日常の「ささやかな成功体験」にきちんと目を向けてほしいという(写真:Graphs/PIXTA)

「無理して成長しなくてもいい。カタツムリにようにゆっくりと。毎日1ミリだけ成長しようと思えばいい」。92歳になるシスターの鈴木秀子さんは、日々、何かに追い立てられる現代人に対してこうアドバイスします。そんな鈴木さんが説く、今できることの「ささやかな積み重ね」の重要性とは。

※本稿は、鈴木さんの著書『ゆっくり変わる』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

「望む仕事」は、小さな積み重ねの先にひそんでいる

私のところに悩みの相談で来られる方の中で、最近よく聞くのは「仕事がない」という悩みです。雇用は景気に直接影響されるものです。以前に比べると、求人の数は確かに減ったのかもしれません。

ですが、仕事というものは高望みさえしなければ、いつの時代でも何かしらあるものです。「仕事がない」という人は、業務内容、給料、待遇、勤務地など、自分でさまざまな条件をつけて「選んで」いるのではないでしょうか。

もちろん自分に合った仕事を選ぶことは大切です。ですが、それが「高望み」にならないように。「仕事がない」と嘆く人は、えてして「大きな仕事をしたい」「立派な仕事をしたい」という大きな欲に振り回されているように感じます。

少し厳しく聞こえてしまうかもしれませんが、「仕事がない」という人には「あなたのプライドは高くなりすぎてはいませんか」と、私は尋ねるようにしています。

まずは、どんな仕事でもいいと思うのです。与えられた仕事に喜んで取り組んで、一生懸命になってください。あなたを見ている人はきっといるはずです。その頑張りを認めて、あなたを引き上げたり、味方になったり、新しい仕事につなげてくれたり、必ずあなたの力になってくれるはずです。

仕事とは、そうやって自分の力が周りに認められると「広がっていくもの」なのです。求人欄には書かれてはいませんが、小さな仕事の先には、より大きな仕事がひそんでいるのです。

でも、あなたが「こんな小さな仕事」と見ている限りは、その仕事は永遠に、小さくつまらないものであり続けるでしょう。

聖書にこんな言葉があります。

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」 (ルカによる福音書 16章10節)

小さいことに一生懸命になれない人に、大きなことなどできるわけがありません。この真理は、仕事に限らず、何にでもいえることです。

全財産を捨て、物乞いになった聖フランシスコ

「今よりもっとお金があれば、きっと幸せになれるのに……」

誰しも一度は、このように考えたことがあるのではないでしょうか。

多くの財産に恵まれている人、たとえば資産家や不動産王、アラブの石油王の中にも、こう考えている人は多いかもしれません。

日本には昔から「長者富に飽かず」ということわざがあります。「富んでいる人がさらにお金を欲しがるように、人の欲にはきりがない」というたとえです。なんだか皮肉な笑い話のようですが、一面の真理をついています。

いったいいくらあれば、人は幸せになれるのでしょうか。

もともと恵まれた境遇にいたのに、わざわざ全財産を捨てた、聖フランシスコという人がいます。

「信じられない」という声もあるでしょう。ですが、物質的に満たされていることと、心が満たされていることは必ずしも一致するわけではないことが、フランシスコが選んだ行動の背景にあります。

フランシスコは1181年、イタリアの富豪の跡とりとして生まれました。贅沢三昧で放蕩を尽くした末に、戦争におもむき、1年の投獄生活を経て、大病にかかってしまいます。そのような挫折を経て、彼は神の声を聞きます。

「貧しい者、打ち捨てられた者の友として生きよ」

24歳になっていた彼は巡礼し、物乞いをする身となります。

そのような生活を通し「足るを知ること、所有物を持たないということ。そうした清貧生活を営めること」に魅力を感じたのです。そして、修道生活へと入ります。

その後、彼にならって全財産をなげうち、貧者や弱者に尽くす人たちによって「フランシスコ修道会」が生まれます。それほど、彼は多くの人たちに愛されていたのです。

もしあなたが、「今よりもっとお金があれば幸せになれるのに」という考え方をしているなら、ぜひ、聖フランシスコのことを思い出してみてください。そして、目先のお金ばかりを追い求めているうちは、本当の意味で「心が満たされること」は永遠にない、私はそう思います。

