紫式部が大長編を書き上げる「原動力」になったものとは?(イラスト:ならネコ/PIXTA)

恋愛ドラマや映画の冒頭では、女が実によく死ぬ。

それは家族と穏やかに暮らしている優しい母、あるいは海が見えるレストランの席でサプライズプロポーズを受ける、若くて美しいフィアンセ。楽しげに笑い声を立てたり、無邪気な表情を浮かべて、走りながら何度も振り返ったりするシーンが流れると、死亡フラグはほぼ確定である。

「光源氏」を残して去った桐壺更衣

昼ドラも真っ青なドロドロの愛憎劇を繰り広げる『源氏物語』は例に漏れず、そのクリシェの上に成り立っている。ストーリーが動き出すや、女が死ぬ。

正確に言うと、冒頭に限らず懊悩煩悶のはてに死を遂げる女性人物は少なくないが、最初の犠牲者となるのは、桐壺帝の寵愛を一身に受けた桐壺更衣である。彼女は光源氏という素晴らしい置き土産を残して、物語の世界から早急に退出してしまうのだ。

しかし、彗星のごとく消え去るとはいえ、桐壺更衣が忘れられることはけっしてない。桐壺帝も息子の光源氏も一生をかけて亡き更衣の面影を求め続けるし、彼女の化身とでもいうべき藤壺の宮や紫の上は『源氏物語』を大きく盛り上げている。彼女らの影に隠れて、桐壺更衣は物語の深層にしぶとく生き続ける。

では、ミカドをゾッコンにさせた上に、光源氏の運命を決定づけた宿命の女・桐壺更衣はどんな人物なのだろうか?

実は、身分がそこまで高くないという情報以外、彼女についてほとんど語られていない。数多のライバルを蹴落としてミカドの心を摑んだ経緯も記されていなければ、身体描写も一切ない。心の声である和歌もたった一首しかない。桐壺更衣の存在は、まったくもって謎である。

具体的な描写がないのは、仕方ないのかもしれない。そもそも平安朝のご婦人は姿を披露する機会が限られていたし、逢瀬も夜闇にまぎれて重ねるものだったので、男女はお互いの外見を吟味する習慣はあまりなかったのだ。

そのような文化のもとに生まれた『源氏物語』もまた、不美人で有名な末摘花を除けば、レディースの顔やボディーラインを捉えた詳細な記述はめずらしい。それでも扇子のようにゆらゆらと広がる艶やかな黒髪だの、煌びやかな着物だの、キュートな仕草だの、光源氏の人生を通過する女たちは何かしらの特徴があって、それぞれの風格が読者の目にパッと浮かぶ。

桐壺更衣へ壮絶な「いじめ」

一方で、肝心な桐壺更衣の印象は至って薄い。少なくとも、我々現代人にはそう感じる。

最も印象的なのは、彼女に対して行われた壮絶ないじめ。

御つぼねはきりつぼなり。あまたの御かたがたを過ぎさせ給ひて、ひまなき御まへ渡りに、人の御こゝろを尽くし給ふも、げにことわりと見えたり。まうのぼり給ふにも、あまりうちしきる折々は、打ち橋渡殿のこゝかしこの道に、あやしきわざをしつゝ、御送り迎への人のきぬの裾たへがたく、まさなき事もあり。又ある時には、えさらぬ馬道の戸をさしこめ、こなたかなた心をあはせて、はしたなめわづらはせ給ふ時も多かり。

【イザベラ流圧倒的意訳】
更衣が住んでいるお局は桐壺と呼ばれる場所。ミカドがそこに訪問するときは、多くの女性の部屋を素通りすることになるけれど、無視された人はカンカンに怒るわけである。当然だが! 桐壺更衣が何度もミカドのお部屋に呼ばれるのも我慢ならない。あまりにも回数が多いので、リベンジを企む人が続出した。打橋や廊下の通り道のあっちこっちにけしからぬ仕掛けをしたりして、送り迎えの女房たちの着物の裾が無残な姿に。またあるときは、どうしてもそこを通らないといけない廊下の戸を、両側で示し合わせて外からカギをかけ、更衣を閉じ込めてしまったこともある。

ヒェー! 怖い! 雅な世界は実に闇が深い。

当時のミカドの主たる責務は、政権内の秩序を保ち、子孫を絶やさないことだった。後宮で訪問を待ち構えている多くの妃や女房を無視して、1人の女性に夢中になった桐壺帝はそのどちらの義務もほったらかしにしてしまう。

パートナーが1人だと、懐妊する可能性もグッと下がるばかりか、それをとやかく批判するでしゃばりな政治家も出てくる。しかも、ミカドの子どもを授かるというドリームを抱いて、大切に育てられた姫たちは、「なんでアイツなの? なんで私じゃないの? ズルイっ!」と嫉妬がとまらないわけだ。この時代は、すぐみんな生き霊を飛ばしたりするから、まさに危機的状況。

