女性の権利獲得には(写真:sergeyishkoff/PIXTA)

現在のペースだと男女間の賃金格差を解消するためには257年かかる――。2019年に世界経済フォーラムが発表したこの試算からもわかるように、男女の間にはいまだに大きな金融格差が存在しています。

格差が生まれる根本と平等に向けた具体策に迫る新著『女性はなぜ男性より貧しいのか?』より一部抜粋しお届けします。

前回記事は「英国女性に最も多い『法律違反』の意外な中身」

女性は弁護士になれない

女性が財産を増やし男性と平等な地位を築くには、男性と同じように稼げる能力を身につけなくてはならない。

しかし、女性が大学に行くことには激しい抵抗があり、入学がなんとか認められ勉強して試験に通っても、女性は学位を受けることができず、学んだ分野で職業につくことができなかった。

医学など最も収入が高い職業につく権利を求める女性の闘いは何十年も続いた。法律分野では、カナダとアメリカの女性が弁護士業務を行う権利を得たのちも、イギリスの女性は長いあいだ法曹界から閉め出されていた。

知的な意味でより難易度が高いとされる領域で、女性は門戸が閉ざされていた。女性のほうが生まれつき劣っているとする男性の思い込みによるものであり、女性は知能が低いので数学的、科学的、論理的な思考ができない、と考えられていたためだ。このような偏見が根強く残っていることは、次のエピソードによく表れている。

1867年にタイプライターが発明されたとき、女性が扱うには複雑すぎると考えられていた。しかし100年後の1960年代後半、いまでは恥さらしとなったオリベッティの広告では、ブロンドの美女がタイプライターの前に座り、こんなキャプションが添えられていた。

「タイプライターがこれほど有能なら、女性は賢くなくていい」。

皮肉なことに、広告の女性は賢いなんてものではなかった。彼女の名はシェア・ハイト。有名なコロンビア大学で歴史学の博士号をとるための費用の足しにしようと、モデル業を始めたのだった。

ハイトは、タイピングのスキルがすぐれているからオリベッティに選ばれたのだろうと思っていて、自分のイメージがどういうふうに利用されたか、あとになって気づいた。

最後に笑ったのはハイトだった。著書『ハイト・リポート 新しい女性の愛と性の証言』(パシフィカ、1977年)は5000万部を売り上げ、女性が自分の体に対して抱くイメージに革命を起こした。

女性が知的に劣っているという観念は生物学的な事実だと考えられていたが、この観念が薄れはじめてもなお、女性をめぐる生物学的価値観は、私たちに不利なように利用された。大学の講義のあいだじゅう座っていることは、子宮に何らかの影響を与え、乳腺を枯渇させるのではないかと思われていた。

弁護士として認められるまで31年

1888年、イライザ・オームは、イングランドの女性として初めて、法律の学位をユニバーシティ・カレッジ・ロンドンから授与された。オームは、女性はもっと権利を主張すべきであり、高い収入を得られる職業の機会が女性にも開かれるべきだと信じていた。

しかしオームは、事務弁護士として働くことを法的に認められるまで31年待たなければならなかった。

1913年、4人の女性によって裁判所に訴訟が持ち込まれた。女性の1人はグウィネス・ベブで、オックスフォード大学で法学を学び、試験で最優等の成績をおさめたが、正式に卒業できなかった。

ベブは事務弁護士として開業するための試験を法律協会に申請したが、受験料が返金されてきた。女性は弁護士になれないので、試験場に来ても受験は認められないと書かれていた。ベブは法律協会を訴え、法律では弁護士になるのは「人(person)」と記載されているので女性も含まれる、と主張した。

法廷は、女性というジェンダー全体が「人」の定義の枠外であると論じた。「1843年の事務弁護士法の意味する範囲において、女性は人でなく(略)、それゆえに、法律協会が実施する予備試験の登録から除外されるのが妥当である」と控訴院の判決文に記されていた[41]。判決は、「法律に基づき、女性も子どもも奴隷も法曹職につくことは認められない」と述べた中世の論文を参照したものだった[42]。

オックスフォードとケンブリッジでも…

名の通った機関ほど、女性に男性と同じ地位を提供するまでに時間がかかることがよくある。このことは、こんにちでも政府の要職や法曹界、学界、金融界、医学界で男性に比べ女性が少ないという事実と呼応している。

