2024年7月、イランの新しい大統領に選出されたペゼシュキアン氏(写真・EPA=時事)

2024年5月、アゼルバイジャンからヘリコプターで帰国する途中に墜落事故で亡くなったイランのライシ大統領の後継者を選ぶイラン大統領選が、イラン現地時間2024年7月5日に行われ、改革派のペゼシュキアン氏が当選した。

亡くなったライシ氏は反米保守強硬派で知られていた。イランの置かれた状況から、後継者はライシ氏の遺志を継ぐ者であると予想され、下馬評として上がっていた名前はいずれも強硬派に属する人間ばかりであった。

イランの国情から普通に考えると、イラン最高法学者権威であるハメネイ師にとっても、より好ましいのは強硬派だ。それなのに、なぜかハメネイ師は選挙に露骨に介入した。

これまで大統領候補者としてふさわしい人かどうかを事前に審査する「護憲評議会」と呼ばれる組織が、過去に不適格としたペゼシュキアン氏の立候補資格審査を通過させたのだ。

最高指導者ハメネイ師の投票用紙

イラン大統領選挙の決選投票日の7月5日午前8時、投票所に現われたハメネイ師は、投票用紙を受け取ると、前代未聞のとんでもない行動を取った。

この最高指導者は投票用紙を持って投票記載台に向かい、誰にも見えないように意中の候補者の名前を記入するかわりに、投票立会人、投票管理人、生放送の報道カメラが回る場で、自分の手元が映るように候補者の名前を書いた。

そこには、なんと! 改革派のペゼシュキアン氏の名前があったのである。「ペゼシュキアン」と書くハメネイ師の向こう側で、「えっ?! ハメネイ師は強硬派ではなく改革派を推している!!!」とでも言うかのように目を丸くする選挙立会人などのスタッフが驚く様子がイラン中に報道された。

これまでの選挙では、決選投票に持ち込まれると投票率は下がる傾向にあった。しかしSNS上では、このハメネイ師がペゼシュキアン氏を記入する動画で炎上したため、第1回選挙より多くの人が投票所へと向かった。その結果の、改革派・ペゼシュキアン氏当選なのだ。

これには伏線がある。6月27日の最初の大統領選挙で、強硬派は立候補者を1人に絞れなかった。対して、改革派はラスボス級の人々が「大統領選挙に出馬しない」と宣言し、ペゼシュキアン氏を応援した。

目立った強硬派の選挙戦略ミス

強硬派が立候補者を絞っていれば投票数は過半数を獲得し、決選投票まで持ち込まずに当選できたはず。明らかに戦略ミスであった。革命防衛隊出身のガリバフ国会議長、ジャリリ元最高安全保障委員会事務局長、プルモハンマディ元司法相の強硬派立候補者3名の票を合計すると約6割あった。

立候補者を1人に絞っていれば、1回目の選挙で当選できていた。そのため強硬派内では、ジャリリ氏のために辞退しなかった2人、とくに支持率が比較的高かったガリバフ氏への非難がやまない。

決選投票では、ガリバフ氏はジャリリ氏に大統領の座を譲るつもりで立候補を辞退したが、今回の選挙は投票率が40%であれば強硬派の勝利、投票率が50%あれば改革派の勝利という見通しだった。

決選投票では、ようやく1回目の選挙で強硬派の票すべてがジャリリ1人に集まったが、1回戦の2400万人の投票者が決選投票では3000万人に増え、その差の600万票が保守派のペゼシュキアン氏に流れ、当選へとつながったことになる。

今回の選挙で、改革派はどう動いたか。前述のラスボス級の人物、すなわちハテミ前大統領、ロウハニ前大統領、イラン人に人気のザリフ元外相が大統領選不参加を表明した。しかもハテミ氏はペゼシュキアン氏に大統領選挙に立候補するよう説得し、ペゼシュキアン氏の応援に回っていた。

ロウハニ前大統領も大統領選挙前にペゼシュキアン氏支持を表明。若者に人気のザリフ元外相はペゼシュキアンの選挙運動の顧問になり、強力にペゼシュキアン氏の選挙戦をサポートした。

