主人公の佐藤愛子を演じた草笛光子と、50代の担当編集者役の唐沢寿明(画像:『九十歳。何がめでたい』公式サイトより)

人生で一番大切なことを一言でズバリとお願いします

知らん!

劇場に笑い声が響く。佐藤愛子の同名人気エッセイを映画化した、草笛光子主演の映画『九十歳。何がめでたい』が異例のロングヒットとなっている。

アクションもない、特殊技術もない、刺激的な展開も場面もない、90歳のシニアの人生復活ストーリー。それが6月21日公開日から3日間で観客動員数は10万人を超え、動員56万人&累計興収7億円を突破(2024年7月9日現在)。平日のデイリーランキングでは首位をキープし、興行収入10億円超えが見えてきている。

私が観に行った日も、70代前後の女性の姿を中心に、しっかり席が埋まっていた。

主演の草笛光子は、90歳になっても美しいまま、というより、むしろ90歳だからこそ出る美しさを光らせている。


大の靴好きで知られる草笛光子。たびたび美しいピンヒール姿を披露している(画像:草笛光子 公式Instagramより)

そんな彼女が、昨年100歳を迎えた佐藤愛子が綴る“年を重ねることの本音と希望”を体現。炸裂する愚痴に客席から「ああ〜」という共感の呟きが聞こえたり、笑い声が出たり、そのざわめきもまた、映画のひとつのようで、不思議な一体感を覚えた。

映画からあふれ出る、愚痴に包まれた希望。

シニアは「老後」にあらず。青春を謳歌するド真ん中の立ち位置に、いつでも戻ってこられるのだ。

(以下、敬称略。また、一部にネタバレを含みます)

「何がめでたい」の温度差

今作『九十歳。何がめでたい』の大きな見どころは、主人公・佐藤愛子を演じる草笛光子の美しさであることは確か。ただ、初盤は、かなりしんどそうである。

執筆業から離れ、のんびりと暮らす主人公だが、耳が聞こえづらく、テレビの音量を上げるしかない。イライラする。体が痛い……。本人はヘトヘトなのに、周りはまだまだ大丈夫と軽く言う。そして「90歳、何がめでたい!」とヤケクソ気味に、ひとり呟くのである。

それが、半ば無理やり執筆業を再開することで、活力が戻り、ラストで言う同じセリフ「何がめでたい」の言葉の温度は、まったく違ったものになっていく。

疲れ果てていた佐藤愛子が久びさに原稿を書き、「感動した」という電話を受けたとき、エネルギーが満ちてくるようにジワジワ笑顔になり、深呼吸するシーンは必見だ。

いい爺さんなんてつまんないわよ」

映画で、佐藤愛子復活のきっかけとなるのが、50代の担当編集者、吉川である。演じる唐沢寿明はちょっとした怪演だ。すぐに唐沢と気づかなかったほどである。ぼさぼさの髪、黒メガネ、大きな声、遠慮のない発言、抑えても抑えてもあふれ出る威圧感!

吉川は無自覚なセクハラ、パワハラをくり返し、部下に煙たがられて異動になってしまう。いわば、典型的な“昔の価値観”を背負った役回りである。

家庭より仕事。“24時間働けますか”的なモーレツビジネスマンだった彼は、これまで推奨されてきた働き方が、全否定される“社会人迷子”状態だ。挙句の果てには、家族にも嫌われていたことが発覚するのだ。

彼の

人生100年っていうじゃないですか。もしあと50年もあるとしたら、途方に暮れます

というセリフは、身につまされる。

生きてきた経験が活かせないのだから「もう動けない」。しかしリタイアまでのカウントダウンは長くなる一方。確かに、途方に暮れる。

映画で、佐藤愛子が吉川にかける、

いい爺さんなんてつまんないわよ。面白〜い爺さんになりなさいよ

という言葉は、動けなくなった人たちにとって、最高のエールではないだろうか。

コロナ禍を境に、急激に変わった価値観。デジタルについていけず、時代に置いてきぼりになった高齢者と社会に置いてきぼりにされてしまった50代。その2人が、アップデート(今の若者に合わせる)ばかりではなく、時代遅れを活用する。


公式Instagramでお茶目なオフショットを公開した草笛光子(画像:草笛光子 公式Instagramより)(画像:草笛光子 公式Instagramより)

吉川は何度断られても、差し入れとともに突撃してくる。足で仕事を取りにいき、佐藤愛子は万年筆と原稿用紙でエッセイを書くのだ。そして吉川は、そのやりとりの中で、家族に対しての関わり方を反省していくに至るのである。

