2004年、五輪出場権を懸けて来日した北朝鮮代表【写真:Getty Images】

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2004年4月24日、アテネ五輪アジア予選準決勝

 女子サッカーのパリ五輪アジア最終予選、北朝鮮との第2戦が28日、東京・国立競技場で行われる。サウジアラビア・ジッダで行われた第1戦は0-0の引き分け。第2戦に勝ったチームが五輪出場権を獲得する。20年前の2004年にも似たようなシチュエーションで行われた因縁の対決。当時の北朝鮮は物々しい雰囲気で来日し、大会期間中も秘密主義を貫いた。情報が徹底的にシャットアウトされる中、選手たちは隠密行動を連発。緊迫した中で調整が進められていた。(THE ANSWER編集部・瀬谷 宏)

 アジアで2枠しかない五輪出場権を懸けて来日した北朝鮮は、とにかく情報を隠した。1次リーグを戦うために滞在した広島市内のホテルでは、ジャージー姿の選手たちの姿が確認できたもののホテル側は「選手はここにはいない」となぜか否定。かん口令が敷かれていたようで、日本滞在中の選手の様子をうかがうことはできなかった。

 練習スケジュールの変更もしばしばあった。急遽キャンセルされたと思ったら、アナウンスから1時間後にホテルから選手を乗せたバスが試合会場の広島ビッグアーチ方面に出発。だが、ビッグアーチの担当者は「今日は北朝鮮のチームは来ていない」。どこに向かったのかは不明で、日本メディアは振り回された。

 北朝鮮は前年の女子米国W杯後に監督交代があり、日本側も事実を把握していたものの、それ以上の動向はつかめていなかった。日本代表はスカウティング部隊を4月18日に行われた北朝鮮―台湾戦に派遣。選手個々のプレーやシステム、戦術などは分析することができた。だがそれ以外の部分は完全にクローズ。そんな中で順当に勝ち上がり、4月24日の日本との準決勝に駒を進めてきた。

 運命の大一番は日本が3-0で快勝。大会が始まってからのデータ分析が奏功し、秘密主義を貫いた北朝鮮を完全に封じ込めた。

(THE ANSWER編集部・瀬谷 宏 / Hiroshi Seya)