ペゼシュキアン氏勝利の舞台裏では、ある女性の貢献が大きかった。アザル・マンスーリというイランで有名で、100万人署名運動やフェミニスト運動の活動家、IINUP(Islamic Iran Nation's Union Party)、NUP(National Unity Party)の名で知られる改革派政党が集まっての連立政党の党首である。

彼女は2008年の議員選挙では立候補資格を与えられず、2009年大統領選挙後に起きた抗議運動時には逮捕されたりもした。

改革派勝利に貢献した女性

ロウハニ前大統領がペゼシュキアン氏支持に回ったのは、彼女の説得によるものだったと伝えられている。また彼女は2009年の大統領選で落選した改革派の最長老であるメフディ・キャルビ元国会議長に「選挙をボイコットしないように」説得したと伝えられている。

キャルビ氏は1980年代から政治運動にかかわる重要人物で、不正投票があったとされた2009年の大統領選に出馬したものの落選。その直後に発生した大規模反政府運動「緑の運動」にも、ミールホセイン・ムーサヴィーとともに加わった人物である。

選挙戦略としては、反米強硬派のジャリリ氏が正統ペルシャ語を用いて格調高いものの堅苦しい言葉遣いの選挙演説をしたのに対し、もともと心臓外科医のペゼシュキアン氏は親しみを感じる庶民の言葉で演説を行うなど、有権者にはわかりやすい言葉で訴えたのが勝因の1つ、ともされている。勝利宣言でも、原稿の紙を放り投げ、自分の言葉で、庶民の言葉で勝利を祝った。

一方、1人の若い女性が注目を集めた。ペゼシュキアン氏の選挙活動中、つねにその傍らにいた女性のことだ。

彼女はペゼシュキアン氏の娘であるザハラさんだ。ペゼシュキアン氏は、「私にとってザハラはマハサ・アミニだ。私にとってイランのすべての娘たちはマハサ・アミニだ!」と訴えた。

そのマハサ・アミニさんとは誰か。クルド人で、2022年に「スカーフを正しく着用していない」ことを理由にイランの風紀警察に連行されて死亡した。これをきっかけに大規模デモに発展した、イランではいわばタブーとされる人物である。ペゼシュキアン氏は「自分はマハサさんを支持し、デモにも参加した!」と街頭演説で述べたこともあった。

ペゼシュキアン氏は1954年12月、イラン北西部のマハーバードで生まれた。

両親は少数民族で、父親はイランの人口のペルシャ人に次いで多く、全人口の16%を占めるアゼルバイジャン人だ。母親は同じく10%を占め、3番目に多いクルド人。

トルコ大統領の思わぬ発言

トルコのエルドアン大統領はドイツ訪問の帰りに記者から「ペゼシュキアン氏当選」を伝えられると、「つまるところマスウード・ペゼシュキアンはアゼルバイジャン系のトルコ人ということだ。例えば、(イラン北西部の)タブリーズではトルコ語を話し、クルド地域に行けばクルド語を話すことができるという人だ」と述べた。

さらに「トルコに着いたら、連絡して当選おめでとうと伝えよう。トルコとイランの2国間関係がこれから改善することを期待している。イランはわれわれにとって重要な隣国で、歴史的にも文化的にも深いつながりがある」と当選を祝福した。

エルドアン氏による「新大統領はトルコ人」発言はSNSで大いに話題となって、多くの人の失笑を買った。

これに対しペゼシュキアン氏は、次のように反論した。

「私はトルコ人に生まれてきたことをアッラーに感謝している。何人にもトルコ系民族の言葉や文化をバカにする権利はない」

1979年のイラン・イスラム革命後の歴代大統領を振り返ると、大統領には革命防衛隊と仲の悪い人ばかりが選ばれてきた。想像にすぎないが、法学者統治の最高指導者の座は武力勢力と政治勢力の距離が近くなりすぎないことで守られてきたといえるのではないだろうか。

