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本来、日本は「司法と立法と行政がそれぞれ独立する三権分立」であるはずが、経済ジャーナリストである森永卓郎氏は「司法と立法が財務省に隷属している」といいます。いったいどういうことか、森永氏の著書『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』(三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売)より、詳しくみていきましょう。

財務省に隷属する司法・立法

「財務省と裁判所はグルではないのか」という批判も高まっている。

私はグルというより、検察も裁判所も、財務省に隷属しているのだと考えている。裁判官も検察官も公務員だ。彼らの活動を支える予算はすべて財務省が握っている。財務省を敵に回したら、仕事ができなくなってしまうのだ。

財務省はこの事件を闇に葬ろうとしているとしか思えない。森友学園問題で虚偽公文書作成を指示した佐川元理財局長は、刑事責任を問われていない。それどころか、懲戒免職ではなく、依願退職扱いとなって、4,999万円もの退職金を受け取っている。

さらに、裁判で佐川元局長の代理人は、佐川氏が早く裁判を終結させて再就職をしたいと考えていると述べている。退職金に加えて天下りまで目論んでいるのだろう。

赤木俊夫さん※は、亡くなる前に手記を残していて、そこにはこう書かれていた。

※森友学園への国有地売却をめぐり、決裁文書改竄を強要され、うつ病を発症し、2018年3月7日に自殺した。

「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」

教科書には、「日本は、司法と立法と行政がそれぞれ独立する三権分立」だと書かれている。しかし、エリート中のエリートである財務官僚だけは別だ。彼らは司法の上に立ち、政治家を洗脳することで立法の上にも立っている。その地位は絶対君主に等しい。

そんなおかしなことがまかり通っているというのに、メディアの追及は、表面的なところにとどまっている。財務省はメディアの上にも立っているということなのだろう。

ちなみに元経産官僚の古賀茂明氏が、2023年12月26日のAERAdot.に「元財務省・佐川氏をかばい続ける絶望的な司法『上級国民』なら故意の犯罪も許されるのか」と題した興味深い論考を発表している。その一部を引用しよう。

元経産官僚、古賀茂明氏の論考

今回の判決は、違法行為をした公務員個人には、直接の損害賠償請求はできなくても、「懲戒処分や刑事処分などで」制裁が加えられるはずだと述べたが、それが全く実現していないことへの言及はなかった。

また、国から佐川氏への求償権の行使もなされていない。

つまり、本来法律が想定した公務員への制裁は空振りになっているのだ。

ここでよく考えてみよう。

仮に、会社に雇われた運転手が職務中に事故を起こして人を死なせてしまった場合、その遺族は、会社に対して損害賠償を請求することもできるが、運転手個人にも同様の請求ができる。それは運転手に故意や重大な過失がなくても認められる。

ところが、今回の判決をそのまま放置すれば、完全な故意によって犯罪行為を指示し、公文書改ざんをさせた上に、それによって一人の人間を死に追いやった公務員は、なんのお咎めもなしで、謝罪すらしなくても良いということになる。

「公務員」だから、罪を犯しても特別に法律によって守られているのだ。

繰り返して言おう。

「一般市民は、悪意なく単なる過失で損害を与えたら、被害者側に直接損害賠償責任を負うのに対して、公務員だけは、悪意を持って罪を犯しても損害賠償しなくて良い」というのが裁判所の考えなのだ。

どう考えてもおかしいだろう。法律もそんなことを想定したとは到底思えない。故意に損害を与え、特に悪質な場合で、しかも十分な懲戒処分も刑事処分もまた国による求償権の行使もなされない場合に限っては、例外的に、被害者が公務員個人に直接損害賠償を求めることを認めるべきではないのか。

私は、古賀茂明氏の意見に全面的に賛成だ。

ただひとつ、「公務員」だから刑事罰が科せられないとか、「公務員」だから求償権を行使されないのではない。一般の公務員なら、当然それは行なわれている。

刑事罰や求償権から完全に逃れられているのは、“上級国民中の上級国民”である財務省のキャリア官僚だけなのだ。
 


 

森永 卓郎

経済アナリスト

獨協大学経済学部 教授