イギリスのエリート大学であるオックスフォードとケンブリッジが女性を男性と平等に扱うようになったのは、国内の大学でいちばん遅かった。オックスフォード大学は、1920年10月になるまで女性に学位を授与しなかった。その50年近くも前からすでに、大学内に4校あった女子学生だけのカレッジで女性が学び試験に合格していたにもかかわらずだ[43]。ケンブリッジでは、1940年になってようやく、女性に学位を授与した。

しかし、こうした進展には但し書きがつく。オックスフォードでは1927年以降、女子学生の人数を最大840人、または学部学生全体の6分の1に制限していた。水門を開放すると怒涛のように流れ込むのではないかと危惧したためだ。21年後に上限が引き上げられ、さらに90人の女性を受け入れるようになったが、定員の割り当ては1957年まで撤廃されなかった。

これは経済的平等を実現するには重大な障壁だった。一流の教育はより高い収入につながるからだ。

しかし、女性がいるとほかの学生の気が散ると考えられていた。オックスフォード大学のある女子カレッジの学長は「じつに嫌な苦情だ。わがカレッジの学生がタイトスカートをはき脚を見せて座っているので、男性の試験官が落ち着かないという[44]」と書いている。するべきことに集中できない男性がいたとしても、それは女性のせいではない。

女性は医療専門職でも同じ障害に直面した。1789年にアイルランドのコーク県で生まれたマーガレット・アン・バルクリーは、男性に変装してエディンバラ大学で医学を学び、イギリスで最初の女性医師になった。

裕福な支援者たちの協力を得てみずからをドクター・ジェームズ・バリーに仕立て上げ、有能な軍医になって南アフリカ、セントヘレナ、トリニダード・トバゴで医療に従事し、大英帝国で初めて帝王切開に成功した[45]。

死去して初めて…

ドクター・バリーが死去したとき、埋葬のため遺体を整えていた女性が、バリーは女性だと気づいた。事実が発覚し、ヴィクトリア朝時代のイギリスで大事件になった。女性が医師として働けるようになる50年以上も前のことだ。私なら、ドクター・バリーを10ポンド札の顔にするだろう。

バリーは細身で女性らしい顔つきだったが、この軍医が女性として生まれたとは誰も思わなかった。そのかわり「いっぷう変わっていてあまり人と交わらないバリーについて、学生たちがうわさをしはじめた。『ミスター・ジェームズ・バリーはぜったいに男ではない―間違いなく少年だ。(略)思春期にもなっていない子どもだ。根拠はたくさんあって明らかだ。彼は背が低い、体型が華奢、声が高い、繊細な顔つきで肌がなめらか[46]」。』

このばかばかしい状況は、男性と女性の知性に対する当時の期待をよく物語っている。小柄で少女のような医学生は、知能が高い早熟な男の子以外にありえなかったのだ。

女性が職場からあからさまに除外されていなかったとしても、女性を締め出すため別のかたちの差別もあった。1982年まで、パブでは女性に対するサービスを拒むことができた。

この「男性の領地」で女性がお金を使うことを認めるかどうかは、店主次第だった。状況が変わったのは1982年11月のことで、事務弁護士のテス・ギルとジャーナリストのアナ・クートが、フリート・ストリートで人気のパブ、エル・ヴィーノに苦情を申し立てたのだ。

エル・ヴィーノでは、女性がカウンターで飲み物を注文したりカウンターの脇に立ったりすることを禁じていて、女性はテーブル席がある奥の部屋にしか入れなかった。

エル・ヴィーノの言い分は、騎士道精神を守るためというものだった。エル・ヴィーノはシティに店を構えていて、ジャーナリストや弁護士らが集まってゴシップに興じる場として愛されていた。

しかし、1970年に女性ジャーナリストの一団がカウンターに押しかけ飲み物のサービスを要求しても、経営者はまだ自分たちの方針を曲げなかった[47]。

第一審の法廷では、女性差別に当たらないと判断されたが、控訴審では、女性がバーの特定の場所にしか集まれないのであれば、職業上不利な状況におかれる可能性があると認めた。

判事は次のとおり述べた。「男性はエル・ヴィーノで飲みたければ飲める。望むならカウンターの周りに集まり友人と交流できるし、とくにジャーナリストであるなら興味深いうわさ話をいろいろ拾えるだろう。(略)男性ジャーナリストにそうしたことが認められているなら、なぜ女性には認められないのか?[48]」。

女性用トイレがない

トイレの設備がないことは、女性が職場で不利な状況におかれみずからを向上させる機会を妨げられる理由にたびたびされてきた。ハーバード大学は、非常に長い期間にわたって、トイレがないことを理由に女子学生の医学部入学を認めなかった大学の一つだ。