この構図が当てはまらない唯一の大統領が、今回のヘリ墜落事故で亡くなったライシ前大統領であった。

2021年の大統領選挙で護憲評議会はライシ氏が当選するよう、資格審査でライバル立候補らを不適格にして排除してまで彼を当選させた。ライシ氏の死は事故死ではなく、暗殺だったとうわさされるのにはそのような理由もあるのだ。

「投票率」というバロメーター

前述したマハサ・アミニさんのスカーフ問題を機に起きた大規模抗議デモは、イランを脅かした。スカーフの着用やインターネットを厳しく制限される息苦しさ、外国人武装勢力を支援するためにお金を使い、国民は蔑ろにされているうえ、経済制裁の影響で国民の暮らしは追いつめられている。

ガソリンの値上げなど、何かをきっかけに抗議デモが起きるたびに多くの人が逮捕され、処刑され、弾圧されてきた。そのため反米強硬派勢力に対する国民の反感は「選挙では投票に行かない」という形で表現されるようになった。

ホメイニ師のイラン・イスラム革命で王制を倒して誕生した法学者統治は、革命直後は初めの頃こそ高い支持率を誇っていたが、時とともに「独裁的な警察国家」だと国際社会に非難されるようになった。

そのため、イラン体制が独裁君主主義ではなく、人々による人々のための望まれた体制であることを証明する必要が生じてきた。正当性を証明する物差しが大統領選挙の投票率になってしまっている。

そのため半数以上の国民が参加しないで誕生した政権は、民主的でなく正当性が証明できない。「誰が当選するか」ということの前により重要なのが、「公正に選ばれた大統領であるかどうか」に大統領選挙が位置づけられているのではないか。

1回目の選挙投票率は約40%で過去最低水準だった。これに危機感を持ったハメネイ師がイラン国民に投票に行くようにと呼び掛けたのは、それが大統領選びだけでなく、法学者統治という現在のイランの統治体制、ハメネイ師という最高指導者への国民支持率の表れであると受け止めていたからであろう。

ハメネイ師は自分が支持されていることを客観的に証明するためにも、投票率は50%以上の民主的な大統領選挙を実施することにこだわった。改革派のペゼシュキアン氏の名前を記入したパフォーマンスは、「最高指導者の心はイラン国民とともにあり、改革派を望む国民と同じ思いを共有している」とアピールするためだったとみる。

最高指導者の本音は?

ホメイニ師の墓廟で勝利宣言を行ったペゼシュキアン氏は、「ハメネイ師の推しがなければ、自分が大統領になるなどありえなかった」と述べた。

それに対しハメネイ師は、ペゼシュキアン新大統領には故ライシ前大統領の路線を引き継ぐようにという声明を出した。改革派の大統領を推しながら、反米強硬派路線を継げというのは何を意味するのか。

アメリカのトランプ前大統領が一方的に破棄して反故にしたが、2015年の核合意を締結させた改革派のザワヒリ元外相は大のアラブ諸国嫌いだった。

嫌悪感を露骨に出して、アラブ湾岸諸国を「テロリスト輸出国」などとかなりきつい言葉で非難しただけでなく、イランの核開発を安全保障上の重大な脅威として心配するサウジアラビアなど湾岸アラブ諸国を核条約交渉で排除した。そのためイランとアラブ湾岸諸国の関係は悪化し、国交断絶にまで至ってしまった。

ライシ前大統領は中国の仲介で、2016年のテヘランのサウジアラビア大使館爆破事件後に途絶えたイランとサウジアラビアの国交を正常化させた。ライシ大統領時代、中国の仲介で外交のパイプがつながり、話し合いの余地が出てきた。

ハメネイ師の改革派の大統領を推しつつも「ライシ氏の路線を継げ」というのは、ライシ氏が築いた国交正常化や近隣諸国との関係改善・ゼロ問題政策という遺産を大切にしつつ、国民の望む経済問題の解決や若者が望むスカーフ着用ルールやインターネットの規制緩和などの改革をも進めてほしい――。これがハメネイ師の発言の真意だったのではないかと思う。

(アビール・アル・サマライ : 「ハット研究所」所長)