「デイケアの送迎バス」に「自分より高齢の人」がいると知った「中国人の89歳女性」がとった「意外な態度」

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老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。

世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。

医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。

*本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。

高齢自慢

子どもは別として、人はだれでも若く見られることを喜ぶものでしょう。

落語の「子ほめ」もその心理を描いたもので、「○○とはお若い。どう見ても××そこそこ」と、実際の年齢より若く言うことで、相手を嬉しがらせます。

ところが、九十歳を超えると、急にこの状況に変化が訪れるようです。

ふと気づけば、自分は九十歳の大台に乗っている。近所や親戚を見まわしても、自分ほど長生きをしている者はそう多くない。生き残った自信というか、よくぞここまで生き延びたと、自分をほめてやりたい気持ちになるのでしょう。

それまでは、いつ死が訪れるかとビクビクしていたのが、ここまで生きればあとはどこまで生きられるか楽しみだと、気持ちの攻守が逆転する人もいるようです。そうなれば、齢が増えることはむしろ喜びになって、ことさら自分の年を言い募る“高齢自慢”の域に入ります。

九十四歳のN′さんは、典型的な高齢自慢の女性でした。多少、背骨は曲がっていますが、杖なしで歩けるし、頭も比較的しっかりしていました。

「お元気ですね」と声をかけると、耳が遠いため大きな声で、「もうぜんぜんダメですわ」と手を振りながらも、目がキラキラ輝いているのです。

「いやいや、それだけしっかり歩ければ立派です」とほめ、うっかり「とても九十四歳には見えませんよ」などと言い添えると、真顔になって、「九十五ですがな」と大声で訂正されます。数え年なのですが、N′さんがそれを使うのは、むかしからの習慣というより、少しでも数が多いほうが好ましいからのようでした。

京都生まれのK′さんも高齢自慢で、デイケアに来るととなりに座った人に、「奥さん、なんぼにならはりました」と訊ねるのが常でした。耳が遠いので、相手の答えは聞き取りにくいようでしたが、それにはお構いなしに、「わてはもう九十三どっせ。あきまへんわ。ひゃっはっはっはー」と、毎度のキメ台詞を放って、甲高い笑い声をあげるのです。

“ダンディ爺さん”のSさんも似たようなもので、ロビーで送りのバスを待っているときなどに、「もう九十六(数え年)にもなりましたら、何の役にも立ちませんな」と恥じるように言いながら、「早ようお迎えがこんかと思うとりますが、これだけはなかなか、ハッハッハ」と、元気いっぱいのようすでした。

中国人のRさんは八十九歳の女性ですが、送迎バスに同乗する職員によると、「ワシは前に座る。ワシの家に先に行け。もっと速く走れ。こっちの道を通れ」などと、やたら注文の多い人でした。それが、あるときから急におとなしくなりました。同乗している利用者さんに、自分より高齢の人がいることを知ったからです。それまでは自分がいちばん年上なので、大事にされて当然と思っていたようです。中国人の家庭では、儒教精神がより強く残っているのでしょう。

高齢自慢の人は年齢を誇っていても、その年齢の意味を理解しているとは思えませんでした。

N′さんは口では「もうダメ」と言いながら、必ずしも老いていることを納得していませんでした。指がしびれるとか、膝が痛いとか訴えては、「なんででっしゃろ」と首を傾(かし)げます。

「どっか悪いんでっしゃろか」

「どこも悪くないですよ。長く使っていると、自然とそうなるんです」

「けど、去年までなんともなかったんでっせ」

それは去年までの幸運を喜ぶべきで、いつまでも無症状のままが当たり前と思うほうがまちがっています。けれど、そんなほんとうのことは言えませんから、湿布や鎮痛剤などのおざなりな治療でお茶を濁します。

デイケアの話ではありませんが、父がまだ存命のとき、地元の老舗のそば屋に行くと、先代の主人が帳場に立っていました。父を見ると、「おいくつですか」と訊ねるので、父が「八十五です」と答えると、「お若いですなぁ。わたしはもう九十ですわ」と、卑下するように見せて、実に嬉しそうに言いました。見ていると、自分より年少そうな高齢者を見つけては、年を訊ね、「お若いですなぁ。わたしは……」と繰り返していました。高齢自慢はよっぽど気分がよいようです。

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