ウクライナの「クルスク侵攻」で浮き彫りになった、世界とは異なる「日本の言論空間の事情」

写真拡大 (全7枚)

ウクライナのクルスク侵攻で見えた日本の言論空間の事情

ウクライナ軍がロシア領クルスク州への侵攻を開始してから、約一か月がたった。初期の段階では、一般の方々のみならず、数多くの軍事専門家や国際政治学者の先生方の間でも、ウクライナの「戦果」を称賛する高揚感が広がっていた。今にして思うと、瞬間的なお祭り騒ぎのようだった。

他方、私は、ウクライナのクルスク侵攻の意義に、かなり懐疑的だった。そのため、孤独な心細い気がしていた。SNSレベルでは、あいつは親露派だ、老害だ、といった評価もいただいていた。

しかしウクライナに不利な戦況は今や明らかだ。ウクライナ軍のロシア領クルスク州国境地帯への侵攻は、膠着状態に入った。その一方でロシア軍はドネツク州を中心とする東部戦線で、急速な支配地の拡大を続けている。

果たして日本の言論空間は、これからどうなっていくのか。

疑問の残るクルスク侵攻作戦の意味

ウクライナが占拠したスジャは人口6千人の小さな町にすぎない。ウクライナ軍が到達する前にほとんどが避難したので、残っていたのは200人程度だったと言われる。ウクライナ軍が制圧をした国境付近の地域は、基本的に田園か山林部で、点在する集落などもほぼ無人であったと思われる。ウクライナ軍は、原子力発電所や州都クルスクを目指していたのかもしれないが、全く到達しなかった。奇襲攻撃で、過疎地帯に、形だけの占領地域を作っただけである。沸き返っている方々を見て、侵攻初期の段階から、私は以下のようにXポストでつぶやいていた

プーチン大統領が言うように、戦線を広げること自体が目的で、ただ戦争が終わらないよう、停戦の機運に抵抗しただけだった、と総括されても仕方がない。実際に、ウクライナ政府の指導者たちは、今のまま戦争を終わりにしたくない。そこで東部戦線の膠着とトランプ前大統領の当選の見込みに相当に焦っていた。たとえ自分が不利になる状況に陥る可能性が高い非合理的な行動であるとしても、戦争が拡大して継続していくことを、ウクライナの指導者たちは望んだ。私はその趣旨の文章を何度か書いた。

もちろん非合理的な行動だからといって、必ず失敗するかどうかまでは、やってみないとわからない、とは言えるかもしれない。日本で非常に稀有で貴重な客観的な戦況分析のソースとなっているDavid Axe氏の記事は、そこでウクライナの行動を「危険な賭け事(gamble)」と称している。 『Foreign Affairs』誌掲載の論文で、Michael Kofman氏とRob Lee氏も「ウクライナの賭け事」と呼んでいる。これはかなり定着した理解の仕方で、クルスク侵攻が始まった直後から、欧米の主要メディアは、ウクライナの行動を「賭け事」と称してきている。(『ニューヨークタイムズ』、『ワシントン・ポスト』、『ル・モンド』)

結果には偶然の要素が働くかもしれない。そこで予言めいた表現までは避けるとして、なおウクライナの行動を「賭け事」と呼ぶのは、計算された合理性がない一か八かの行動だからだ。なおこれはロシア系のメディアの話ではない。せいぜい欧米系の軍事専門家や主要メディアのレベルの話だ。

日本におけるクルスク侵攻作戦の称揚

これに対して、日本では、一般向けメディアで露出度の高い軍事専門家や国際政治学者の方々が、クルスク侵攻作戦を称揚する言説を多く公にしていた。

実例を見ていこう。北部方面総監をへて第34代陸上幕僚長となった輝かしい経歴を持つ元自衛官の岩田清文氏は、「軍事的メリットは「牽制抑留」と「士気高揚」 ウクライナ越境攻撃は戦局の大転換となるか」という題名の論考で、ウクライナのクルスク侵攻の意義を説明した。

岩田氏によると、クルスク侵攻は、「今後やむを得ず停戦にもつれ込んだ場合に備え、停戦交渉を有利にするための条件作為」だという。その理由の一つは、停戦気運が高まりつつあったので、それを打破した、ということだったという。岩田氏は、戦争を継続させる努力をすることは、作戦の正当化理由になる、という立場をとる。

