京都御所(写真:Daikegoro / PIXTA)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は紫式部が見た、中宮や女房たちの素顔について解説します。

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同僚の女房たちの素顔を記す

『紫式部日記』の中には、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)に仕えた紫式部が、同僚たちのさまざまな素顔を記している箇所があります。

紫式部も同僚のことを書くのは、少し遠慮があったようで、最初に「女房たちの姿形について、お話ししたら、それはおしゃべりがすぎるでしょうか」と書いています。

また、執筆に際しては、紫式部なりの基準があったようで、「これはちょっと……」と思われる人(つまり、人の欠点)については「触れないでおく」とも記しています。

そのうえで、まず紫式部が取り上げたのが、藤原遠度(北野の三位)の娘・宰相の君です。

「ふっくらとしていて、とても整った容姿。利発そうな顔立ちで、初対面の頃から時を経るにしたがって、とても印象がよくなっている。上品で洗練されていて、口元には高貴な雰囲気とともに、艶っぽい雰囲気も漂っている。立ち居振る舞いも、人目をひく美しさで、とても華やかだ。性格もたいそうよく、可愛らしさと品のよさが備わっている」

この一文を読むと、絶賛といった感じです。

紫式部は、小少将の君(源時通の娘)についても「上品で優雅。シダレヤナギのような風情。姿形は可愛らしく、物腰は奥ゆかしい。性格は控えめだ。人付き合いをとても恥ずかしがる。こちらが見ていられないほど、子どもっぽい。もし意地悪な人がいて、悪口を言われたりしたら、くよくよ悩み込んでしまうような、か弱くどうしようもないところがあるのが、とても気にかかる」と評しています。

小少将の君を、紫式部は自分の妹のような、いや、もしかしたら、我が子のように見ていたのかもしれません。

中宮に仕える女房の中で、紫式部がひときわ「綺麗」だと思っていたのが、小大輔や源式部(源重文の娘)でした。

小大輔は、髪が美しく、とても豊かで、背丈より一尺以上長かったとのこと。しかし、「今は抜けて分量が少なくなっていた」ようです。これは、少し余計な記載でしょうか。紫式部曰く「外見で直すところはない」そうです。

源式部は、身長が高く、顔立ちは端正。「見れば見るほど素敵」なんだとか。可愛らしい感じで、どこか爽やかな、お嬢様のような雰囲気があったようです。

紫式部は同僚たちの姿形の感想をあれこれ書いていますが、女房たちの「性格」についても触れています。紫式部曰く「人それぞれ、ひどくまずい人はいない」とのこと。

とは言え、抜群に素敵で、落ち着いていて、才覚も教養・風情もあり、仕事もできて……というように、すべてを兼ね備えている人は、なかなかいないと記しています。

中宮付きの女房たちは「お嬢様のよう」

人のことをあれこれ言う「上から目線」であることを、紫式部自身も自覚しているようで「本当に偉そうな口ぶりですね」とも述べています。

さて、紫式部は中宮のことにも少し触れています。

「中宮様は御気性として、色ごとを軽薄だとお考えでいらっしゃる」と述べています。そのため中宮付きの女房の中には、そう簡単に人前に出てこない人もいるようです。特に上臈・中臈(※平安時代の女房の序列。上から、上臈、中臈、下臈と、序列があった)辺りの女房が「あまりにも奥に引っ込んで、お嬢様めかしている」と紫式部は記します。

中臈だった紫式部は「そんな仕え方ばかりしていては、中宮様のためのお飾りではないのですから、見苦しい」とも述べているので、自分より序列が高い女房に対する批判が込められていると言えましょう。


紫式部邸宅跡地に建つ、廬山寺(写真: ogurisu_Q / PIXTA)

そう書きつつも、紫式部は「女房たちは、皆、十人十色。そんなに優劣はない。あちらがよければ、こちらがまずい。一長一短のように見える」と補足しています。

紫式部は中宮のことを「色ごとを軽薄とお考えでいらっしゃる」と書いていましたが、実は更に突っ込んだことも記しています。

中宮は非の打ち所がなく、上品で奥ゆかしいけれども「あまりにもご自分を抑えすぎる御気性で、何も口出しすまい、口出ししても、安心して仕事を任せることができる女房などそうそういないと考えて、自分を抑える習慣がついている」と述べています。

中宮がまだ小さいときに、たいした実力もないのに、我が物顔で振る舞っていた女房がいたそうです。その女房は、大事なときにおかしなことを言い出してしまいました。

それを見ていた中宮は、女房の言葉を聞きながら「これほど見苦しいことはない」と感じられたとのこと。その女房の様に、いろいろとでしゃばり差配するよりも、ただ大きなあやまちなく、やりすごすほうが安心できると中宮は考えているのではないかと、紫式部は推測しています。

中宮が女房たちに要望を伝えても響かず

こうした中宮の価値観が、「子どものようなお嬢様」(女房たち)にはピッタリで、習い性になってしまっていると紫式部は考えます。紫式部自身はそうした価値観をあまりいいものとは思っていないようです。若干、組織批判も入っていると言えるでしょう。どちらかと言えば内向的な紫式部ですが、これは意外な感想です。

一方で、紫式部は中宮をよく観察していて、最近の中宮は「後宮のあるべき姿や、女房たちの気性、長所や短所、出過ぎたところや至らないところをすべて見抜いている」と記します。

さまざまな経験を積んだ中宮は、女房たちに「もっとこうしてほしい」といった要望があり、時にそれを上臈女房に伝えたりするのですが、女房たちにはいまひとつ響かないようです。「上臈女房の消極的な習慣は簡単には直らない」と紫式部は感じているようですね。

紫式部には、上臈女房たちがお高くとまっていると見えていました。来訪者がやって来ても、しっかりした対応ができないときがあったそうです。

対応に出て、来訪者と顔を合わせることすらできない人もいたようで「実に頼りない子どものような上臈女房」と紫式部は非難しています。紫式部は内向的と書きましたが、さすがにここまでではなかったのでしょう。

(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

(濱田 浩一郎 : 歴史学者、作家、評論家)