「日本のデモクラシーはフェイクだ」KADOKAWA前会長が告白…「中世」と呼ばれる「日本の人質司法」の闇

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「東京2020オリンピック・パラリンピック」で、大会スポンサーの選定で賄賂を渡してスポンサー選定を依頼したという疑いで、当時のKADOKAWA会長、角川歴彦氏は2022年9月14日に東京地検特捜部に逮捕された。一貫して容疑を否認し、無罪を主張するものの、東京拘置所に収容、23年4月27日に保釈されるまで226日間、身体拘束され続けた。この長期にわたる不当な身体拘束について、角川氏は著書『人間の証明 勾留226日と私の生存権について』で「人質司法」による人権侵害だと強く主張し、国を相手に「人質司法違憲訴訟」を起こした。

「生きている間はここを出られない」

――本書は、拘置所における「人質司法」の実態をご自身の体験をもとに赤裸々に描かれています。知らないことばかりで、驚きを越えて、恐怖心すら感じました。

日本では容疑者がその容疑を否認し、無罪を主張したり黙秘すると起訴後も長期間の身体拘束が続きます。容疑を認める自白を引き出すためです。

拘置所では24時間監視され、あらゆる自由が制限されます。私の場合は独居房のトイレさえ外の廊下から丸見え状態でした。

私は当時79歳で、心臓に持病を抱えていますが、拘置所ではまともな治療は受けられません。実際、拘留中に3度倒れ、2度入院しました。しかし、拘置所の医師からは、罪を認めない限り「生きている間はここを出られない」と告げられました。

このように被疑者や被告人の身体を「人質」にして、有罪判決に導くという日本独自の仕組みは、刑事司法の世界では「人質司法」と呼ばれています。これは国際的にも長年、批判されてきたものです。

人権を無視した“異常な司法制度”

――その「人質司法」の問題を多くの人に知ってもらうために、筆をとられたわけですね。

まず申し上げておきたいのは、この手記は、私の無罪を訴えるためのものではないということです。私は一貫して無罪を主張していますが、それは刑事裁判で争っています。

それとは関係なく、今回の手記は、私の体験を通じて「拷問」ともいえる人質司法の非人道性、違法性を広く世に問いたいという考えから出版しました。

「被疑者の人権」という言葉があります。国際法では当たり前とされていることで、被疑者・被告人は有罪が確定するまでは無罪として扱われ、その人の人権や尊厳は尊重されなければなりません。

しかし、日本ではそれが無視され、蹂躙され続けてきました。被疑者の人権などというものは、日本の拘置所では一顧だにされません。刑事司法の基本である「無罪推定の原則」は無視され、いまもそれは続いています。こうした国際的に見ても異常な刑事司法制度を1日も早く廃絶しなければなりません。

検察・警察・拘置所・裁判所・メディアが一体化

――本書では、「人質司法」のメカニズムを解明されています。

人質司法は検察の力だけでは成り立ちません。強大な力を持つ検察が主導しながら警察、検察、拘置所、裁判所、メディアが一体になってシステムとして機能していることを、実体験しました。

私が最初に人質司法の恐怖を実感したのは、マスメディアの「犯人視報道」でした。社会的に注目される刑事事件では、特捜検察はメディアに情報をリークして、被疑者や被告人を「犯罪者」に仕立て上げ、世論の後押しを利用して強引に捜査を進めます。

テレビや新聞などのマスメディアは私のことを「ワンマン経営者」「絶対的権威」などと報じ、五輪のスポンサー契約が私の指示でなされたという検察のストーリーを補強する報道を繰り返しました。

検察は一方で、当局側に不利な報道をするメディアを記者クラブや検察庁への「出入り禁止」にするなどして、「アメとムチ」でメディアをコントロールしています。日本のマスメディアは国の権力によって手なずけられているのです。

実際、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が発表する「報道の自由度ランキング」でも、日本はどんどんランクを下げています。2024年度版では日本は世界70位で、アジアでは台湾(27位)、韓国(62位)よりも下です。

一方、裁判所についても、刑事訴訟法では、保釈の請求を受けた裁判官は原則的にそれを許さなければならないと定めています。

しかし実際には、罪を認めた被告人は容易に保釈が認められる半面、否認する被告人については、検察による罪証隠滅や逃亡の可能性の主張を、ほとんどの裁判官が受け入れ、保釈を認めません。つまり法律でうたわれている被告人の権利保障が、まったく守られていないのです。

保釈後も続く“人権侵害”

――そうした中で、角川さんは心臓の持病が悪化し、命の危険性も考慮されてようやく保釈が認められました。

5回目の保釈請求によってなんとか保釈を勝ち取ったわけですが、今度は保釈制度とは何かを考えるようになりました。保釈には保釈条件というのがあります。保釈条件にも非常に大きな問題があり、これも人質司法の延長にあると私は考えています。