岩田氏は、さらに「ロシア国内を混乱させ、ウラジーミル・プーチン大統領の指導力を低下させる狙いもある」と主張した。岩田氏は、北部方面総監の経験もあり、ロシア通ではあるだろう。だがクルスク侵攻をすると、プーチン大統領の指導力が低下する、というのは、元統合幕僚長だったという肩書だけで、学者が簡単に納得できるような洞察ではない。岩田氏は、「特別軍事作戦」ではなく「戦争」状態にあることをロシア国民に認識させること、スジャの欧州向け天然ガスのパイプラインを制圧するとロシア経済にも打撃を与えられること、クルスク原発を制圧すれば南部ザポリージャ原発との交換条件とすることができる、といったことが岩田氏の洞察の理由であった。しかし残念ながら、これらはかなり事実問題のレベルで「期待」が相当に入っている。「プーチン大統領の指導力を低下させる」事柄なのかどうかも、判然としない。

さらに岩田氏は、「軍事的には、ロシア軍が主力をもって連日攻撃を仕掛けている東部ドネツク州地域への圧迫を弱めるため、ロシア軍の兵力をこのクルスク地域へ転用させて引き留める『牽制抑留』の目的を持っている」と指摘した。言うまでもなく、これは実際には起こらなかった。

ロシア政府は、ドネツクはすでに自国領だという公式の立場をとっているので、ドネツクよりもクルスクの方が圧倒的に重要だという認識は持っていない。ドネツクを放棄して、遠方のクルスクに兵力を移転させる、といった措置は、よほどのことがないと起こりそうにない。もちろんウクライナ軍の進展が圧倒的で、モスクワも占領しそうだ、といった事態まで行ったら、事情は変わるかもしれない。だが実際のウクライナ軍の限定的な兵力で、そこまでの戦果を期待するのは、かなり無理があったように思われる。

だが岩田氏は、朝鮮戦争時に戦局を大きく塗り替えた「仁川上陸」作戦を類似事例として参照しながら、クルスク侵攻作戦の意義を示唆した。しかし、仁川の場合には、北朝鮮軍の退路を封じ込める半島中枢部で上陸作戦を決行したことに意味があった。それに対して、ウクライナ軍がクルスク州から回り込んで東部戦線のロシア軍を排撃するといった行動は、全く想像ができない。ハリコフ周辺の戦線に影響を与えることすら、著しく困難だ。

もちろん岩田氏は、「この越境攻撃においてウクライナの目的が達成され、大きな転換点になるかどうかは、いくつかの浮動要因がある」と述べ、「今後ウクライナ軍がどれほどの戦力を増援できるか不明であるが、増援できたとしても、最も重要な東部地域防衛のための戦力配分との関係において限界がある」と指摘した。その意味では、岩田氏は、ウクライナ有利の結果を予言したわけではない、と評することもできるだろう。だが果たしてウクライナ軍に増援の余裕がない、という事情は、「浮動要因」だっただろうか。盲目的に戦線を拡大したら量で勝るロシア軍が有利になるだけだという見立ては、むしろ合理的な推論の基礎になる事項ではなかっただろうか。

現実に裏切られる分析

元「幹部自衛官」で、今は小説家として人気を博している数多久遠氏は、クルスク侵攻には、「将来の交渉における領土交換を目指したものである可能性が高い」と、岩田氏と同じ政治的効果への期待を表明した。

数多氏は、岩田氏同様に、直近では停戦の機運が遠のいて、戦争継続の見込みが高まったことを、そのこと自体が良いこととして、ウクライナに有利な結果として評価した。

数多氏は、さらに具体的なウクライナの利益も列挙した。たとえば、スジャ占領は、ロシア国内の補給路を分断するうえで意味が大きい、と強調した。なぜなら「ロシアは、クルスクからスジャを経由してベルゴロドに向かっていた鉄道輸送が不可能にな」ったからだという。しかし数多氏自身が、「ベルゴロドには別方向からも鉄道が延びているため、完全に補給が途絶えたわけではありません」というように、なぜスジャがそこまで補給路として重要なのかは、不明である。クルスクから直接ベルゴロドに向かう鉄道路もある。

数多氏は、「東部での戦闘では、ウクライナ軍の苦境が伝えられていたため、これらの地域では、多少なりとも戦力バランスが好転するでしょう」と予言していたが、これも過去1カ月の現実には裏切られている。数多氏は、「戦線の拡大による局地的な戦力バランスの改善は、大きな戦略変更としてウクライナ側を利することでしょう」と総括しているのだが、なぜ戦線を拡大するとウクライナが有利になるのかという理由は、せいぜい、拡大前の時期が辛かったから(変えたい)、といった程度の論拠である。

