、黒柳は「仕事でクビ連発、職場の人間関係でトラブりまくり」とNHK時代のしくじりを明かした。

 授業のサポートを行った「平成ノブシコブシ」吉村崇が「トラブルメーカーとしての一面があった?」とたずねると、「そういうことですね」と黒柳。「NHKに行くとみんなが怒るんです、私にね。“帰りなさい”とか言われて、みんなが私のことを“変だ”と言うんです」と苦笑した。

 デビューとなったエキストラで即クビとなった事実も。「有名な女優さんが歌っていた。“ブギウギ〜”って。笠置シヅ子さんの後ろを私が通るんですけど、ちょっと見ちゃうじゃないですか。どうしても見ちゃうんですよね」と黒柳。「3〜4回くり返してた。なるべく見ないようにして、“キョロキョロするんじゃない!”って。また笠置さんが歌うと、どうしても見ちゃうんです。当時の一番凄い方ですよ?その方が“東京ブギウギ〜”って。ですから見ないわけにはいかないんです」と話した。

 「通行人の役はダメだと言われたんですけど、普通のドラマに出ても降ろされた」とも。当時のNHKの状況は視聴者が聞き取りやすいように普段よりもゆっくり話さないといけなかったそうで、当時の監督から言われた「お前の日本語、全部直してこい」という言葉は忘れられないという。「“できません”って言ったんですけど、その人が凄く怒って。そういう時でも芸能界に入って1度もケンカしたことないんですよ。ケンカしないし、何か言われたりしても反抗しない。だから、蹴ったんですよ、壁を。ガン!って。ちょっと穴が空いたんですよ。それ(空いた壁)はもう当然知らん顔です」と振り返った。

 そんな経験から「怒るのはエネルギーの無駄」という思いに至ったといい、「今まで生きてきて、怒っても何もいいことがないということに気が付いた。皆さんもケンカしたりするが、これは本当にやめたほうがいい。それ以外のことにエネルギーを使うようにして」と教訓を明かした。