日本一の男に愛されているにもかかわらず、孤立無援となる桐壺更衣。プレッシャーに押しつぶされた彼女は病気で退出して、瞬く間に短い生涯を閉じる。最愛の人を亡くしたミカドは泣き崩れ、なおも他の女には目もくれない。壮大な物語はこうした小さな、切ない恋から始まっている。

桐壺更衣が辿る悲運があまりにリアル

改めて言うまでもないが、『源氏物語』はれっきとした作り話だ。ストーリーは作者の紫式部が生きた時代より、100年ほど前の「いづれの御時」に設定され、執筆当時では「更衣」、つまり衣替えに奉仕する女官の役職は、すでになくなっていたらしい。

ところで、完全に想像上の話なのに、桐壺更衣が辿る悲運はとてもリアルに描かれている。それもそのはず。似たようなことが、紫式部が生きていた時代に本当にあったからだ。

藤原道隆(道長の兄)の娘として生まれた藤原定子は、女御から中宮になって、しっかりと一条天皇の愛を勝ち取る。仲良しの2人の間に子どももできて、めでたしめでたし。しかし、その後からが本番。

父親が病気で亡くなって、兄の藤原伊周が女性関連の争いで花山法皇に矢を放って流罪。弟の隆家も、その事件に加担していたということで、同じ罰を食らう。定子様は幸せの絶頂から理不尽な不幸のどん底に突き落とされ、身重ながらに髪を切って出家を決心する。

子供の誕生を何よりも心待ちにしていた一条天皇は、それでも諦めず、大好きな定子様を宮中に連れ戻した。愛執にもほどがある! と周りが騒ぎ出して、それこそ『源氏物語』より何倍もドラマチック。

野心家の藤原道長はそこにチャンスがあると思った。神経衰弱ギリギリの定子様のポストを狙って、娘の彰子を入内させ、やがて史上初めての「一帝二后」の実現に努める。

定子はその少しあとに第二皇女を出産してから崩御するが、一条天皇との情熱的な恋も、苦悩に満ちた儚い一生も同時代の人々の記憶に深く刻まれたことだろう。

同世代の女性が読んで「ピンときた」こと

複雑な事情があったにせよ、還俗した定子に対して、世俗の人の目は厳しかった。1人の女に固執する一条天皇の責任も大きいが、それに従った定子に悪評がつきまとう。そう、桐壺更衣と同じように……。

『源氏物語』には、桐壺更衣の描写も、桐壺帝との馴れ初めに関する記述がないのは、そのせいかもしれない。ミカドの寵愛を受けながらも独りぼっちになって、世間の冷たい目線に晒されているかわいそうな女性……それ以上の説明はもういらないのだ。同時代の読者がすぐにピンときて、薄命のプリンセス・定子様の美しいお姿を思い浮かべつつ、『源氏物語』を耽読していたに違いない。

問題はたった1つ。

紫式部は彰子に使えた女房だったということ。行き過ぎた愛はいけないよ〜という忠告が文中にやんわり含まれているものの、桐壺帝と桐壺更衣の恋は美しくて切ない。一条天皇も彰子も、下手すると道長も『源氏物語』を読んでいるのに、定子様と思しき人物を、ミカドの最愛の女性として登場させていいのかい? 

『源氏物語』が書かれた順番は正確にはわからないので、「桐壺」の帖がリリースされたタイミングは不明だが、紫式部はそれを書いたときに、一か八かの大勝負に出た。主家が反対する可能性があろうとも、誰もがもっとも読みたかった、永遠かつ唯一無二の愛の物語を綴ることにしたのだ。

「誰かのクビが飛ぶんじゃない、これ!?」とビクビクしながら、錚々たる面々の前でその部分を朗読する羽目になった女房の身にもなってください。更衣の話が終わって、彰子が住まう藤壺の中の空気が一瞬凍りついたのかな……。 

もしかすると、一条天皇は袖を濡らしたのかもしれない。緊張感をはらんだ局の様子を妄想しながら、やはり都人にとって、『源氏物語』はものすごくスリリングなエンタメだった、と改めて実感する。

「生きたい」という更衣の心の叫び

死が近づいていると察知した桐壺更衣は「限りとて別るゝ道の悲しきに いかまほしきは命なりけり」という和歌を詠む。それは、「私の命はこれまでだ。愛するあなたと別れて、死出の道を歩かなければなりません。でも、今私が歩んで行きたいのは、あなたと一緒に生きていく道なのです」というような意味合いになっている。「いかまほしき」の「いく」は「行く」と「生く」の掛詞だ。死出の悲しい旅が目の前にあるが、その歌には「生きたい」という更衣の心の叫びが詠まれている。

桐壺更衣は物語の幕が上がるや、確かにすぐに死んでしまう。しかし、54帖にも及ぶ『源氏物語』は、彼女(それとも定子様?)をはじめとする女たちの強い意志が注ぎ込まれ、しぶとく生きようと訴え続けているのだ。


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(イザベラ・ディオニシオ : 翻訳家)