あとはアメリカがこれを機会に兵器使用の制限を緩和してくれれば、ウクライナにメリットがある、という点にこだわっている。だが果たしてクルスクを侵攻すると、欧米諸国は要請に答えたくなる、と言うのは、合理的な推論だろうか。そもそも、より本質的には、武器使用制限の緩和は、戦局を完全にひっくり返すほどの決定的な意味を持っているのか? クルスク侵攻でウクライナ軍の損失は、その過大な期待を考えれば、合理的だと本当に言えるのか? という問いがある。欧米諸国が要請に応じることを願うということと、クルスク侵攻作戦の合理性が確証されていると主張することとは、別次元の事柄である。

非軍事的要素への期待

元陸上自衛隊中央即応集団司令部幕僚長の二見龍氏(元陸将補)は、インタビューに答えて、「ウクライナはこれまで、露軍が占領しているウクライナ領土を返還させるための交渉カードを一切持っていませんでした。しかし、今回侵攻したクルスクは原発、天然ガス計測施設、鉄道主要駅を有する戦略的に重要な地域です。さらに言えば、今回の作戦によって、クルスクは第2次世界大戦後初めて他国に侵略されたロシア領土ということになりました。プーチン大統領が『特別軍事作戦』と呼び続けているこの戦争の現状を、露国民に知らしめるインパクトもあるでしょう」と述べ、クルスク侵攻作戦を評価した。

しかし、8月26日のインタビュー記事の段階においてはもちろん、もっと早い段階の侵攻開始直後から、ウクライナ軍が原子力発電所などには到達できないことは、明らかであった。なぜ二見氏は、一方的な願望でしかない原発占拠を、侵攻作戦の成果に含めてしまったのか。

また、二見氏においてもまた、元自衛官が、ロシア国民に与える心理的効果という極めて非軍事的で社会学的な要素に関する見込みを、軍事作戦で最も評価できる指標として強調している現象があることも、指摘できる。

二見氏は、「侵攻してきたウ軍を撃退するためには、露軍はウクライナ東部や南部の戦線から優秀な機甲部隊を引き剥がし、クルスク戦線に転進させる必要がある」と断言していた。また、「占領地域を新たな“バッファーゾーン(緩衝地帯)”として利用する」ことができるとも述べていた。

一般論として、攻撃のほうが、防御よりも、大きな負担がかかる。なぜクルスク戦線の開始が、東部戦線において、ウクライナ軍よりもロシア軍に、より大きな負荷をかける、と二見氏が断定したのか、その理由は述べられていない。

また私が「戦線の拡大」としか見えない事態を、二見氏は「緩衝地帯の創設」とみなしている。しかし緩衝地帯とは、通常は、敵対する二つの勢力のどちらも立ち入らない中間地帯のような地域を指すために用いる概念だ。なぜ真っ向から激しく戦闘しあっている地域が、「緩衝地帯」になりうるのか。二見氏は全く説明してくれない。

説明不足が否めない予測

やはり元自衛官の軍事評論家の西村金一氏も、ウクライナのクルスク侵攻作戦は、「ロシア国家・プーチン政権を不安定にさせ」、「今後の停戦交渉を有利に進めるカード」にするなどの効果に加えて、「軍事戦略としてはロシア軍東部・南部の戦線の戦力を引き抜きクルスク正面に転用させ、東部・南部戦線を弱体化させる」という効果があると評価した。西村氏によれば、「ロシアは東部・南部・西部の戦線から、現に戦っている部隊をいったん戦闘をやめて後方に後退させ、クルスクに転用しなければならない」ので、「ロシアにとって、この重大な危機に対応することは極めて難しい」のだった。

そのうえで「ウクライナは、原発を最終目標とするのであれば、その目標を部隊が占拠することが最も望ましい」と述べ、「それができない場合でも、目標をHIMARS(High Mobility Artillery Rocket System=高機動ロケット砲システム)や長射程精密誘導砲弾の射程に入れる位置まで前進して占拠できれば、支配下に入れたことになる」と主張した。原発を狙うべき理由は、モスクワに被害を及ぼすカードにして核抑止を図ることだ、という。クルスク原発の距離は、「ザポリージャ原発と首都キーウまでの距離とほぼ同じ」だと、西村氏は強調した。

しかし西村氏は、なぜクルスク原発は、モスクワよりもキーウにより近いことを言わないのだろうか。なぜより近いキーウに対する被害は全く度外視して、より遠いモスクワの被害だけを強調することを、ウクライナにとって非常に合理的な行動だ、と考えるのだろうか。