生きにくい2人が昔ながらのガチンコ対面方法で、ヒットを生んでいく。人生を復活させる。映画パンフレットに、脚本家の大島里美のコメント「時代遅れの二人の逆襲」と大きなフォントで書かれていたが、まさに。

自分のやり方で青春を取り戻すそのプロセスは、本当に勇気をもらえる。

佐藤愛子の「愚痴」が痛快な理由

映画の原作は、佐藤愛子のエッセイ集『九十歳。何がめでたい』とその続編『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』である。1冊目が2016年に小学館より単行本が発売されて以来売れ続け、今やシリーズ累計発行部数が180万部を突破している。

もう前向きもヘッタクレもあるかいな。チッ、面倒くさい。毎日が天中殺。愚痴のキレがよくて、クスクスとページをめくる手が止まらない。失敗談や時代の変化に困惑する佐藤愛子の愚痴は、自分の母と重なり、日々軽くあしらっている自分に、罪悪感が顔を出したりもする。

ただ、佐藤本人は「特に新しいことを考えて書いたわけでも、何か特別な思いを込めたものでもなく、相も変わらず憎まれ口を叩くという、そんな気分でしたかね」と語っている。

憎まれ口でもスカッとするのは、明るい本音だからである。逆を言えば、SNS時代はすっかり、何をするにも、何を言うにも、責任の所在を考え、グルグルと「そこそこ好感度を保てる着地点をさがす」クセがついていたと痛感する。

言っても差し支えのない程度の本音すら、心の奥に置き去りにしてしまっていて、それを佐藤愛子が代弁してくれているように思えるのかもしれない。

養老孟司氏は、「90万部『九十歳。何がめでたい』が売れる時代に危惧」(『女性セブン』2017年7月20日号)という記事で、「叩かれそうで怖いから本音を言わない」という現代の風潮とこの本の大ヒットをからめ、

『佐藤さんだから言える』と言って、他人に言うのを任せてはいけません。みながそう思っているから、世の中がこうなってしまう

と語っている。

確かに、このボヤキ力、読んで笑うだけでなく、倣ってどんどん実践していくべきかもしれない。

今、それができている最たる人は誰かと想像すると、俳優の大泉洋が思い浮かぶ。確かに彼の話も聞いていてスカッとし、そのトーク力も人気の要因である。本音なき時代にならぬよう、明るく愚痴る技術、磨いておきたい。

「次はどうするの?」

長生きはできる世の中だが、自分らしく生きるのはとても難しい。そんな現代、「人生100年時代」というワードは、ちょっとした呪いのように重くのしかかっている。

ただ、生きていれば、時代の追い風が突然吹いてくる。そして忘れた頃に主役の座が回ってくる――。この映画が見せるその希望は、シニアだけでなく、若者にとっても同じだ。一度燃え尽きた後も復活できる。人生は長いが、決して悪くない、大丈夫だと思わせてくれる。

ラスト、佐藤愛子を演じる草笛光子が見せる素晴らしい笑顔には、それだけの説得力とパワーがある。あの笑顔をスクリーンで観るだけでも映画館に行く価値あり、と力説したくなるほどだ。

90歳で現役、主役を演じる草笛光子は、令和という時代の主役の一人といっていい。2023年に発売されたスタイルブック『草笛光子 90歳のクローゼット』(主婦と生活社)についていたコピー「人生100年時代のヒロイン!」は、まさに言い得て妙である。これからさらに活躍の場が増えていくだろう。


スタイルブックで艶やかな写真を披露した(画像:草笛光子 公式Instagramより)

90歳の今もハイヒールで踊るという体力気力、輝きを集めたようなグレイヘアも魅力。そのグレイヘアも実は、2002年の舞台「W;t ウィット」で、役柄に合わせ丸坊主にし、それ以来、白髪と黒髪がバランスよく生えてくるようになったので、黒に染めるのをやめたそうだ。

ひとつ挑戦することで、ひとつ何かを削ぎ落とし、楽になっていく――。彼女の生き方には、そんなポジティブなサイクルが定着しているようにさえ思う。

老いとは“おっくう”ということで、若さの秘訣は、なんでもチャレンジすること。そう語る草笛光子は、『九十歳。何がめでたい』のクランクアップの際、前田哲監督に、こう言ったという。

次はどうするの?

心はもう次回作! この前向きな言葉に、人生100年を楽しむ秘訣がギュッと詰まっている気がした。100歳で主役を演じる彼女も、ありありと想像できる。

人生、何度も青春は廻りくる。

(田中 稲 : ライター)