お金は道具であり手段。量より使い方が幸せを決める

もちろん、お金は生きていく上で欠かせないものであり、とても便利なものには違いありません。ですが、目先のお金ばかりを追いかけていると、人生の中で「木を見て森を見ず」ということになりかねないのです。

お金は幸せになるための最終的な「目的」ではありません。単なる道具、「手段」でしかないのです。

お金があるから幸せなのではなく、お金を使うことによって、周りの人を喜ばせたり、満足させたりできたときに、初めて幸せだと思えるのです。目的と手段を取り違えては、おかしなことになってしまいます。

アメリカの詩人、エミリ・ディキンスンの詩に「1羽の弱ったコマツグミをもう1度、巣に戻してやれるならわたしの人生だって無駄ではないだろう」という詩があります。(出典:『エミリ・ディキンスン家のネズミ』エリザベス・スパイアーズ著、長田弘訳/みすず書房)

弱った1羽の鳥を救うことができたなら。誰かが苦しんでいるときに、ちょっとでも手を差しのべられる存在になれたなら。人生において、それほど心を満たしてくれる体験はないでしょう。

あなた以外の誰かの役に立って初めて、お金やものが役に立つのです。物質的に豊かだからこそ、1羽の鳥を癒やすという心のゆとりが生まれることもあるのです。

物質的に豊かになった今だからこそ、「道具」と「目的」を混同しないようにしたいものです。

日常は「ささやかな成功体験」に満ちている

生きていく上で、成功体験を積むことはとても大切なことです。

行動をする際に、成功体験を思い出すことは、とても重要なことだといわれています。成功体験が心の杖のように支えになったり、トランポリンのように弾みをつけてくれるからです。

成功体験というと「難しい試験に合格した」とか「出世をした」「大儲けをした」などという大げさなイメージがつきまとうかもしれません。ですが、大切にしたいのはあなた自身しか気がついていないようなささやかな「成功体験」です。

たとえば「きちんと電車に乗って、予定通りに目的地に着けた」というような日常のことでいいのです。それを、自分の心の中で、できるだけ大げさに言い換えてみてください。

「今日は朝早くに起きて、身支度をととのえて家を出ることができた」

「電車に遅れるかと思ったが、なんとか走って乗ることができた」

「しかもケガや事故もなく、無事に目的地に着けた」

こう書くと、毎日満員電車に揺られて通勤をしている方には、「誰もができる当たり前のことではないか」と笑われそうです。ですが、よく考えると「誰もができること」こそ、実は感謝すべきすごいことではないでしょうか。

自分の細胞に1つひとつ、「えらかったね」「頑張ったね」と話しかけるつもりで、心に刻み込むように言い聞かせてあげてください。

私はこの小さな成功体験を「1ミリの成功体験」と名づけて、毎日1つ探し出して自分をホメています。無理なく続けるために、本当にささやかなことに注目してください。

「引きこもり」の男性に現れた大きな変化

小さなことでも、毎日続けることで人は生まれ変わることができる。そんなことを教えてくれた、ある若い男性の話をします。


その男性は以前、部屋に引きこもり、両親への暴力を繰り返していました。その両親から相談を受けた私は、彼に「人間の本当の価値」について話をして、「その日よかったことを10個書いて、私にメールを送ってください」と助言しました。

最初は「ご飯を食べた」などという日常の記録ばかりでしたが、「10分間、外を歩いた」「花が咲いていてきれいだった」などと、生活の変化を察することができるようになってきました。

そして数カ月後には「親とドライブにでかけた」「親と穏やかな気持ちで話をしている。感謝をしている」と、まるで別人のようなメールが届くようになりました。

私は彼に、特別なメールをお返ししたわけではありません。ほとんど返信はしませんでしたし、訪問を重ねたわけでもありません。彼が大きく変化をしたのは、彼自身の力なのです。

(鈴木 秀子 : 「聖心会」シスター)