『虎に翼』梅子が「家族を捨てた」理由と、花江が「家族を支える」理由の意外な共通点

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『虎に翼』振り返り日記:第13週「女房は掃きだめから拾え?」

X(旧Twitter)に日々投稿する『虎に翼』に対する感想がドラマ好きのあいだで人気のライター・福田フクスケさん(@f_fukusuke)。連載「『虎に翼』振り返り日記」では、福田さんが毎週末にその週の感想を振り返って伝える。見逃してしまった人も、あのシーンが気になると思った人も、友達と自分の感想をすり合わせる気持ちでお楽しみください。

家庭裁判所の特例判事補としてさらに忙しくなる佐田寅子(伊藤沙莉)の前に現れたのは、かつて女子部でともに学んだ大庭梅子(平岩紙)だった。自分を見下す夫の支配から逃れようと、三男を連れて出て行ったはずの梅子だったが、大庭家の相続争いの渦中でいまだに立場を奪われたまま。

そんな梅子がやがてすべてを吹っ切った高笑いを見せる衝撃の展開と、猪爪家の家事労働を一人で背負い込んで疲弊する猪爪花江(森田望智)の苦悩が交差する、「家に尽くす女たち」を描いた第13週を振り返っていきたい。

6月24日(月)第61回: 光三郎に耳打ちする梅子が示したもの

猪爪はる(石田ゆり子)が亡くなった上に、家庭裁判所の人手不足で寅子が多忙になったWパンチで、家のことはますます花江に任せっきりな状況に。

オーバーワーク気味の花江が、「お義母さんはこんな失敗一度もなかったのに」と、はるのようにうまくこなせないことを気に病んでいるのが心配だ。寅子には仕事を、猪爪直明(三山凌輝)には勉強を頑張ってほしいがために、家事労働をみずから全部背負い込もうとしているのが気になる。

だが、「寅子が稼がなきゃみんなが困るんだからさ」と道男(和田庵)が言う通り、一家の稼ぎ手は仕事にフルベットして家計を支えねばならないし、ケア労働の担い手は家事をワンオペで負担しなければならないようにできている。猪爪家では両方をともに女性が担っていることで、図らずも戦後の性別役割分業制のひずみがよりわかりやすい形で可視化しているのが興味深い

一方、大庭徹男( 飯田基祐)の妾だった元山すみれ(武田梨奈)が、遺言書を根拠に遺産の全額相続を主張。その検認の場に梅子が現れたことで、彼女が結局、大庭の家から離れられていなかったことが判明する。

梅子が三男の大庭光三郎(本田響矢)に耳打ちして遺産の遺留分を請求できることを指摘させる場面は、梅子が今も法律に明るく、新民法の内容をきちんと把握していることを示す。と同時に、光三郎を介さないと、大庭家の中での立場や発言権がないのであろうことを示す場面でもある

かつて、「この子だけは夫のようにしたくない」と一緒に家を出ようとした光三郎が、祖母にも梅子にも兄弟たちにも優しいまともな人間に育っていることがせめてもの救い……と思わせる場面だが、まさか週の最後であんな展開が待っているとは。

6月25日(火)第62回:亡霊のように人々を縛り続ける「家制度」

案件の担当という立場上、梅子に対してよそよそしい態度に徹しようとこらえる寅子だったが、部屋に戻ってきた彼女の顔を見ると、思わず顔を綻ばせて涙声で駆け寄る。久しぶりの再会を喜び合う2人。

柔和な物腰でその場の空気を和らげてしまう梅子の本来の人柄や魅力が、大庭家の中にいるときは一切発揮されないのが切なく心苦しい。

轟法律事務所に連れられ、山田よね(土居志央梨)や轟太一(戸塚純貴)と再会を果たした梅子が、壁に書かれた日本国憲法14条を見て、自然と桜川涼子(桜井ユキ)や崔香淑(ハ・ヨンス)のことを思い出すのも、胸が熱くなる場面だ。

大庭家の遺産相続は、すみれの遺言書が偽造であることが早々にバレて、法律上の相続人のみになったが、話は一向にまとまらない。

梅子の長男・大庭徹太(見津賢)は、自身も弁護士であるにもかかわらず、旧民法下での家長としての権利を主張し、梅子と弟たちに相続の放棄を迫る。

次男の大庭徹次(堀家一希)は、あろうことか「母さんだけ放棄すればいい」と言い出す始末。母は家のために犠牲になって当然、とみなすような態度である。それに対して、「私は放棄しませんよ」と主張する梅子も、大庭家の嫁としての立場に対する意地を見せているようにも思える。

新民法によってなくなったはずの「家制度」だが、そのくびきは亡霊のようにいまだ人々を「役割」で家に縛りつけている。そのことは、猪爪家の家事をみずからすべて背負い込もうとする花江の姿によっても示されているのだ。

6月26日(水)第63回:3人の息子たちがそれぞれ抱える問題点

話し合いでは折り合いがつかず、家裁に調停の申し立てが行われた大庭家の相続問題。

弁護士であるはずの徹太が、家長である自分がすべて相続する、と新民法を意に介さないような主張に固執することには違和感がある。だが、それも「知ると理解は別物。そう簡単にこの国に染みついた家制度の名残は消えん」ということを強調するためなのだろう。

夫に似てしまったことで見切りをつけた長男と、この子だけは染まってほしくないと連れて行こうとした三男の狭間で、次男である自分を置いて逃げたという梅子の負い目を突く徹次。

