日立ビルシステムが開発している「片側空け」を抑止するエスカレーター(写真:日立ビルシステム)

「エスカレーターでは歩かず立ち止まってください」――。

全国の鉄道事業者、空港・商業施設、一部の自治体などが、エスカレーターは歩かずに立ち止まることを利用者に呼びかけるキャンペーンを7月22日から8月31日まで実施している。

国内では多くの公共施設にあるエスカレーターでは、利用者は片側に立ち、もう一方の側が空いているという「片側空け」が定着している。空いた側では歩いたり、駆け上がったりする人が多い。主要駅における朝夕のラッシュ時は、エスカレーターの片側だけに乗るために並ぶ人の長い行列がホーム中央付近まで延びて、もう片側は空いているという不思議な光景が常態化している。

「歩かせない」鉄道会社やメーカーが対策

エスカレーター、エレベーターなど昇降機事業分野の業界団体である日本エレベーター協会によると、エスカレーター上の歩行はバランスを崩したりつまずいたりして、転倒するおそれがあるという。日立製作所グループで昇降機大手の日立ビルシステムも「国内のエスカレーターは歩行での利用を想定した設計にはなっていないので、通常の階段よりも蹴上げが大きい」としている。それが、つまずいたり踏み外したりする危険につながるのだという。

ちなみに、エスカレーターの上を歩くと故障の原因になると言われることがあるが、人が歩く衝撃で故障することはまずないそうだ。エスカレーターの隙間にゴム製の靴、衣服などが挟まったりして安全装置が作動して停止し、整備員が駆け付ける事態を“故障”に含めているのかもしれない。

鉄道会社などではエスカレーターで歩かないための対策として2列で立ち、片側を空けないことを推奨している。歩きたい人の進路をふさぐためだ。

鉄道会社の中には、係員がエスカレーターの手前で「2列で立ってください」と呼びかけている例もある。その場合、利用者はちゃんと係員の指示に従う。しかし、「係員がいるときは2列で立ってくれても、いなくなれば元に戻ってしまう」(鉄道会社幹部)という声もある

条例でエスカレーターでの歩行行為を禁止する自治体もある。埼玉県では「エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」を2021年から施行しており、利用者の義務として「立ち止まった状態でエスカレーターを利用しなければならない」、管理者の義務として「利用者に対し、立ち止まった状態でエスカレーターを利用すべきことを周知しなければならない」としている。名古屋市でも同様の条例を2023年に施行している。こうした動きは今後、ほかの自治体でも増えるかもしれない。


歩かないよう利用者に注意するラッピングを施したエスカレーター(記者撮影)

メーカー側も対策に動き出した。日立ビルシステムは片側空けを抑止する新機能を搭載したエスカレーターを開発しており、2025年1月開業予定の大阪・北港テクノポート線の夢洲(ゆめしま)駅に、ホーム階と改札階を結ぶ3台並列のエスカレーターとして設置される。

「万博の玄関口」輸送効率アップを狙う

どのような仕組みで、片側空けを抑止するのか。日立ビルシステムの担当者に話を聞いた。

まずは開発の経緯から。大阪メトロ中央線のコスモスクエア駅から延伸する形で工事が進む北港テクノポート線の新駅である夢洲駅は、2025年4月から開催される大阪・関西万博の最寄り駅となる。

万博期間中は1日当たり約12.6万人が夢洲駅を利用すると想定されている。朝、万博に行く人と夕方、万博から帰る人に分ければ、行き・帰り、それぞれ6万人ずつ。多くの来場者はホーム中央にある3台並列の上りエスカレーターを利用する。2分半間隔で列車が到着するので、列車から降りた客には速やかにホーム階から改札階に上がってもらわないと、次の電車が来たときにホーム上が大勢の人であふれてしまう。

新開発のエスカレーターは、片側空けによるホーム上の行列を解消するため、2列で立つよう誘導し、輸送効率を高めることを狙いとしている。

素朴な疑問として、片側空けの場合も空いている片側を歩いて上る人がひっきりなしにいれば輸送効率は2列立ちと変わらないような気もするが、歩行する場合、歩く人の前後に間隔ができてしまうので、2列立ちのほうが輸送量は多くなるという。つまり片側空けは、歩く人にとって時間短縮のメリットがあったとしても、全体としての輸送効率は悪くなるのだ。