医学部に女子学生の入学が認められたのは1945年のことで、女性が初めて志願してから100年近くたっていた。ハーバード大学ロー・スクールが女性に門戸を開いたのは1950年で、最初の女性が入学を志願してから79年後だった。

イェール大学医学部は、1916年に女子学生を受け入れた。経済学教授のヘンリー・ファーナムが費用を払い、女子トイレを設置したあとのことだ。

ヘンリーの娘がイェールの医学部に入ることを強く希望していたからだった[49]。アメリカで最も名高い士官学校のバージニア州立軍事学校は、1996年になるまでトイレを口実として利用していた。

女性用のトイレが十分にないという問題は、アメリカで「トイレの平等(potty parity)」として知られている。一部の専門職の職場や権力の殿堂で女性用トイレがないことは、女性が除外されていることの指標になる。

米下院に2011年まで存在したトイレの不平等

信じられないことに、アメリカの下院では2011年になるまで議場の近くに女性用トイレがなかった[50]。

男性用トイレは下院の議場のすぐ近くにあって、靴磨き台まで含むアメニティが取りそろえられ、暖炉がしつらえてある。テレビもあり、議場の進行をリアルタイムで映しているので、男性は議事を一瞬たりとも逃さずにすむ。


女性初の下院議員は1917年に誕生し、2011年には78人の女性下院議員がいたが、女性用トイレまで長い距離を歩いて行かなければならなかった。

議事次第で決められた休憩のあいだに議場まで戻って来られなくなることもよくあったが、そうすると討議の一部に参加できない。

2007年に、女性用トイレを議場からもっと近い場所に設置する計画が検討されたが、「歴史的建造物という性質上、また配管の追加工事が必要になるため、費用がかかりすぎる[51]」とされた。

長く厳しい道のりであったが、女性は、法的、社会的に最低の地位であるという足かせからようやく抜け出そうとしている。

こんにち私たち女性は、男性と同じく完全に自立した成人であり、子どもやお金や財産や将来について自分のこととして決定する力があるとされている。

しかしながら、私たちが労働力に組み込まれていくいっぽうで、歴史的に続いてきた差別の名残で、一流の仕事や高額の報酬については、女性は平等な分け前を得ることができないのだ。

原注
41 ‘Bebb v. the Law Society’, Court of Appeal ruling, 以下で記録が閲覧できる。 https://heinonline.org/HOL/LandingPage?handle=hein.journals/canlawtt34&div=90&id=&page=(2020年2月10日アクセス).
42 Judith Bourne, ‘Gwyneth Bebb: The Past Explaining the Present’, The Law Society Gazette, 29 April 2019, www.lawgazette.co.uk/gwyneth-bebb-the-past-explaining-the-present/5070047.article.
43 ‘Women Making History: the Centenary’, University of Oxford website, www.ox.ac.uk/about/oxford-people/women-at-oxford/centenary(2020年7月23日アクセス).
44 同上。
45ジェンダー・ニュートラルな代名詞として「they」を使った(訳注:原文でドクター・バリーを指して「they」を使っている)。ドクター・バリーに対する適切な代名詞に関する議論については、以下を参照。Alison Flood, ‘New novel about Dr James Barry sparks row over Victorian’s gender identity’, The Guardian, 18 February 2019, www.theguardian.com/books/2019/feb/18/new-novel-about-dr-james-barry-sparks-row-over-victorians-genderidentity.
46 Michael du Preez and Jeremy Dron¬eld, Dr James Barry: A Woman Ahead of Her Time (London: Oneworld, 2016).
47 Jason Rodrigues, ‘30 years ago: El Vino’s treatment of women drinkers ruled unlawful’, The Guardian, 15 November 2012, www.theguardian.com/theguardian/from-the-archive-blog/2012/nov/15/el-vinowomen-ban-fleet-street-1982.
48 Lady Hale, ‘Celebrating Women’s Rights’ speech, 29 November 2018.
49 Susan J. Baserga, ‘ the Early Years of Coeducation at the Yale University School of Medicine’, Yale Journal of Biology and Medicine 53:3, 1980, pp. 181-190.
50 Nancy McKeon, ‘Women in the House get a restroom’, The Washington Post, 28 July 2011, www.washingtonpost.com/lifestyle/style/women-in-the-house-get-a-restroom/2011/07/28/gIQAFgdwfI_story.html.
51同上。

(アナベル・ウィリアムズ : ジャーナリスト、編集者)