(※写真はイメージです/PIXTA)

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高齢となり相続が迫ってきた母親は、さまざまな事情から「全財産を娘に」という遺言書を準備するに至りました。しかし娘は、その遺言書があるせいでさまざまな心労を負うことになります。解決方法はあるのでしょうか。相続実務士である曽根惠子氏(株式会社夢相続代表取締役)が、事例をもとに解説します。

高齢母の相続対策、同居は避けて通れない?

今回の相談者は、50代の会社員の田中さんです。80代の母親の相続対策について相談したいと、筆者の事務所を訪れました。

田中さんは2歳年上の兄と2人きょうだいで、父親は5年前に亡くなっています。父親の財産は、自宅と預貯金でしたが、母親が自宅と預貯金、兄が預貯金の一部を相続しており、田中さんはなにも相続していません。

「ここ1年ほどで母が弱ってしまい、心配です…」

田中さんは、母親の健康や今後の相続を心配し、いまから母親と同居して小規模宅地等の特例を受けられるようにしたほうがいいのか、頭を悩ませていました。

高齢母、アメリカ在住の兄に立腹しているワケ

田中さんの兄は仕事の都合で長年アメリカに赴任しており、最後に会ったのは父親の葬儀のときです。じつは、半ば没交渉となったのには理由がありました。

「兄はずっと仕事で海外にいて、父が弱ったときも物理的に頼れない状況でした。父は母の生活をとても心配し、〈配偶者に全財産を相続させる〉という内容で公正証書遺言を準備していたのです」

ところが父の死後、田中さんの兄は「自分にも権利がある」といって法定割合の半分の8分の1を、遺留分として請求してきたのです。

「兄が預貯金から遺留分を相続しても、母は別に困りませんが、それでは父の気持ちをないがしろにすることになりますよね?」

田中さんの母親は、兄の行動に立腹しており、意趣返し的な遺言書を準備しているといいます。

「母の財産は、横浜市の自宅と父から相続した預金で約1億円ぐらいです。これをすべて、私に相続させるという内容で、公正証書遺言を作ったのです」

しかし、田中さんの兄はこれを知りません。もし母親の相続時に遺言書の内容を知ったら、恐らく兄は父のとき同様、遺留分を請求してくると予想されます。

相続対策目的の同居は本末転倒

筆者と提携先の税理士が田中さんの母親の資産内容を確認しましたが、資産は不動産に偏っていました。実家は敷地120坪もの広さで、ゆうに建売住宅の3軒分はあります。

父親の相続時には、配偶者の特例や小規模宅地等の特例を活かし、納税額を減らすことができました。そのため、田中さんも母親と同様、小規模宅地等の特例を活用したほうがいいのかと悩んでいます。

「私は母親と同居していませんし、夫と暮らす自宅もあります。ですので、特例は使えませんよね? だから自宅を売却して母親と同居すべきなのか…」

しかし、田中さんは浮かない顔です。筆者と税理士がそれとなく話を促すと、ポツリポツリと本音が出てきました。

「母は〈女王様〉のような性格で、かなり気性が激しいのです。何もかも自分の思い通りにならないと気がすまない人で、兄が物理的な距離を取っているのも、それが理由のひとつだと思います。私も仕事と家事を理由に距離を取っているので、なんとかいまは平穏ですが、あの母と同居ができるかどうか…」

母親が住み替えることも選択肢

現状の母親は要支援2という判定で、なんとか1人暮らしが可能です。買い物や通院へのサポートは必要ですが、会社員の貴重な土日を使って母親の世話に通うより、いっそ同居したほうが楽ではないかというのが、田中さんが苦手な母親との同居を考えた理由でした。

また、田中さんは60歳以降もいまの会社に嘱託として勤務したいと考えています。その間に母親の健康状態が悪化すれば、なおさら通いながらの介護がむずかしくなることも心配しています。

田中さんの気持ちや考えはよくわかりましたが、結論からいうと、相続税の節税のために生活環境を変えて窮屈な思いをするのは、本末転倒だといえます。

そもそも同居は、弱ってきた母親の介護が目的であり、同居の結果「特例」がついてくるわけです。しかし、性格の合わない大人同士、ストレスをためて同居してもつらいだけではないでしょうか。いまの時代、介護は専門家に任せられますし、「同居しない=介護放棄」ではありません。

「田中さんがガマンをするのではなく、お母さまには介護が受けられる高齢者住宅に住み替えてもらうというのもいい選択肢だと思いますよ?」

筆者のアドバイスに、田中さんは一瞬目を潤ませました。

「それができたらいちばんうれしいです。遺言の内容は、正直、有難迷惑でしかなくて…」

現金保有なら「遺留分の算定」もシンプルに

母親は田中さんに自宅を相続させるという遺言書を作成していますが、郊外の120坪の邸宅は、夫婦2人暮らしの田中さんには広すぎます。相続してから売却してもいいのですが、母親が高齢者住宅に住み替えて自宅を売却できれば、介護・介護費用の捻出・不動産の維持管理という問題も軽減できます。

母親が自宅を売却する場合は、利益の3,000万円まで課税されない特例があります(「居住用財産を譲渡した場合の3,000万円の特別控除の特例」)。これだけでも譲渡税600万円を節税することができます。

さらにいうと、売却代金で評価の小さくなる区分マンションを購入して賃貸すれば、時価の30%以下の評価に変わることから、相続税を減らす・遺留分を少なくする効果を狙えます。

田中さんが懸念している遺留分ですが、この算定で課題になるのは不動産の評価です。

自宅にしてもマンションにしても、路線価の「相続評価」ではなく、「時価」が算定基準となることが多いのです。しかし、実際に売却しないなら、「時価」の算定として不動産鑑定評価をしなければならず、そうなると時間も費用もかかってしまいます。

その点、財産が金融資産だけなら残高で計算できるためシンプルです。

母親が自宅を売却して住み替えることで、遺留分の対策になるという旨のアドバイスに、田中さんは納得され、「母親にわかってもらえるよう、きちんと説明します」と言って事務所を後にされました。

相続後、遺留分の捻出のために実家を売却するとなると、転居費用、家財などの処分代、解体費、測量費、仲介手数料に加えて譲渡税もかかってきますが、こうした費用は遺留分の算定には入れられません。

そのため、現金で遺留分を取得したほうが得策なのです。

節税対策にはなりませんが、煩わしさを軽減する方法として、不動産を売却しておき、相続発生時に現金等の金融資産だけの状態にするほうが、遺留分の算定がラクになるということも覚えておくといいでしょう。

※登場人物は仮名です。プライバシーに配慮し、実際の相談内容と変えている部分があります。

曽根 惠子
株式会社夢相続代表取締役
公認不動産コンサルティングマスター
相続対策専門士

◆相続対策専門士とは?◆

公益財団法人 不動産流通推進センター(旧 不動産流通近代化センター、retpc.jp) 認定資格。国土交通大臣の登録を受け、不動産コンサルティングを円滑に行うために必要な知識及び技能に関する試験に合格し、宅建取引士・不動産鑑定士・一級建築士の資格を有する者が「公認 不動産コンサルティングマスター」と認定され、そのなかから相続に関する専門コースを修了したものが「相続対策専門士」として認定されます。相続対策専門士は、顧客のニーズを把握し、ワンストップで解決に導くための提案を行います。なお、資格は1年ごとの更新制で、業務を通じて更新要件を満たす必要があります。

「相続対策専門士」は問題解決の窓口となり、弁護士、税理士の業務につなげていく役割であり、業法に抵触する職務を担当することはありません。