なお、大阪メトロにこのエスカレーターを設置する狙いを尋ねたところ「短時間に多くの人を運びたいという理由はもちろんあるが、エスカレーター上を歩くのは危険であり、安全のため立ち止まってほしいというのが最大の理由である」(広報戦略課)とのことだった。

では、どのような仕組みで片側空けを抑止するのか。日立ビルシステムの担当者によれば、既存の2つの機能と新たに開発した3つの機能の組み合わせだ。


日立ビルシステムが開発する「片側空け抑止」エスカレーター。LEDを使った5つの機能がある(写真:日立ビルシステム)

エスカレーターに近づくと、エスカレーター手前の床に埋め込まれた誘導表示器が乗り込む方向をLEDの矢印で示す。これは以前からエスカレーターのオプション機能として提供されている。また、乗降口にあるエスカレーターとの境界部分にLEDを埋め込み、乗り降り位置を知らせる(コムシグナル)。これも既存機能である。

続いて新機能。エスカレーターの乗り込み口付近の水平状態の踏み面に、2列での立ち位置をLEDが照射し、2列立ちを誘導する。続いて、上りエスカレーターに乗り込んで水平状態から階段状になっていく位置で、ステップの蹴上げ部分にLEDを照射する。段差を強調することで、歩かずに立ち止まることを促す狙いがある。

さらに、エスカレーターの両脇のスカートガードにもLED照明を設置し、ステップの移動スピードに合わせて照明を光らせるようにすることで、歩かずに立ち止まって利用することを促すという。

今回の5つの機能はいずれもLEDを用いたものだ。日立が提示した複数案の中から大阪メトロが採択した。LEDの代わりにエスカレーターへのラッピングで2列立ちを促す案も出たが、万博の最寄り駅ということを考えると未来感があるLEDのほうがいいということになった。そういえば、夢洲駅に乗り入れる新型車両400系も宇宙船のようなデザインである。

新機能の効果はどれくらい?

LEDを活用した5つの機能でどのくらいの片側空け抑止効果が見込まれるのか。試作機を開発している時点ではまだコロナ禍のさなかということもあり、大勢の人に試してもらうような大がかりな実証実験はできなかった。

そのため、限られたメンバーで有効性を確認したところ「乗り込み位置がわかりやすい」といった声が多くを占めたという。2列で乗る人が後に続けば、歩く人はいなくなるはずだ。

片側空け抑止機能は既存のエスカレーターに追加で設置することが可能だ。大阪メトロは他駅のエスカレーターに設置することについて「公表した内容がすべて」であり、そうした計画はないという。しかし、もし有効性が確認されれば、大阪メトロだけではなくほかの鉄道事業者の駅のエスカレーターにも広がるかもしれない。

世界の昇降機メーカーはアメリカのオーティス、フィンランドのコネ、スイスのシンドラー、ドイツのTKエレベーターが大手4社とされており、日立はそれに続く世界5番手という位置付けである。


ロンドンの地下鉄駅のエスカレーター。左側を空けている(記者撮影)


パリの地下鉄駅のエスカレーター。こちらも左側を空けている(記者撮影)

いっぽうで、各国のエスカレーターの片側空けの状況を見ると、ロンドン、パリなど欧州主要都市でも駅のエスカレーターを見ると立っているのは一方だけで、片側は歩いて上る人のために空けてある例が少なくない。

歩行の「危険性」知る機会を

東京・足立区にある「日立ビルソリューション-ラボ」にはエスカレーターやエレベーターの実機があり、日常では経験できないような災害時の機能を体験することができる。


日立ビルソリューション-ラボにあるエスカレーターの実機では災害時の機能などが体験できる(記者撮影)

試しに下りエスカレーターに乗った状態での緊急停止を体験した。立ち止まった状態で、手すりも握っていたが、それでも突然エスカレーターが止まったときのガクンという衝撃は、バランスを崩して前につんのめるほど大きかった。手すりを握らずに歩いていたら停止の衝撃で転げ落ちていたかもしれない。

それだけではない。単独の転倒ならまだよいが、周りにも利用者がいたら将棋倒しのような大事故にもなりかねない。エスカレーターで歩くことは、万一の際には他人にも危害を加えるリスクがあるということは頭に入れて置く必要があるだろう。

歩かないでくださいというかけ声だけでは限界がある。エスカレーター上の歩行がどのくらい危険かということを体感してもらうような試みも鉄道事業者には必要なのではないだろうか。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)