ただ、彼が酒に溺れてひねくれた性格になったのは、復員兵特有の戦争PTSDの可能性も高く、確かに徹次の境遇には同情すべきところもある。その点は、適切なケアを彼に受けてほしいとも思う。

光三郎は、自分の扶養に入りたいと勝手なことを言う祖母・大庭常(鷲尾真知子)に、「お母さんに意地悪しない」ことを交換条件に掲げる。しかし、梅子が常の世話をすることを自明のこととして疑っていないあたり、彼もまた梅子の意思を無視している“根深さ”がわかる場面だ

梅子の3人の息子たちはそれぞれに問題を抱えているが、梅子は「3人手を取り合って生きていってほしい」「息子たちの誰かが損することがないようにしたい」と願う。「自分の幸せ=息子たちの幸せ」になってしまっている時点で、彼女もこの段階ではまだ“自分の人生”を生きられていないのだろう

一方、亡き父・猪爪直道(上川周作)譲りの「俺にはわかる」を繰り出し、花江が道男に恋していると確信する直人(琉人)。この「年上女性と年下男性の意外な恋」というのが、実は明日の展開へと繋がるミスリードになっていたのが面白い。

6月27日(木)第64回: 梅子が高笑いで吹っ切った家族の呪縛

光三郎がすみれと通じていた衝撃的な展開。あえて子供の頃の無垢な“光三郎ちゃん”を視聴者に見せておいて、寅子のようにその成長に感慨を抱かせてから裏切るという、鬼のような脚本である(褒めてます)。

しかし、もっと衝撃的だったのは、それを聞いた梅子の狂気すら滲む涙ながらの高笑いだ。

梅子が「降参」「白旗」という表現を使ったのは、「どいつもこいつもクソ」(よね談)で自分勝手な息子たちの教育の失敗と、その背後にある根強い家父長制への敗北を思い知らされたからだろう。

自分が人生を犠牲にして尽くしてきたのはこんなものだったのか、という徒労感と呆れと諦念が入り混じった、どうしようもない感情が溢れ出ている。

そんな彼女が選択したのは、相続も、大庭家の嫁としての立場も、息子たちの母としての務めも、一切を放棄することだった。

ここで彼女が民法第730条を誦じるのが痛快である。大庭家から出て姻族でなくなってしまえば、梅子が常を扶助する義務はなくなり、直系血族である息子たちにその任を押し付けることができるのだ。

かつて、民法改正時に神保衛彦教授(木場勝己)があえて残した保守的な旧民法の名残のような条項を、逆に利用するという見事な伏線回収にもなっている

そんなアクロバティックなことができたのも、梅子が法律を学んでいたからこそ。彼女の去り際の「ごきげんよう」は、単なる自嘲や開き直りや自暴自棄ではない。家族という呪縛を断ち切り、嫁でも妻でも母でもない自分の人生を生きることにした、一人の女性の“勝ちどき”の「ごきげんよう」に聞こえてくるではないか。彼女はようやく、「人生で一番輝いていた」と回顧する女子部にいた頃の自分を取り戻したのだ。

その姿はまさに、「女性が誰かの犠牲にならずに自分の幸せをつかみ取れるようになった」と寅子がラジオで語った言葉の実践そのもの。そのラジオを神妙な顔で聞いていた花江が、このタイミングで梅子と再会することで、いったい何を思うのか。

最後のカットで、意図的に花江を映さず画角の外に外しているのも、明日への引きとして気が利いている。

6月28日(金)第65回: 花江が目指す自分の幸せとは

はるのような完璧な家事を目指して疲弊していた花江に、「いい母なんてならなくていいと思う。自分が幸せじゃなきゃ、誰も幸せになんてできないのよ」と語りかける梅子。かつて花江ともっとも近い境遇で主婦をしていた梅子だからこそ、かけられる言葉だと思う。

本作の脚本は、家庭でケア労働に従事する女性を「戦わない女性」として否定したり、家父長制や家制度の「犠牲」として憐れんだりは決してしない

むしろ、寅子のような外で働くバリキャリ女性だけでなく、家族を支えることを自分の喜びとする花江のような女性のことも置き去りにせず、ともに幸せを目指そうとするスタンスが素晴らしいと思う。

「花江が道男に恋してる疑惑」は、直人による父親譲りのとんだ勘違いだったが、花江の様子の変化を察知し、母ではなく個として「幸せをつかんでほしい」と願える直人は、聡明な子供だ。最後まで梅子に「母」という役割を押し付けることしかしなかった大庭家の息子たちとは対照的である

また、寅子から汐見香子こと香淑におにぎりが届く場面は、香子が梅子の無事を知ると同時に、寅子と梅子にきちんと交流があることを、香子が一瞬で理解する秀逸な描写でもある。

おにぎりは、得てして男社会における女性の献身や後方支援、自己犠牲の象徴に使われることが多い。だが、よねや轟、香子のために梅子が握るおにぎりは、彼女の主体的な意思表示であり、自分らしくいられる行為でもあるというのがポイントだろう。きっと、彼女が大庭家で握っていたおにぎりに、そのような喜びや幸せはなかったに違いない。

これまで寅子が「モン・パパ」を歌う場面では、その背景に必ず怒りや悔しさが込められていた。今回は、花江を気遣ってくれていた直道が、寅子を褒めてくれていた優三が、改めてもういないのだというやるせなさがぶつけられた「モン・パパ」だったように思う。

『虎に翼』寅子が母・はるとの別れで子供のように泣きじゃくった「大事な理由」