春夏通じて、実は甲子園で1度も勝ったことのない大谷(写真:吉原正人)

今年もまた甲子園の季節がやってきたが、現在メジャーリーグで活躍する選手たちも、かつてはこの舞台を夢見て汗を流す高校球児だった。ダルビッシュ有、大谷翔平、藤浪晋太郎、松井裕樹……、彼らがこの舞台で繰り広げてきた熱戦を振り返る。

※本稿は、『プロ野球選手の甲子園伝説 21世紀新時代編』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

ダルビッシュの「夢を打ち砕いた」サヨナラ3ラン

2004年春 準々決勝 済美 VS.東北

9回裏二死走者なし。得点は6対4。誰もが東北の勝利を信じて疑わなかった。だが、肝心のマウンドにいる真壁賢守には確信がなかった。

甘井謙吾、小松紘之に連打を許し一、二塁。レフトにはこの日肩の張りで登板を回避したダルビッシュ有(パドレス)がいた。前の回の攻撃中に肩慣らしはしている。交代は十分考えられたが、若生正広監督は動かなかった。

打者は今大会不振の高橋勇丞(元阪神)。1回戦の土浦湖北戦ではチームが13安打と爆発しているにもかかわらず無安打。東邦戦でタイムリー安打が1本出たものの、この日も含めて10打数1安打。この打席でもたちまち追い込まれてカウント2-0。

ところが、3球目の真ん中に入ったストレートをとらえると、打球は一直線にレフトスタンドへ。史上3本目となる逆転サヨナラ本塁打。

「当たった瞬間に入ったと思った。最高の当たりでした。今まで野球をしてきた中で一番。一生忘れません」。

主将を務めていた高橋だが、夏の大会は不祥事を起こしベンチ外。本当に「今までで一番」がこの本塁打になるところだったが、阪神に拾われた。

ちなみに、4番・鵜久森淳志(元ヤクルトほか)も3回に2ランを放っている。打球はくしくも登板できなかったダルビッシュの頭上を飛んでいった。

「危ない状況になったら登板させると言われていました。自分としては行くつもりでいました」。

つもり、ではなく行っていれば……。

不調の9番打者への「1球に泣いた」菊池雄星

2009年春 決勝 清峰 VS. 花巻東

もし、あのとき──。たった1球に、2つの「if」が重なった。

0対0で迎えた7回裏一死一塁。打席には清峰の9番・橋本洋俊が入った。今大会12打数2安打と調子はよくない。カウント1-1からの3球目。花巻東・菊池雄星(ブルージェイズ)が投じたのはストレート。この日最速の144キロ。

だが、内角を狙ったのが甘く入った。「ストレート一本に絞っていた」という橋本にはおあつらえ向きの絶好球。フルスイングした打球はセンターの頭上を襲った。懸命にバックする佐藤涼平。だが、無情にも白球は頭を越え、決勝の二塁打になった。一死一塁。通常なら長打警戒の守備位置をとる場面だ。それが、このときは違った。

「清峰打線はそんなに振れている感じはしませんでした。後ろ(の打球)は自信ありますし、前に落ちて走者がたまるのが嫌でした」(佐藤)

相手は不調の9番。投げているのは菊池。まさか長打はないという考えがあったのも事実だった。だが、連投のうえ、5試合目の登板。「ひじに張り、重みがあった」状態だけに、橋本が苦手なスライダーを選択していれば……。

菊池は「一番練習してきたまっすぐを打たれたので悔いはないです」と言ったが、40回3失点のうち、悔やんでも悔やみきれない1点になってしまった。

一方の清峰・今村猛(元広島)は大会3度目の完封。「毎イニング、ゼロで抑えようと思った結果です」。44回1失点の磐石な投球だった。

大谷翔平の初戦突破を阻んだ「2つの壁」

2011年夏 1回戦 帝京 VS. 花巻東

初戦を迎えた花巻東の佐々木洋監督は、試合前に語っていた。「万全な状態ではありませんが、どこかで大谷(翔平/ドジャース)は登板させるつもりです」。

岩手大会では左足の肉離れ(のちに骨端線損傷と判明)で1回2/3だけの登板だった大谷が、ライトのポジションからマウンドに向かったのは4回表の途中だった。点を取り合うなかで、帝京が2点リードの場面だ。5回表には、帝京のエースにして3番の伊藤拓郎(元DeNA)と対峙して、2年生の甲子園最速タイとなる150キロを計測。追加点を失うなかでも、そのピッチングは異彩を放った。