HIMARSについて言えば、現在ウクライナ軍が保持しているものでも、80キロ程度の射程距離は持っている。クルスク原発から、ウクライナとロシアの国境までは、70キロ程度である。つまりウクライナ領内からでも、クルスク原発をHIMARSで攻撃することは可能である。なぜ射程距離の話をしながら、越境攻撃を仕掛けてロシア領を占拠する、という射程距離とは全く別の事柄の意義を強調するのだろうか。西村氏は全く説明してくれない。

客観的というより楽観的な論評姿勢

防衛省防衛研究所米欧ロシア研究室長の山添博史氏も、毎日新聞のインタビューに答える形で、「露側の脆弱(ぜいじゃく)性を見つけて、反撃を続けていけば今の戦況の打開につながるかもしれない」と評価した。なぜなら「ロシア西部クルスク州での占領地拡大という点では成果を上げており、ウクライナが有利な戦場を開く能力があるということを示した」からだという。「ウクライナ国内では、ここ数カ月、露軍が東部ドネツク州などで占領地を増やし続けていることから、国民の間で戦争継続や戦地へ赴くことへの不人気が広がっていた。こうした中、越境攻撃によって「負けてゆく戦争ではない」と国内外に示した」、という心理的効果を、山添氏は説明した。

だが、たとえ1か月も持たない効果でしかなく、その後は反動を処理しなければならない苦痛が待ち受けているとしても、やはりそのひと時の高揚には意味があった、と言えるのだろうか。私は、山添氏のインタビューの一週間以上前に、以下のようなXポストをしていた。

8月26日に、ロシアはウクライナ各都市に対して大規模なミサイルとドローンの攻撃を仕掛けた。ウクライナでは、人命の被害が出ただけでなく、エネルギー施設などに大きな被害が出たとされている。この時に配備直後だったF16の墜落があり、空軍司令官が更迭されるという事件も起こった。

しかし防衛省防衛研究所の兵頭慎治氏は、テレビ朝日の取材に答えて、この攻撃は「今回の大規模攻撃で、ロシア側の苦境が浮き彫りになった」「ロシア軍に余裕ない証拠」だと評した。兵頭氏によれば、ウクライナは「ロシア国民に戦争体験をさせて、国内の不安や、プーチン政権への批判をあおる狙い」を持っている。つまり兵頭氏によれば、ロシアがウクライナ各地を攻撃すればするほど、ロシアに「余裕ない証拠」が露呈してくる。なぜかゼレンスキー政権に対するウクライナ国民の不安が高まらないかどうかについては、言及がない。これに対してウクライナがロシアを攻撃すると、ロシア国内の不安が高まり、「プーチン政権への批判」が高まってくる。なぜかそれがウクライナに「余裕がない証拠」とならないかどうかについては、言及がない。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/b5cd0404120d76e70bf5143c0d34cb96593abdb1)

日本の言論空間はこれからどうなるのか

これらの日本の軍事専門家の方々のクルスク侵攻作戦の評価で一致しているのは、見通し不明な軍事的成果を織り込み済の事項とみなしていること、ロシア国民への心理的効果といった非軍事的な事柄に関する期待を軍事作戦の意義の中心に置いていること、ウクライナ側が抱えたリスクに言及せずウクライナ側に楽観的な見方を強調しがちであること、などであろう。

なお本稿では、あえて軍事専門家の言説を列挙するという手法をとったが、裾野を広げて主流派の国際政治学者の方々の言説などを見てみても、同じような傾向が見られるように思える。

このような傾向の背景に、「ウクライナは勝たなければならない」、という結論先取り型の主張が、広範に広がっている事実があることは指摘できるだろう。「ウクライナは勝たなければならない」の路線から外れてしまうと、「親露派」のレッテルを貼られて、主流派の言説空間から排除されてしまいかねない雰囲気が、日本には強い。

欧米社会にも同じような事情があるはずだが、日本では社会的な同調圧力がよりいっそう強いかもしれない。加えて、重要な点だが、政治的な環境も違っている。欧米には、戦争支援に批判的な政党や有力政治家が存在しているが、日本では皆無だ。

また、強くロシアを非難し、ウクライナを支援し、その流れの中でGDP2%達成を目指した防衛費の大幅増額を達成した岸田政権の雰囲気も、大きく影響しているだろう。「北海道がロシアに侵攻されていないのは、ウクライナが頑張ってくれているおかげだ」といった情緒的な主張が、かなり専門的な層の間でも共有されている雰囲気が、半ば常識化してしまっている。

果たしてこの雰囲気は、今後、どうなっていくのだろうか。

バイデンよ、ただで済むと思うな…プーチン「最後の逆襲」が始まった