フィンランドの高レベル放射性廃棄物処分施設「オンカロ」の内部。地中深くに「核のごみ」を埋設する(ZUMA Press/アフロ)

北海道寿都町、神恵内村に続き、佐賀県玄海町でも高レベル放射性廃棄物(いわゆる核のごみ)の最終処分場選定に向けての第一段階のプロセスである文献調査が始まった。この調査の受け入れの決定について、反対する人たちから、「民主主義の否定」「住民不在」などと批判されている。

他方、すでに最終処分場が決定している北欧のフィンランドとスウェーデンでは「民主的」で「透明性を徹底」したプロセスで受け入れが決定された、と日本では伝えられてきた。

しかし北欧2カ国の決定プロセスでもまた、本国では「民主的議論の欠如」が批判されている。「北欧では民主的に最終処分場が決められた」という通説を問い直し、議論のあり方を再検討すべきだ。

非民主的と批判される最終処分場調査受け入れ

核のごみ処分については、日本学術会議の提言(2015年4月)に代表されるように、学識経験者から、度重なる懸念表明がなされてきた。にもかかわらず、きちんとした科学的議論もないまま、各地で処分場選定に向けた調査が進行している。

2020年11月に文献調査が始まった寿都町と神恵内村では、報告書に関する審議がおおむね終了。 今後、次の段階で、ボーリングなどを行い、地質や地下水の状況を調べる「概要調査」に進むかどうかの判断を迫られる。2024年6月10日には原子力発電所の立地自治体としては初めて、佐賀県玄海町で文献調査が始まった。

こうした文献調査の進め方について、これまでプロセスの「非民主性」が指摘されてきた。

寿都町では住民団体の共同代表が、「民主主義への冒瀆(ぼうとく)だ」と批判した(2020年10月15日朝日新聞)。大手新聞の社説でも「住民の十分な納得が得られないまま調査に着手すれば、人々の間に不信が生まれる。丁寧な合意形成は欠かせない」と指摘されている(2020年10月13日毎日新聞)。

玄海町でも、地元市民団体の代表者は「民主主義の否定だ」と批判している(2024年6月11日佐賀新聞)。

こうしたことから、地域住民らが重視しているのは、「科学的安全性」や「地質学的な妥当性」だけでなく、意思決定の「民主性」であることがわかる。

しかし、この核のごみを特定の地域に埋める計画を民主的に決めることなど、はたして可能なのか。「核のごみ」は発生直後には近づけばわずか10秒で人間が死に至る強烈な放射能を持ち、数万年間、地下深くに隔離する必要がある。これだけ危険性の高いごみは他には類がなく、数万年間の安全性を保証する技術を実験で実証することもできない。

最終処分場の立地が決定している事例として、フィンランドとスウェーデンがある。この両国の事例について、日本ではしばしば、「民主的に最終処分場を決めることに成功した事例」として紹介されてきた。

フィンランドでは、オルキルオト最終処分場での受け入れを、立地自治体となるエウラヨキ市の議会が2000年1月に決定し、2001年にフィンランドの国会が最終処分場計画を承認した。

この決定プロセスについて、「原子力環境整備促進・資金管理センター」の専門家である佐原聡氏は『月刊エネルギーレビュー』の2022年8月号で次のように評している。

「処分場プロジェクトの早期において、市民参加を得て計画の方向軸を決定した事例である。EIA(筆者注:環境影響評価)という枠とルールがあることで、人々が最終処分に対する賛否を決めきれずとも、評価項目に対する意見や要望の形で声に出せるという特色が浮かび上がる」

「民主的な意思決定を目指した自治体とポシヴァ社(注:最終処分場計画実施企業)の取り組みは功を奏したと言えよう」

環境影響評価で住民の意見表明機会を保証することで、民主的に決めることができたというのである。

2022年1月27日スウェーデン政府は、最終処分場を同国南部のフォルスマルク市に建設する計画を承認した。

この決定にいたるプロセスについて日本経済新聞(2019年12月21日)は、「(フィンランドと)共通するのは徹底した透明性だ。疑惑を持たれないようにする仕組みをつくり、時間をかけて信頼を醸成した」と評価した。