試合中盤まで7点ずつを奪い合うシーソーゲーム。帝京は7回表、1年生で正捕手を担う9番・石川亮(オリックス)が中越え二塁打を放つ。犠打の失敗などで二死となるが、4番・松本剛(日本ハム)が走者一、三塁から右前適時打を放って1点を勝ち越す。注目右腕を攻略した帝京が、粘る花巻東を振り切った。試合後の大谷は悔しさを滲ませた。

「下半身を使えなくて上半身だけでのピッチングになってしまいました。たとえ球速が150キロでも、120キロでも、どんな形でも、とにかく勝ちたかった……」。

両校合わせて22安打の乱打戦を制した帝京の前田三夫監督にとっては、夏の甲子園通算30勝目となる節目の勝利となった。

2012年春 1回戦 大阪桐蔭 VS. 花巻東

身長197センチの藤浪晋太郎(メッツ)と193センチの大谷翔平(ドジャース)。注目右腕同士の対決を制したのは藤浪だった。

2回裏、エースで4番の大谷が藤浪の変化球を右翼スタンドへ運ぶ特大アーチを放つ。4回裏には7番・田中大樹の右前適時打で加点した花巻東が、試合を優位に進める。だが、6回表に8番・笠松悠哉の左中間二塁打で逆転した大阪桐蔭は、終盤にかけてさらに制球が定まらなくなった大谷を攻め立て大量点を奪う。

藤浪と森友哉(オリックス)の大阪桐蔭バッテリーは5回以降、花巻東打線を3安打に封じて点を与えなかった。

大谷は9回表、この試合11個目の四死球を与えると、グラブを替えてレフトへ向かった。前年の左股関節骨端線損傷からリハビリを経て、本格的に投球を始めたのは大会直前。センバツ前の練習試合を終えて「70%の出来」だった。

大阪桐蔭との初戦は序盤から制球を乱す。5回表まで無失点も、85球を要した投球が物語るように苦しいマウンドだった。投球時に上体が一塁側へ傾く。踏み込む左足はインステップになるなど、投球フォームは崩れた。

「ここまでの四死球は初めてです。初回から状態が悪くて、試合中も修正ができなかった」。

9回途中まで投げて7安打11四死球で9失点。150キロを計測する中で11奪三振と、その秘めたポテンシャルは随所で見せたが、チームを勝利に導くことはできなかった。

7回までに13奪三振の好投も8回に「力尽きた」松井裕樹

2012年夏 準々決勝 光星学院 VS. 桐光学園

「神奈川のドクターK」と呼ばれた桐光学園の松井裕樹(パドレス)は、今治西との1回戦で10者連続を含む22奪三振の大会記録を樹立していた。


2年生最強左腕と強打・光星学院(現・八戸学院光星)との対決が注目される中、光星学院は1回表、先頭の天久翔斗が左翼フェンス直撃の二塁打を放つ。だが、村瀬大樹は見逃し三振。3番の田村龍弘(ロッテ)は、徹底したインコース攻めにあい、最後は膝元に鋭く落ちるスライダーで空振り三振。4番の北條史也(元阪神)は、1ボール2ストライクからの内角直球にバットが空を切り、3者連続三振で無得点に終わった。

松井は、7回表を終えた時点で13三振を奪う。だが、両校無得点の8回表。左腕は8番・木村拓弥の中前安打を起点に二死一、三塁とされると、田村に左前適時打を浴びた。さらに、「この夏、バットを短く持ったのは初めて」と語った北條には、左中間への2点二塁打を浴びて失点を重ねる。田村が松井を語る。

「もともと左投手は得意ですが、(松井の)膝元に入ってくる縦のスライダーはすごかった。1打席目で正直、自信をなくした。でも、3打席目(右飛)から目が慣れて、最後の4打席目は打てる自信があった」。

一方、光星学院のエース・金沢湧紀は散発3安打で完封。「今日の勝利は金沢の好投に尽きる」とは仲井宗基監督。光星学院が難敵を攻略して、ベスト4進出を決めた。

(佐々木 亨 : スポーツライター)
(田尻 賢誉 : スポーツライター)