私の場合、保釈条件として、保釈後の電子機器・携帯電話の利用禁止、多数の関係者との接触禁止など厳しい行動制限がかけられています。

これは日本国憲法に定められた社会権の侵害にあたると考えています。いまや社会生活を普通に送るために必須といえる携帯電話が使えません。パソコンも持ってはいけない。このネット社会において、インターネットなしの生活を強いられているのです。

また、経済人としても活動ができなくなりました。関係先に迷惑をかけてはいけないということで、私はKADOKAWAの取締役をはじめ複数の企業、団体、財団の役職をすべて退任しました。

ですから、拘置所における人権侵害の問題に加え、保釈制度による保釈後の人権侵害もあるのです。「人質司法」というのは拘置所の中だけではなく、保釈されて社会に出てからも続いているということです。

国を相手に「人質司法違憲訴訟」を提起

――今回、「人質司法」をなくすために国を相手に訴訟を起こされました。

「人質司法」は日本国憲法と国際人権法に違反するとして、国を相手に「人質司法違憲訴訟」を起こしました。これは「公共訴訟」と呼ばれるもので、私個人の被害を救済するためではなく、人質司法という人権侵害制度を広く世に問うための訴訟です。

人質司法違憲訴訟は、私が無罪獲得を目指す刑事裁判とはまったく別の裁判です。原告は人質司法の被害者である私で、被告は国です。

人質司法違憲訴訟は前例がなく、勝てないという意見が圧倒的です。確かに孤独でハードルの高い戦いになると思います。ただ、私を心配してくれて、支援の手を差し伸べてくれる人も大勢います。なんとしてでもその壁を打ち破ってみたいと思っています。

その点で、私の支えになっているのが、憲法違反の3大事件です。一つは、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」です。ハンセン病患者の強制隔離を定めたらい予防法は憲法違反だとして元患者らが起こした公共訴訟です。

2001年、熊本地裁は原告の訴えを認める画期的な判決を下しました。国は異例にも控訴を断念し、当時の小泉純一郎首相が患者・元患者に謝罪する談話を発表しました。

もう一つは、「表現の自由」を巡る裁判です。独立系の映画製作会社「スターサンズ」が製作した映画『宮本から君へ』(2019年公開)は、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」から助成金の交付内定を受けていたのですが、出演俳優による薬物使用事件の有罪確定を理由に取り消されたのです。

スターサンズは助成金交付を求めて訴訟を起こし、一審は勝訴したものの、控訴審で逆転敗訴を経て、2023年に最高裁で逆転勝訴が確定しました。最高裁の裁判官4人全員一致で「公益を理由とする不交付が広がれば表現行為が委縮する可能性があり、表現の自由の趣旨に照らしても看過しがたい」との判断を示しました。

直近では今年7月、旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国を訴えた裁判の判決で、最高裁判所大法廷は、旧優生保護法は憲法違反だとする初めての判断を示しました。

そのうえで「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた。責任は極めて重大だ」と指摘し、国に賠償を命じる判決が確定しました。

この3つの例を見て、裁判官の中にも人権に対する意識を変える人が少しずつ増えているのではないかと期待しています。

「出版人としての責任感」が原動力に

――80歳を超えて、なおそうした困難に立ち向かう胆力のようなものはどこからわき起こってくるのでしょうか。

今回意識しているのは、自分が言論人であるということと、出版人であるということです。それが私のよりどころなのです。

たとえば2002年、個人情報保護法案に対して、治安維持法が悪用された歴史的経緯を踏まえ、日本雑誌協会をはじめ私たちは個人情報保護法の成立に反対する活動を行いました。作家の城山三郎先生らとともに記者会見も開き、結果として同法案は廃案になりました。

国家権力というものは表現の自由、出版にこれからも制約をかけるような法律をつくることは十分にあり得ると思っています。そういう危機意識があり、それが私の胆力の根底にあるのかもしれません。

刑事事件の被告人が歴史的に大きな役割を担うことがこれまでもありました。「袴田事件」でいまなお苦難を背負われている袴田巌さんは、再審の法制度を変えるという役割を担っています。

「ロス疑惑事件」で無罪を勝ち取った三浦和義さんは、最高裁における名誉棄損の新しい判例を数多くつくりました。「郵政不正事件」の村木厚子さんは取り調べ時に録音・録画する新しい司法システムの導入を促しました。

私は保釈後、自分が生きて拘置所を出ることができた意味を考え続けました。国際社会から「中世のなごり」と批判される日本の司法制度を改革し、人質司法によって自分と同じ犠牲者を生まないように死力を尽くすこと。日本が真の民主主義国家となるために、私の残された人生を捧げる覚悟です。それは出版人としてメディアに生きた者の責務でもあると考えています。

その後、まさかの「即逮捕」…メディアの前で無実を主張した「KADOKAWA元会長」が、翌日「検事」から呼び出されて言われた「ヤバすぎる言葉」