日本で最終処分場選定に取り組む原子力発電環境整備機構(NUMO)も、北欧両国での処分場選定を参考にしており、前出ポシヴァ社とは、「パブリックアクセプタンスと信頼性の形成」など、住民対策の取り組みも含めた協力協定を結んでいる。 

民主的とは呼べない意思決定の実態

「民主的決定の成功例」があるのならば、日本でもそれを参考にして立地選定を進めればいい、と思いたくなる。しかし、日本では知られていないが、両国でも、意思決定プロセスの「非民主性」が問題視されている。

フィンランドの市民団体は、最終処分場の選定について、「民主的な公開討論なしに進められる事案になっている」との懸念を表明している。

最終処分場の立地自治体となるエウラヨキ市で反対運動に参加した住民は、賛成派の住民から繰り返し深刻な脅迫を受けたという。その女性は「脅迫されたことを訴えても役所は真剣に取り合わず、最終処分場に反対していた多くの住民は、近隣のラウマ市に引っ越していった」と述べている。

他の住民は、「多くの人たちがオルキルオト原発(そして最終処分場関連施設)で働いているため、反対派は沈黙している」と語っている。

フィンランドの研究者らは「制度的閉鎖性のため、市民社会組織が原子力安全の分野に介入することは極めて困難になっている。(中略)住民参画の機会はほとんどない」と指摘する。

フィンランドでは環境影響評価で住民が意見を表明する機会があり、それゆえに民主的なのだと日本では評価されてきた。

しかし、フィンランド・トゥルク大学の研究者らはこの環境影響評価制度の問題点を次のように指摘している。「環境影響評価が実際に決定プロセスに影響を持つのかどうかについて、多くの専門家が疑問を表明している。現在、環境影響評価の役割は助言的なものにすぎず、参加者は少なく、評価の枠組みはすでに決定された地層処分のコンセプトについての議論に限定されてしまっている」。

フィンランドと同様に「透明性において徹底している」と評価されているスウェーデンの意思決定プロセスについても、同国の環境NGOの専門家スワン氏は、その「不透明性」を次のように指摘する。「放射性廃棄物を扱う施設に関する研究開発のすべての責任が民間事業体に委ねられている。この組織が情報システムへの国民アクセスの制度外にあることは、明確な問題である」。

スワン氏は、専門家から銅製容器の腐食可能性への懸念が示されながらも、その懸念点に十分な公開性のある議論が行われてこなかった問題を指摘している。

フィンランドでも、銅製容器の問題とともに、氷河期到来による処分場施設の損傷の危険性が指摘されてきた。

権威に従順なフィンランド市民

フィンランドで最終処分場建設が決まった背景に、規制機関などの権威に対して従順な市民の態度や、1970年代から原発と使用済み燃料貯蔵施設を受け入れてきたことによる立地自治体での反対運動の弱体化などの要因があるとも指摘されている。

2022年の”Science”記事は、「政府の規制機関が最終処分場計画は安全だと言えば、住民はそれについて心配することがない」というフィンランドの政治科学研究者のコメントを伝えている。「規制機関が安全だと言っているから」受け入れたというのである。つまり「安全神話」が確立しており、住民が規制機関と事業者に疑いを差し挟まないことで、最終処分場が決定したというのだ。

このように北欧両国では、「民主的な議論の可能性を排除し」「住民参画の範囲が限定される」ことによって最終処分場の建設を決定できたというのが実態に近い。

「北欧2カ国では民主的に最終処分場を決めた」という報道や論評が日本では多い。それは「核のごみ」を特定地域に押しつける計画が、「民主主義と矛盾せずに決定できる場合がある」かのような印象操作に等しい。

今必要なのは、「北欧をモデルにした、より民主的な決定」を求めることではない。そんなモデルはそもそも存在しないのだ。

数万年の安全を保証できない以上、核のごみ最終処分場の適地はなく、その選定は「不可避的に非民主的になる」。私たちはこの現実を直視する必要がある。そして核のごみを増やし続ける現行の政策や最終処分場計画自体を根本的に見直すことが必要だ。

(尾松 亮 : 作家・リサーチャー)